手土産はキャロットケーキ
「おじゃまします」
神妙に私はそういって、家に入った。
本人がいる状態で初めて入るシェフ宅。数週間前に訪れた時とあまり変わっていないような気がした。そもそも住んでないというのだから変わりようもないと思うけど。
家主であるシェフは休日らしいラフな格好ではある。ただ、こちらもちょっと緊張しているようで……。伝染する緊張感よ……。
家に入って応接室とかリビングではなく、キッチンに案内されるのが、とてもシェフっぽい。
入った瞬間にちょっと違和感があった。なんだろうと思えば、椅子の数が増えていた。いい感じに古くなっている椅子の向かい側に真新しい椅子。
もしやと思ったら、食器類も増えていた。
なにを言われたわけでもないのに、私のだと思って、恥ずかしさのあまり顔が赤くなった。飛躍しすぎである。来客用で新しく、いや、来客は私しかいないか、いやいや、知人友人が、来る? だろうか?
ぐるぐると考え出して、明らかに挙動不審だった。
怪訝そうに見られて緊張のあまりぐいっと手に持つ紙袋を押し付けてしまった。
「お土産です。宿泊先でちょっと台所借りました」
宿泊先である。自宅にはまだ戻ってない。
王都に戻って一週間。一日目、聖女様のお付き合いで終了。二日目から普通に過ごせるかと思いきや私とシアさんは四日目まで付き合うことになった。弟子たちは早々に解放され、自宅に帰っている。こちらはちゃんと家族に口止めして、言い聞かせておけよという話らしいけど。
天涯孤独な私と実家が遠いシアさんはその必要なし。聖女様の専属が決まるまでの護衛代わりで駆り出されたのだ。
シアさんは私何にもできませんけど? といいながら、メイドのお世話能力を発揮していた。
そのシアさんは、私の専属メイドになって! 聖女様に迫られていたが断られていたのを見た。軽いお付き合いはいいけど、どっぷりと漬かるのはちょっと……というのはわかる。
その次のお友達要求は断り切れず、応じていたようだけど。
で、帰宅した五日目。
家に荷物がなかった。荷物どころか家具もなかった。がらんと広がった部屋よ。意外と広かった。
「あの、荷物どこ?」
店内の色々をチェックしていた弟子のひとりに尋ねるときょとんとした顔で見返された。
最初にお店側を修理したので、こちらはほぼ直っており、家具類は設置待ちで部屋の片隅にいる。
「ありますよね?」
「えっと、私の」
「え? あ、ああっ! 倉庫です。手配忘れてました」
慌てて配送を頼むも三日は待ってほしいと言われた。これは完全に自分のミスだ。申し訳なさそうにする弟子たちに、私が悪かったんだってと返して、はたと思い出す。
「じゃあ、泊まる場所を」
またしても断られた。シアさんも、うちはちょっと……ということ。ただ、いい伝手があると別の宿泊所を紹介してもらった。
家政婦派遣会社のようなものが世の中にはあり、住み込みの仕事が決まるまで格安で泊めてくれる簡易宿泊所のようなところがあるそうだ。ただし、一泊二日などというのは出来ず、一週間単位、さらに空きがあればということだった。幸いというべきか、一室空きがあるそうで泊まることはできた。
最初は所属してない人はちょっとという対応だったが、私の素性を明かせば掌返し。レシピ一つで無料滞在が確定した。ついでに講習会も。
そして、その講習会で作ったものが手土産である。朝からつかれた。
明日は朝から荷物の受け取り予定なので今日は早々に切り上げて帰る予定である。予定が、予定してくれるといいけど。
「おいしそうだね」
「キャロットケーキです。そのうち聖女様お墨付き、ニンジン嫌いも好きになっちゃうとか言って売り出してやります」
聖女様印使い倒してやりますよ、という気になった請求額だったんだ……。赤字がひどい。真っ赤過ぎる。二か月店は使えない、売り上げなし。修繕費と支払い等々はある。当然の結果だ。返してもらうあてはあるが、そちらも即金は無理と言われていて。他にも一周年のアレコレの出費は出る予定だし……。いつか、二号店費用と思っていた貯蓄も底が見える。
帳簿を一緒に見ていたテオが、あ、俺、しばらく給料いいですよとか言いだすレベル。さすが商人の息子、やばさ具合がわかる。
さすがに借金まではいかないまでも、早々に立て直さないとまずい。
という話はシェフにはしない。店の話になると際限なく、仕事の話に流れていくから。過去の実績は偉大である。
シェフは私の話に苦笑しながらもキャロットケーキを白い皿にのせていた。
マグカップにたっぷりの紅茶も飾り気はないが日常という感じだ。
向かい側に座られて、さあ、何から話すべきかという段になって、沈黙が訪れた。仕事以外という縛りがあると何から話していいのかわからなくなる。
「今日はお休みと聞きましたけど、明日は?」
天気の話はさすがにどうかと思ったんだけど、この話題もどうなんだろう。
「一週間休む。少し疲れた」
「ですよね……」
はっ、この流れはまずい。
私、今日は呼び出されたんだった。きっと、旅の間なかったお説教時間がっ!
