14 以心伝心
「で、桃が解決したと思ったら、次はお前か、ブルータス!」
「サチさん、今時ブルータスなんて知ってる若者いませんよ」
「え? 海外の俳優さんだよね...?」
オチがついたところで、ちとせがビールを飲み干したのは、会社帰りの居酒屋だ。
本日は水曜日。定時退勤推奨日。
隼生とぎくしゃくしているのを分からないように隠していたのだが、悲しいことに強制連行されてしまった。
いつもの仲良し三人メンバー。
こんな時は、ちょっと面倒くさい。
そう思いながらも、表面的にはニコニコしながら二人に対し、
「ちょっとした不一致ですって。
すぐ、仲直りしますから」
と返す。
そこでようやく桃が、
「え、浅間さんと喧嘩してるの?」
と聞いてきた。前はもう少し勘が鋭かった気もしないでもないが、大島と付き合うようになってきてから、桃は良くも悪くも鈍くなった気がする。恋人も似てくるのだろうか。まあ、以前が人の痛みに敏感すぎたきらいがあったから、今の桃が丁度いいとちとせは感じていたが、それはサチも同じことだろう。
「大したことじゃないんですよ?
ただ、私が迫る回数が多いから、浅間さん、つかれちゃって」
下ネタ全開で大袈裟にそう言えば、桃が一瞬ぽかんと口をあけてから、顔を赤くして俯いた。
「う。うちと逆?」
なんて聞いてもいないなことをぼやくところが、桃らしいといえば桃らしい。
「是非とも大島さんの爪のアカを隼生さんにも飲んで貰いたいですよ!」
「えー、でもそうすると、昔好きだった女とズルズルしてるかもよぉ?」
苦笑いしつつ桃が返す。そう言えばそんな話も大島にはあった。ストーカー話でうやむやになったが、桃の様子をみる限り、そちらも片付いているのだろう。
ただ、ここまで桃に引き合いにだされるものだとは、本人も思いもしなかっただろうが。
「あー、昔の女ですかぁ」
桃にそう言われて、隼生の実家で聞いた美作雪のことを思い出した。隼生がストーカーしたと噂になった女性だ。本当のところは、まだ隼生に尋ねてないから分からない。
それでも、隼生が好きになった女性だったとしたら、ちとせからしてみれば羨ましいことこの上ない。
「何? 昔の女で喧嘩したの?」
サチが片眉をあげて意外そうに聞いてきた。
それはそうだろう。隼生に浮ついた噂など、会社ではなかったのだから。
ちとせは苦笑してから、
「それも違いますって」
と否定した。
「まあ、飲め。今日は浴びる程飲むの、許してやるから」
男らしいサチの発言にちとせは苦笑してから、「酔ったら、サチさんに介抱してもらおうかな」と頭をサチにもっていった。
サチはそれをヒョイと避けてから、
「それこそ酔ったら、浅間さんとこ、行けばいいでしょうが」
と言ってきた。
(う、今、一番言ってほしくないことを)
酔いの勢いで付き合ったことを隼生に後悔されてるなんて、そんなことでうまくいってないなんて、悲しくて言えやしない。
サチもまさかそんなことで悩んでいると思っていないからそう言ったのだろう。他意も悪意もないから、その言葉が余計にしんどい。
それでもちとせは、はにかみながら、
「ドアの前で門前払いされますよぉ」
とボヤいた。
「そうかなあ? 浅間さん、ちとせちゃんのこと、大事にしてると思うけど?」
そう言ってきたのは会話の聞き役に徹していた桃だった。
「浅間さん、最近は私とちとせちゃん、間違えなくなったよ?」
ニコニコと嬉しそうに微笑まれて、ちとせは何も言えなくなってしまう。
「桃さんに後ろから声かけなくなっただけじゃないですか?」
「そんなことないよ。後ろからでも私って分かるみたいだよ。きっと、もう間違えないよ」
「ただの慣れです」
そこまで言い切った時、サチがダンッとジョッキをテーブルに乱暴に置いた。
そしてちとせを見ながら言う。
「ただの慣れだろうが、前よりはちとせを覚えてるんでしょ? いつもの自信満々なちとせはどうした?」
(本当にこの人は、痛いところついてくるのが旨いなあ)
サチじゃなくて、サドって改名すればいいのに、と心の中でだけちとせは思った。多分、口に出したら、明日から会社に行けなくなることは間違いない。
