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28 六十年前


  受け取った古書の中身は、ハリス家がこの領地を国から授かった時からの記録帳だった。百年前の他国との戦争で手柄を得た騎士が、子爵位を賜りこの領土を得たと書かれている。


 だが戦争で焼け野原となり、敵味方の死体もまともに処理出来ていなかった領土は、とても作物を育てる環境ではなかった様だ。一番初めの百年前の写真は、生き残った領民と一緒に死体処理をしている場面だった。

 少しずつ領土を改善していく様子がその先も続くが、一度焼けた大地はそう簡単に癒えず、何年も苦労した様子が写真で続いている。毎年撮られているらしい領民とハリス家の写真も、皆食料が足りないのかやつれた表情だ。




 ……それが、六十年前の写真では急に緑豊かとなっており、領民が嬉しそうな表情で作物を採っている写真が載せられている。


 極めつけには、領民とハリス家の集合写真だ。そこには、髪型や服装は違うがハリス夫人と瓜二つの女性と、狩猟大会で貴族達と仲睦まじく話していた領民もいる。だが夫人は今と違い表情は薄暗く、写真も後ろの方だ。


 ……夫人に首に付けられている首輪は、今は国で禁止されている奴隷制度で、奴隷達が当時証として付けていたものだ。

 私はページをどんどん現在まで進めていくが、その全ての写真に夫人と領民がいた。それだけじゃない、ページを進める度に、昨日見かけた領民達の姿が増えていく。


「主?」


 私が固まっているのを見て、レヴィスは心配したのか声を掛けてきた。その声掛けにはすぐ反応が出来ず、代わりに思考を巡らせた。






 六十年前から豊かになった領地、そして六十年前から変わらない夫人達。参加者達の気味が悪いほどの平等具合、伯爵は狩猟大会初期からの参加者をほぼ記憶している。だが現在五十代である彼が、六十年前の大会の参加者まで覚える理由がない。



 ……そういえば大会中、庭で聞こえた銃声はやけに近くで聞こえた。つまりは山の中ではない、屋敷近くで引き金を引いた事になる…………







 …………『獣は、この屋敷を恐れて、近づいてくる事はない』……?







 私は、全てを当てはめた結果、ある仮説を組み立てる事が出来た。

 だがそれが本当なら、目の前にいるレヴィスは最初から全て分かっていた事になる。……分かっていながら、あえて私に伝えなかったのだ。


 ……悪魔が味方ではないと、あくまで契約での関係だと理解しているが、それでも裏切られた怒りが収まらず、心配そうに見つめる忌まわしい悪魔を睨みつけた。



「レヴィス、私を欺いたな?」



 その言葉に、レヴィスは目を大きく開き驚いてから……私へ微笑んだ。


「……何の事だ?」


 ここまで伝えても知らないふりをする彼へ、私は古書を持っていない手で腕を掴み、そのまま彼を自分に割り当てられた部屋へ連れていく為に廊下を進んだ。

 抵抗できる癖に、奴は穏やかに微笑んだままだ。その表情に腹が立って仕方がないが、私は心を落ち着ける為に大きくため息を吐いた。


「六十年前、先代ハリス伯は悪魔と契約し領土に豊穣をもたらした。その際に生贄となったのは奴隷だったマーシャ……今のマーシャ・ハリス夫人」

「って事は、今の夫人は皮を被った悪魔って事か」

「夫人だけじゃない。他にも何十年も見た目が変わらない領民もいる。全員悪魔で、さっき言った通り、参加者の人間を欺いて情報を聞き出していた。……でも、聞き出していたのはハリス伯や夫人へ伝えるだけじゃない。狩るのに都合がいい人間を探していた」


 たどり着いた部屋の扉を開けると、私は掴んでいた手を離しレヴィスの顔を見つめた。


「悪魔達は狩る人間を選んでいる。身内がいない、殺しても好都合な人間。下級悪魔の術でも周りを欺く事ができる人間……狩猟大会は、本来は悪魔が人間を狩るものだった。けれど毎年そんな事をしていたら、獲物の領民はどんどん少なくなっていく。……だから先代は「大きな獲物を狙える狩猟大会」として世間へ広め、獲物の人間を外から得る事にした」