「一階の部屋は好きに使っていい。古いが、それなりに手入れしてきたから短期で使うには問題がないはずだ」
「……?」
「しばらく、店として借りたいと言っていただろ?」
「そっちの話でしたか……」
確かに鍵を返すときにそういった。その場では軽くわかったと言われただけなので、どの程度の認識でいたのかはちょっと不明だったけど。ちゃんと覚えていてくれたらしい。
「なんの話だと思ったんだ?」
「怒られちゃうかなと」
「なにを?」
「その、色々あったじゃないですか」
細かく言うと細かく言われそうなので、全体的にぼやかしてっ!
怒られたいわけでもないけど、怒られるようなことはした自覚はある。いっそ、止めを刺してくれという気分になりつつあった。
「そうだな。しいて言えば、道中でも思ったんだが、君は師匠というより上官だ。彼らは弟子というより忠実な部下」
「はい?」
「それも師匠が言うなら、応えましょうというタイプじゃない。
望みを先回りしてかなえようとする。彼らの取り扱いは気をつけたほうがいい」
「そ、そうですか……」
想定してないほうからやってきた。
「それとも、一度、話をしておこうか?」
……なんだろう。普通の話し合いではない気がした。首を横に振って否定の意を伝えたが、ちょっと残念そうな顔なのなんで。
そんなにまずいやつらなの? 意外と優秀過ぎちゃうの? 基準がわからないから、異常とかわかんないのよ? 履歴書とかもらっておけばよかったのだろうか……。ざっくり経歴しか聞いてないよ。
「一人なら無謀と言っただろうが、あの弟子たちがいて、聖女までいたら危ないことはないだろう。
助かったのは、本当」
そういってため息をつかれた。それも重すぎるやつだ。
「でも、危ないことはしないでほしかった。
生きた心地がしないというのはああいうことを言うんだろうし、思い出しても心臓が痛い」
「そ、それは申し訳ないです」
「いや、いい。俺もそんな思いさせたんだろうと気がついたから。
お互い様だった、ということにしておこう。次はお互いしない」
「ライオットさんはまた行ってしまうかもしれないじゃないですか」
「しない。もう、城務めはやめることにした。
場合により騎士の称号も返上する」
「……え」
「ああいう使い方をもうされたくないんだ。
結果、無職になりそうだが」
「そ、それなら、うちの支店をお任せしますけど、本当にいいんですか?」
「いい。20年近くいたんだ。もういいだろう」
「……長いですね」
一桁年齢から城務め。お疲れ様ですという気分になる。
「ずるずると居たようなものだ。
……で、支店?」
「喫茶店、開店したいなって。
お店の前の持ち主秘伝のレシピがありましてね。使わないのももったいないと思っていて。
アズール閣下が良い立地の家があるとか」
「なるほど」
「ご存じですか?」
「ここだ」
「へ?」
「俺が持て余しているのを知って、売らないかとこの間来た」
「ええと売却するんですか?」
「使うあてがあるからと断った」
その使うあては私である。
そして、支店としてほしいのも私である。
で、支店話を知らないライオットさんは断り、仮店舗として貸してほしいとお願いしたことを知らないアズール閣下は断られた。
「閣下に次の当てがあるんですかね?」
「なんとかするだろう。
で、ここを使うのか?」
「ライオットさんが良ければ、貸してもらいたいです。あと、店長もしてほしい」
お城のシェフを辞めたではなく、直々に引き抜いてとか言えばいいのだ。物は言いようだ。
「それは検討しておく。
まあ、しばらく使ってからでも遅くないだろう。意外とダメなところもあるかもしれない」
「うーん。応接室とかでアフタヌーンティーセットだすとかいいと思うんですよね」
気がつけば、仕事の話になり、あれこれ話しながらもメモ書きをし、いつの間にやら夜になっていたのだった。




