42 噂と現実
ダニエル・ジョンソン神父。彼は自分にも他人にも厳しく、そして寡黙な男性だったそうだ。
孤児院に入った子供達には特に厳格であり、問題を起こした子供達に鞭を振るう事も多々あった。優しさが一切なかった神父は、子供達には恐れられた存在だったらしい。
応接室へ向かう間に教えられたジョンソン神父の性格は、新聞で書かれていた様な、欲に塗れた男とは全く逆だった。
「確かに神父様は、とても厳しいお方でしたが……子供達に厳しいのも、将来孤児院を出た際に苦労しない為の優しさから出たもの。子供達を導く父としてあろうとしただけです」
前を歩くシスターは、目線を下げて悲しげにそう言った。
確かに、この国は他国よりも豊かではあるが、それ故に求められる素養も高い。ましてや親が居ない孤児院育ちの子供には、厳しい場面もあるだろう。
シスターは、ある部屋の前で立ち止まると、こちらを見ながらゆっくりとドアを開ける。
「こちらの応接室でお待ちください。今お茶をお持ちいたします」
そう案内された部屋は、手入れのされた年代物のソファと、真ん中に小さなテーブルが置かれた部屋だった。私とエドガーが部屋に入ると、シスターはお辞儀をしてすぐに出て行った。
部屋の中はソファとテーブル、そして壁一面に本棚が置かれている。本棚には大量の本が隙間なく入れられており、その所為で小さな部屋なのにやけに圧迫感があった。……それに、床の四角い日焼けの跡。これは長年何かが置かれていた為に残った跡だ。
既にソファに腰掛けているエドガーへ、目線を向けた。
「ここは、前はジョンソン神父の執務室だったんですね」
私の言葉に、エドガーは目を細めながら笑う。
「どうして、そう思ったか聞いても良いかい?」
「……壁一面の本棚に置かれた本は、過去の孤児院の記録帳と聖書。そして子供向けの教材です。床の日焼けの跡は長方形。その近くには何度も何かを引きずった跡もある。これは椅子を何度も動かした跡でしょう。となれば長方形は、椅子が必要な執務机です。部屋変えをした可能性も考えましたが、となれば本棚に本が置きっぱなしは可笑しい。片付け途中だとしても、客人をここに招くのはあり得ない。……ですがもう使う必要がない方なら、話は変わります」
喋れば喋るほど、エドガーは口元に手を添え感心した表情になっていく。
「……君はすごいな。その通り、ここはジョンソン神父の執務室だった。教会本部が机と椅子を破棄したんだ。余計なものが出て、更に泥を被るのが嫌だったんだろう」
「臭いものには蓋を、という事ですか」
「神を崇拝するだけじゃあ、慈善活動はできないって事だね」
慈愛の心だけでは、金のかかる事は難しいという事か。エドガーの様な成功を収めた商人が言うと、とても説得力がある。
そういえば、彼とは何年も前に一度会っているとサリエルが言っていた。その当時の記憶はないらしいが、当時幼かった彼が、どうして記憶を消すのを拒んだのか気になる。私は彼の幼少期の様子を知るために、彼に質問をしようとした。
だが、口を開いた辺りで部屋のドアが開かれ、淹れたての紅茶の匂いを漂わせたシスターが現れた。トレーの上にあるのは、紅茶ポットとカップだろうか?