「今、ちょっと凹んでるんで甘やかしてくださいよぉ」
だから、ごまかし半分、本気半分でそう言ったのだが、つくづくこの先輩はちとせに優しいらしい。
「ちとせは甘やかして伸びる子じゃないでしょ?」
ニッコリと、ビールを飲んでいるにも関わらず綺麗な唇で、サチが妖艶に微笑む。
その笑顔だけでちとせは完敗だ。
ちとせはグイッとビールを飲み干すと、時計を確認する。
時刻は7時過ぎ。今日は定時退勤推奨日だから、隼生も家に帰っているかもしれない。
「すいません、先帰ってもいいですか?」
二人を見ながら頭を下げると、二人ともニッコリ微笑んでいてくれた。
「取り敢えず、足掻いてみます」
「頑張れ」
「ちとせちゃん、頑張って!」
背中を押された気持ちで、ちとせはその席を辞した。
そんなちとせが帰った後、日本酒に切り替えた桃は、ほんのり頬を染めながら、サチに言う。
「やっぱりもっと親睦を深めたらいいんじゃないかな?」
「は? どういう意味?」
「浅間さん、草食系でしょ?
だから、肉、一杯食べたらいいんじゃないかな?」
「は? どういう意味?」
もう一度、サチが聞き返したが、桃は頭の中で勝手に計画を練り上げているらしく、携帯のカレンダーを開いて曜日を確認している。
「来週とか、皆余裕ありそうだよね!」
「も、桃?」
「バーベキューなんてどうかな?! 肉、沢山食べられるし最高じゃない?」
桃がウキウキとあれこれ提案するのを見ながら、サチはもう一度、問いかける。
否、ここまできたらそれも意味がないことを分かってはいた。分かってはいたが、聞かずにはいられなかった。
「もしかして、バーベキューするつもり?」
桃は満面の笑みを浮かべ、
「美味しいお肉、沢山買おうね!」
と言った。
間違いなく、肉が食べたかっただけたろうな、と思いながらも、今回も自分はこの愛すべき仲間たちに振り回されるのか、とサチは覚悟を決めた。
☆☆☆
ピンポン、と遠慮がちにチャイムを鳴らす。部屋の電気はついていたから隼生は帰ってきているのだろう。
『はい?』
問いかけがインターホン越しに聞こえたので、ちとせは緊張しながら「ちとせです」と名乗った。
『ちょっと待ってて』
返事はすぐに返ってきて、迷いも躊躇いもなくドアが開く。
ドアをあけて隼生を見た瞬間、
(私、やっぱりこの人のことが好きだ)
馬鹿みたいにそう思った。
会社でだって会えていたのに。
それでもこうして面と向かって、目が合えば、募るのが恋心ってもので。
気がついたら隼生の胸に飛び込んで抱きついていた。
「ちとせ?」
「......隼生さん、好きです。好きなんです」
声が震える。体を剥がされてしまうかもしれない。拒絶されるかもしれない。
色々怖いのに、それでも会えばこんなにも磁石みたいに相手にくっついてしまう自分が本当に馬鹿だと思う。
(これしか知らないんだ、悪いか!)
隼生は無理にちとせを剥がすことはしなかった。ちとせを抱き寄せるとドアを閉めてきちんと鍵をかける。
几帳面な隼生らしい。
そしてそのまま、ちとせの背中に手を回してから、少しだけその手に力を込めて、きゅっ、と抱きしめてくれる。
「お前なら他にも男いただろうに、どうして俺なんか選んだんだ?」
頭の天辺から聞こえてきた隼生の呟きに、思わず下唇を噛み締める。
隼生のその言葉が、後悔しているみたいに聞こえたからだ。
「隼生さんだから」
ちとせはにっこりと微笑んでそう言った。
本当は泣きたいのに、こんな時でも、自分は笑ってしまうらしい。少しは泣けたら可愛げもあるのに、そうでない自分はどこまでひねくれ者なんだろうと思う。だから、すぐ男にも振られてしまう。
分かっている。分かっているのに、それでも泣けないのだ。
「隼生さん、隼生さんも少しは私のこと好き、ですか?」
声が震えないように気をつけながら問いかけた。そんなことをちとせが隼生に尋ねるのは初めてだった。
隼生は何か口を開こうとして、そして閉じてしまう。
(何? 何を言いたいの?)
