59 ごめんなさい
あの魔女が屋敷に来た。どうやら我が家の真実を知ってしまったらしい。
ヴァドキエル家は今後、魔女に危害を加える事がない代わりに、魔女は真実を世間に公表する事はない。そう取り決めが決まったそうだ。
私はベッドから起き上がり、ベッドサイドに置かれていた手鏡で自分を映す。
どこも爛れていない顔を見て、安堵で目を瞑りながら、もう何度目か分からないため息を吐いた。
王太子殿下の婚約者となった時、私は精一杯愛されようと、未来の王太子妃として恥じぬ姿であろうと努力した。
そのお陰でお互い恋愛感情はないが、殿下と仲睦まじく過ごしていたと思う。……だがやがて、殿下が病にかかった事で全てが一変した。
殿下と共に生きるのだと考えていた私を、勝手に婚約破棄させたお父様。家と、私の事を想ってくれての行動だと分かっている。
けれど当時の私は、そこまで想いをくみ取れなかった。私の生きる使命を無くされた、そう思ってしまった。
あの魔女は、そんな私が必死に築いた殿下との関係を壊していった。遠くからでも分かる、殿下があの魔女を見つめる目。……婚約者だった時の私は、得られなかった目線だった。
だんだん魔女の存在が大きくなるにつれて、私の存在意義がなくなっていく気がした。勿論、誰にもそんな事は言われていない。ただ、イヴリンへ投げかける皮肉は止められなかった。
あの魔女が羨ましい。話す言葉は着飾らず、かと言って絶世の美女でもない。なのに権力者から気に入られ、私が必死に求めた立場にいるあの魔女が。
私はゆっくりと目を開き、再び自分の姿を確認しようとした。
だが、再び目を開き手鏡を見た時。
私の後ろには顔の皮が剥がれた男がいた。
驚き悲鳴をあげる前に、私はその男にベッドに倒される。倒されると同時に、男の顔から溢れた蛆が落ちていく。
覆いかぶさる男は、肩で息をしながら私を凝視した。と言っても、蛆の頭の何処が目玉か分からないが。それでもこちらを見ているのは分かる。
幼い頃、わざと目や口から蛆を出された時は恐怖で泣きじゃくったが、それでも次第に慣れて蛆に触れられる様になった。……違う、この化け物に触れたくなった。
小さく息を吐いて、私はその蛆の化け物を見つめた。
「契約では十八歳の筈。……今日どれだけ腹が立ったのか知らないけど、あと三年よ。抑えて」
「………ッ」
覆いかぶさる男の手が触れた。やけに冷たいその手に、自分の手を絡ませていく。
そう、私は三年後。この化け物に純潔を捧げる。
五歳の時に家の真実を告げられ、ヴァドキエルの娘は皆そうしたと教えられた。だからこれはこの家に生まれた義務だと思うし、納得もしている。
私の存在意義、私だけを見てくれる存在。
ああよかった。もし顔が崩れていたら、この化け物にも見限られていたかもしれない。……そんなの、耐えられない。
怒りのあまり震える蛆へ、私は目を細め微笑んだ。
嗚呼、お願いだから、お前はずっと私を見ていて。
◆◆◆
ヴァドキエル家を無事に片付けたが、その問題以外で大変体力を使った。
流石に疲れたので早めに寝ようと、私は屋敷に帰るとすぐに風呂に入る。すぐに入れる様に、ケリスが湯を用意してくれて助かった。末期の変態だが、メイドとしては本当によく働いてくれる。
酷使した体を湯船で癒やし、気分良くタオルを回しながら風呂場から出た。
そしたら目の前にサリエルがいた。突然の登場に大きく悲鳴をあげ後ろに下がると、脳筋悪魔は無表情でそれを見届けている。奴も風呂に入ったのか、執事服ではなくラフな格好だ。
「ご主人様、お話があります」
「おっ、おう」
用件の前に、素っ裸見てごめんなさいとか、先に言う言葉があるだろうが。そう思ったが言い出したらキリがない気がしてきた。
むしろ普段は完璧に着崩さない執事が、髪とシャツを着崩した姿でいるのが新鮮だ。なんだか官能的、これがギャップってやつか。
とりあえず、素っ裸の姿でいるのは恥ずかしい。ベッドの上に置いていた寝巻きを取り着ていく。その姿を見ながら、サリエルは動かず無表情で口を動かした。
「……先日の舞踏会で、パトリック・レントラーに術を掛けました」
「術?悪魔の血を引くパトリック様に?」
「あの者は無意識にご主人様の夢に入り込み、手籠めにしようとしていたので」
寝巻きを着た私は、一人掛けのソファに座りサリエルを見た。
……やっぱりか。この前のパトリックの言葉が気になっていたのだ。やけにリアルな夢で、意識もしっかりしているのに目が覚めないのだ。可笑しいと思った。
という事はあの時の夢の中のサリエルは、助けに来てくれた本物という事か。普段と違い随分と可愛らしかった。ずっとあんな感じで居てほしい。