「お二人とも、お待たせ致しました」
「有難うございます、シスター」
エドガーとの話の途中になってしまったが、今は違法悪魔の手がかりを探すのが先だ。私はシスターにお礼を伝えて、ソファに腰掛けた。
……だが、エドガーは無言でこちらを見つめていた。
《 42 噂と現実 》
事件当日。いつもは朝早く起きて、子供達の朝食の準備を手伝ってくれる神父が来なかったそうだ。珍しく寝坊でもしたのかと手伝いは気にしていなかったが、その後朝食になっても一向に現れないのを不審に思い、神父の部屋に行った所、姿が見当たらない。
もしや急に教会本部に呼ばれたのかもしれない。そう考え帰ってくるのを待っていたが、その後すぐに来た自警団に、南地区の裏地路で殺されていた事を教えられ、皆大混乱したそうだ。
「私達が知っている神父様は、記事に書かれていた様な、欲に塗れる様な方ではありません。何故あの様な場所に行かれたのかは分かりませんが……きっと理由がある筈です」
「神父様は生前、南地区で何か用があるなど言っていませんでしたか?」
「いいえ、むしろ神父様は売春が蔓延るあの地区を、毛嫌いしておりましたから……どうしてあの方が、あんな場所で……」
シスターは途中で震えた声になりながらも伝えてくれる。よほどジョンソン神父を信頼し、そして今でも、記事の様な出来事で殺された事を否定しているのだろう。
私はなんだか居た堪れなくなり目線を逸らすと、壁一面に置かれた本棚の、あるタイトルが目に入った。
「……シスター、ここにいる孤児院の子供達は、ここを出た後どんな道へ進むのが多いですか?」
「え?……えっと……裕福な家や、貴族の家の見習い使用人として雇われたりする子もいますが……殆どは教会が紹介した、下町の工場などに行く子が多いでしょうか?」
「その紹介した中に、南地区での仕事もありますか?」
「《あそこの地区は、治安が悪いので子供達へ紹介していません。》………えっと、どうしてそんな質問を?」
「……ただの興味です」
やはり、南地区の話でノイズが聞こえた。今まで神父の名前や素行などで一切聞こえないので、本当にこの事件に違法悪魔が関係あるのかと心配したが……ウィンター公が教えてくれた通り、この事件にはまだ違う一面がある。
私はその後、シスターから孤児院の話、特に子供達の就職関係について教えてもらった。だがその辺りは殆ど神父の仕事だった様で、詳しくはシスターでも分からなかった。
おそらく他の手伝いの者に聞いても同じだろう。そう思った所で応接室のドアがノックされた。中に入ってきたのはフォルとステラで、二人とも頭に大量の花冠を乗せられている。
「ねぇねぇご主人さま見てぇ!たくさん作ってくれたぁ!」
「ご主人さまの分もあるよー!」
嬉しそうに私の元へやって来た二人は、自分に乗せられていた花冠を私の頭へ乗せた。その姿を見てシスターは小さく笑う。
「この前、丁度花冠の作り方を教えたんです。子供達とよっぽど仲良くなったんですね」
「あー……この二人、人の懐に入るのが上手くて……」
そう伝えているが、本当は二人ではなく一人、フォルがそうなのだ。
世間的にはフォルネウスと呼ばれるこの少年は、出会う人全てに受け入れられ、好感を持たれる能力を持っている。常に一緒にいるステラにもその術をかけているので、二人はどこへ行っても受け入れられ、そして愛されるのだ。まぁ容姿の部分もあるかもしれないが。
今現在で聞きたい事は全部聞いたし、二人も戻って来たのでそろそろお暇しよう。私はシスターにお礼を伝え、そのまま帰路に着くために立ち上がった。
だが、後ろからドレスの裾を掴んで止められてしまう。振り向けば、エドガーにやや名残惜しそうに見つめられていた。
「まだ時間はあるだろう?私の家がここから近いんだ。……よかったら、お茶でもどうかな?」
「…………」
「駄目かい?」
……実年齢は置いといて、私は外見だけは十八歳の小娘だ。そんな小娘に、約ひと回りは年齢が違うだろう男が、こんな仔犬の様な表情を見せるのはいいのか?……いや、そもそも小娘に一目惚れしてストーカーする様な男だったな。
だが好都合だ。私はこのエドガー・レントラーに話があった。
それはシスターとの会話で考えた仮説で、おそらくこれが正しければ、この男の情報が今回の事件では重要なものとなる。
私はドレスの裾を掴むエドガーの手に触れ、ゆっくりと撫でるように甲に手を這わせる。その感触にエドガーは手を震わせるが、されるままに受けいれている。
「ええ、喜んで」
微笑み提案を受け入れる私と、そんな私を熱っぽい目で見るエドガー。
…………を、フォルとステラは引き攣った表情で見ていた。ムードのかけらも無い。