「どんな言葉だって隼生さんの本心なら、私は真っ直ぐ受け止めます。だから、お願い。
言って?」
隼生の胸に縋ったままそう願うと、隼生はぎゅっと唇を噛み締めた。
(隼生さんの心が知りたい)
切にそう願った瞬間、隼生がポツリと漏らす。
嫌えたら、どんなにいいだろう
ちとせが隼生を見上げると隼生は苦しそうに眉を寄せる。
初めから嫌っていたら、ちとせにこんな力だっていかなかったし、ちとせが怪我することも無かったのに
ちとせの手首をやんわりと握りながら、隼生が呟いた。とても微かな声で。
だけど、その声だけで、隼生が感じていたものが、ちとせには分かってしまう。
「そんなこと、言わないでください。
隼生さんの力のおかげで大島さんも助かったんです。私の腕だってそんなに酷い傷じゃないですよ?」
嬉しくて、自分の手をやんわりと掴んでいた隼生の手を持ち上げて、頬ずりした瞬間、隼生が大きく目を見開いた。
【聞こえてるのか?】
「聞こえてますよ?」
隼生の顔が困惑していく。
(何? 私、頬刷りしたの気持ち悪かった?)
思わず隼生の手を見つめてしまうと、隼生が戸惑いながら、
「気持ち悪いわけがあるか」
と言った。
(あれ? 私、言葉にだして言った?)
戸惑いながらお互いに顔を見合わせる。
隼生は一度、息を逃すとちとせを見て言う。
【ちとせ、聞こえるか?】
「聞こえますよ?」
【話すな。頭で返せ】
「頭?」
【口! 俺の口、動いてないだろう!】
そう言われて隼生の口を見ると、確かに動いていない。そして、隼生がちとせの口をその手で抑える。
【ちとせ、何か思え】
【何かって、ナニか?】
その内容もどうだと自分で思ったが、しかし思った瞬間、それが会話として隼生と成り立つことに気づいた。
【え? これって....】
【テレパシーみたいなもんか? 相手の思考と自分の思考が交互にいきあってる】
頭に直接響く声に戸惑いは一瞬だったが、直ぐにこれが何か気づく。
【これって力、ですか?】
【そうだろうな。俺はこんな力、なかったけど】
隼生の表情は変わらないが、思いもかけない言葉が頭には響く。
【何で俺の時にはこんな力なかったのに、ちとせには現れるんだ?】
それは自問だったのだろう。
だが、脳裏の声は簡単にちとせにも届き、ちとせも答えるつもりはなくても考えてしまう。
【確か隼生さんのお父さんは、愛の力が強いほど力も強くなるって言ってたよなぁ】
「は? 何で親父が?」
隼生の驚きは思わず言葉にして現れる。
ちとせはギャッと叫んで頭を抑えてしまうが、頭の中で思ったことは筒抜けだ。
【この前、隼生さんの実家に行ったこと、ばれちゃう! それだけならまだしも、他にヤバいことあるよね?! 隼生さんがストーカー扱いされた美作さんとのこととか、後で聞こうと思ったけど、流石に今はヤバいよね!?】
「...........」
「...........」
お互いに顔を見合わせてしまう。
隼生の眉間に皺がよる。
【あぁ、怒らせてしまう。嫌われたら嫌だ】
とっさに思った痛みさえ筒抜けだが、それに対しても思いもかけない言葉が頭に直接返ってくる。
【嫌うわけあるか】
「え?」
「ちょっ! まっ!」
隼生が珍しく動揺している。
口を閉ざそうと手で口を押さえるが、心の声はだだ漏れだ。
【今はそんなことじゃなくて、俺の実家に勝手に行ったこととかだろう! 美作のことも何で知ってるのか聞かないと! だけど、元はと言えば俺のせいだから........】
隼生はそこまで頭の中で呟くと、やがて重いため息をついて、
「取りあえず今からは、思ったことも全て話そう」
と覚悟を決めた。