「……この領地にいる悪魔も、人間の伯爵や領民も皆、共謀していたと?」


 部屋に置かれていた一人掛けのソファに座りながら、レヴィスはこちらを見る。そんな彼を睨みながら、私は持っていた古書を強く握りしめる。


「ミザリ様にこの古書を渡された時「獣は、この屋敷を恐れて、近づいてくる事はない」という言葉。……悪魔が住まうこの屋敷には、獣は恐れ周辺に寄ってこない。だから、あの庭で聞こえた銃声は、獲物を見つけた為に撃ったものではない。襲われた参加者、もしくはそれを見た参加者が悪魔へ撃った。……けれど、そんな事を言っている参加者も居ないし、今現在誰かが行方不明なんて話はない。つまりは、私にもこの屋敷中の皆にも記憶操作の術が掛けられている。……悪魔のお前には、効かないだろうけど」


 そう、悪魔の記憶や精神の術は、悪魔の血を持つ者には効かない。

 唯一物理の攻撃は効く様だが、それも同種族には半分以下の効果らしい。今回は記憶操作の術で、しかもレヴィスは上位悪魔の中でも更に高い地位を持つ。そんな悪魔が、今回の術に掛かっているなんてあり得ない。


 つまりは全て知っていて、レヴィスは私が契約違反する事に期待して黙っていたのだ。今すぐ殴り飛ばしてやりたい程に憎たらしいが、それが彼ら悪魔が三十年間切望している事だ。


 レヴィスは、まるで全て知らなかったかの様に微笑み続け、美しい顔で首を傾ける。


「………それで?」

「私や、他の人達に掛かっている術を解いて」


 ソファの肘掛けに腕を乗せ、頬を付くレヴィスは足を組み、こちらに目を細めた表情を見せる。それは慈愛に似たものだが、私には獲物を狩ろうとする獣の様に見えた。


「この屋敷、おそらく居なくなった人間に関係している屋敷外の奴にも全員、記憶操作されていると思うが……それが出来るのは、下位じゃなくて中位悪魔だな。まぁ、別に解くのは構わないさ」


 ゆっくりと立ち上がったレヴィスは、表情を変えずにこちらへ近づく。


「でもなぁ主。第四の契約を使うのはいいが……今回は舌しゃぶるだけじゃあ対価が足らないの、分かってるよな?」


 目の前までたどり着いたレヴィスは、私の頬をゆっくりと撫でる。手は湿っており、それは汗ではなく潮の匂いがする。

 私は深呼吸を何度かした後に、触れている手を握った。




「分かってるから、さっさと記憶を戻して」




 

 強く伝えると、レヴィスは穏やかな顔を止めた。

 その代わりに、半年ぶりに見せる獣の表情になった。








◆◆◆







 まだ煙の出ている拳銃を持つドロシーは、こちらへ歪んだ表情を見せたと思えば、奥で蛆まみれとなっている夫人へ駆け寄った。


「お母様!ごめんね遅くなっちゃって!」


 もはや叫ぶ事も出来なくなった夫人の元へ辿り着いたドロシーは、床に散らばる蛆を手で掴み、夫人の割れた頭へ詰め込んでいく。それはまるで、土遊びでもしている様だった。


「今集めているから待っててね、終わったらお姉ちゃん食べちゃおうね?」


 その言葉に我に返った俺は、側にいるイヴリンの腕を引っ張り後ろへ隠した。彼女は驚いているが、今この化け物達が狙っているのは彼女だ。


「おい、俺があいつらを止めるから、その間にお前は逃げろ」

「えっ」

「あの悪魔が狙っているのはお前だ。俺は足を挫いて、立ち上がる事は出来るが走れない。お前が逃げて叔父上や他の参加者に助けを求めてくれ」

「でも、パトリック様が」

「俺は大丈夫だ」


 心配させまいとそう言っているが、実際は今にも倒れそうだ。だが貴族として、弱い者を守る事を第一にしなくてはならない。……それに、彼女が傷付けられるのは、自分を傷付けられるよりも嫌だ。何故かそう思ってしまっている自分がいる。