あの時の自分を思い出し、思わず苦笑いをした。
「あのままだったら、確かに私は貞操の危機だったね。……でも、あのパトリック様に効く悪魔の術なんてあったの?」
パトリックは悪魔の血を持つ。だから過去に記憶を消す事が出来なかった筈だ。
私の質問にサリエルは、表情は変えずに目線だけ下に向けた。
「…………悪魔の術ではなく、天使の術を使いました。それなら悪魔にも通用しますから」
「…………ああ、成程」
私はその言葉で、奴が言いたい事を大体理解した。
つまりは、パトリックが私の夢の中に入り込むのを防ぐ為に、サリエルが天使の術を使った。その結果あの天使が私を見つける事ができたのだ。
サリエルはこちらを向くと、耐えるように唇を噛んでいた。
それ以外はいつもの無表情の彼なのに、普段よりも幼く見える。
「お怒りでしたら、どんな罰でも受けます」
「……どんなのでも?」
「はい」
「……ふーん」
私は頬杖を付きながら、目の前の悪魔をどうしてやろうか考える。
「私を守る為とはいえ、了承なしに勝手にパトリック様に術を掛け、その所為であの天使に気づかれた。……それで、天使はゲイブ・ウィンターとなり私の前に現れたと」
舞踏会が終わった後、使用人達にゲイブ・ウィンターを調べてもらった。
彼は以前から存在する人物だ。元々王室の寵愛を受ける私を嫌っており、更に姉を呪い殺したと信じているのか相当恨んでいた様だ。なので陛下もルークも気を使って私に紹介しなかった。………なのに、あの舞踏会で現れたゲイブ・ウィンターの事を、ルークは何も気にせず私へ紹介した。
つまり、あの天使は周りの記憶をねじ曲げ、かつ本物のゲイブに成り代わったのだ。なんとも恐ろしい天使様だ。
「……サリエル、天使の術使えたんだ」
「使えますが、神に背いた立場で行うので体に代償が出ます」
「えっ、大丈夫なのそれ」
「すでに完治しています」
「私を使ったな」
「はい」
素直に言ってきやがった。……まぁでも、よかった治ってくれて。万が一その所為で彼の淹れる紅茶が一生飲めない、なんてなったら最悪だ。
私が安堵でため息をしていると、サリエルは一瞬だけ眉を顰める。
「…………ですが、僕が勝手に術を使った所為で、ご主人様を危険に晒したのは事実です」
だから罰を寄越せ。という事か。
私はため息を吐いて、サリエルを手招きした。
「おいでサリエル」
「……はい」
何か体罰を受けると思っているのか、サリエルはゆっくりとこちらにやって来る。
サリエルが触れられる所まで来た所で、彼の腕を掴み引っ張った。
そのままバランスを崩し床に膝をついたサリエルを、私は包み込むように抱きしめた。
驚いているのか、反応が全くない。私はそんな彼に語りかける。
「よしよし、よく頑張ったね。えらいぞサリエル」
丁度私の腹あたりに頭があるので、やさしく撫でてやる。
サリエルは腕の中で暫く黙っていたが、やがて小さく声を出した。
「……罰を与えて、くださらないんですか?」
「必要ないじゃん。守ってくれたんでしょ?むしろ何で罰を与えると思ってたの?」
「ですが、その所為で天使はご主人様を見つけてしまいました」
「天使が何をしようとしてるか知らないけど、まぁどうにかなるでしょ。皆もサリエルもいるんだし」
本当は行動に出る前に相談して欲しかったが、それでもこの悪魔は契約に従い、私をパトリックから守ってくれたのだ。
そのまま撫で続けてやると、幼い悪魔はぎこちなく腰に手を回し、夢の中でしていた様に、今度は腹にぐりぐりと顔を押し付ける。
そんなサリエルくんの姿に笑いながら、私は囁くように言葉を続けた。
「まぁでも、今度は行動する前に教えてね」
今回は良かったが、最悪の場合パトリックが殺されていた可能性だってある。絶対にそれは阻止したい。またヴァドキエル家の様な事になるのはごめんだ。
私がそう考えながら頭を撫でていると、顔を埋めていたサリエルは小さく息を吐いた。
やがて顔をあげたと思えば、そこには無表情……ではなく、恥ずかしそうに顔を赤くしているサリエルがいた。
「……ごめん、なさい」
…………心臓に思いっきり杭を刺された。その位の衝撃的な姿と言葉だ。
サリエルはすぐに顔を下げ、またぐりぐりと顔を埋めようとしてくる。……えっ!?何その顔!?かわいいね!?
「ちょ、ちょっと顔もう一回見せてよ!!」
「嫌です」
「えぇなんでぇ!いいじゃんちょっとくらい!!」
「はっ倒しますよ」
流石に言い過ぎたのか。サリエルは、そのまま朝まで腹にくっついていた。
ちぇ、折角また可愛いサリエルくんが見れると思ったのに。