 するとイヴリンは下を向き何かを考えている。だがすぐに何か答えを見つけたのか、彼女は意を決した表情を向ける。


「パトリック様、今からする事は救命活動です。ですので全く気にしないでくださいね」

「は?」


 何を言っているとかと思えば、言葉の後にイヴリンは俺の頬に手を添え、背伸びをして顔を近づけてくる。急に近づく彼女の顔と、彼女の香りが近づき思わず離れようとするが、後頭部を思いっきり掴まれ離れられない。


「なっ……!!」

「ちょっと周辺に手を切るものが有りませんので、唾液で観念してください」

「唾液!?」

「うるさいです気づかれます」


 彼女は睨んでくるが、唾液と言われた所で何をされるのか察している。……駄目だろう、婚約もしていない間で、接吻など!!


 そう頭の中では拒否している癖に、何故か行動の意味を理解した途端、体が動かなくなった。それをいい事にイヴリンはどんどん唇を近づけてくる。



 心臓の音が煩い、血管に流れる血が波打っている様な感覚まである。

 ……止めてくれ、こんなの、まるで俺が望んでいる様じゃないか。




 俺の表情を見て、イヴリンは一度顔を近づけるのを止めて驚く。……だが、直ぐにあの時の、俺を許した時にした艶やかな笑みを向けた。



「なんだ。パトリック様、ちゃんとインキュバスの血を持ってるんですね」

「は……」



 どういう表情を彼女に向けているんだ?

 それを聞こうにも、口を動かしてしまえば彼女の唇に触れてしまいそうだ。だが体も動かないし、彼女も再び顔を近づけてくる。




 そのまま、俺は観念して目を瞑った。










 だが、目を瞑った直ぐに彼女の小さな悲鳴が聞こえた。

 驚いて目を開けると、先程ドロシーに銃で撃たれていた筈のレヴィスが、青筋を立てて彼女の髪を掴んで、彼女を顔を俺から離していた。



「俺の目の前で、アンタ何してんだ」


 地を這う様な低い声で、髪を掴んでいるイヴリンへ語りかける。普段と違う恐ろしいその表情に、俺は本能的に怯え後ろへ下がった。

 だがイヴリンは掴まれた痛みで顔は引き攣っていたが、やがて表情を変え嘲笑った。


「こうすれば嫉妬深いレヴィスは、狸寝入りをさっさと止めるかと思って」

「…………」

「倒れたフリしていれば、正義感の強いパトリック様の事だから、自分を犠牲にして私を助けると思ってたんでしょ?私を狙う相手が減るし、もしかしたらパトリック様のお陰で悪魔も倒されるかもしれないから、レヴィスにはいい事尽くめだもんね?」

「…………」



 レヴィスは無言で彼女の言葉を聞いていたが、やがて大きくため息を吐き手を離した。

 普段の穏やかで、友好的な姿とは違い、まるで獣の様な表情と横柄な態度のレヴィスは、そのまま蛆を拾うドロシーと、まだ生きている夫人の元へ体を向けた。


 もう一度ため息を吐いたレヴィスは、こちらに振り返らず声を出した。


「主。今回、優しい俺は「抑える」って言ってたけどな。……それ、反故するからな」

「え!!」

「契約に追加しないで、口約束だけで済ませたアンタが悪い」



 それだけ言うと、レヴィスは夫人達の元へ歩き出す。

 奴が歩いた後には、何故か地面が濡れていた。……匂いからして、おそらく海水だろうか。


 必死に蛆を集めていたドロシーも、海水の匂いで気付き後ろを向く。

 レヴィスの表情を見た少女は、身体中を震わせ真っ青になっていった。


 「一仕事終えた後のご褒美で、対価を受け取るのを我慢してた俺に……酷い契約者だ、半端者に触れようとしやがって」


 海水はやがて増えていき、やがてそれは夫人達の周りを囲んでいく。夫人も、猟銃で口から上がなく目が見えない様だが、近づいてくる気配を感じ取り、その存在に荒い呼吸を始めた。




 レヴィスは、自分に怯える夫人達を見て乾いた声で笑った。



「主も、この位怯えてくれたらいいんだけどな」





 その言葉の後……水飛沫と一緒に、血と肉片が飛び散った。






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