棲家 【下】
暖炉の火がパチパチと燃える姿を眺めて、私はソファの上に……ではなく。ソファに座る、サリエルの膝の上に座っている。どうやらこのソファは固いらしい。お前の腿の方が固いわ。
奴は己の肩に掛けられたふわふわブランケットで、私ごと包み込んで抱きしめている。私の両手には紅茶の入ったティーカップもあり、極寒の世界にある家とは思えないほど暖かい。
ちょっと憧れてたんだよ、こういうカントリーっぽい家での生活。後ろ以外至福のひとときに深呼吸。そして素晴らしい提案を閃いた。
「ねぇサリエル、今度お前の部屋でマシュマロ焼きたいんだけど」
「でしたら、その際にはホットココアを用意しますね」
即答の言葉が素晴らしい。なんて有能で甘やかしてくる執事なんだ。この地獄に来てから下がりまくっていた好感度が少し上がった。
開催されるマシュマロパーティーに想いを馳せながら、ほんのり甘い紅茶を堪能していると、後ろから抱きしめる力が強まる。私は気にせず火を見ていた。そのままのんびり束の間の休息を……あ、そうだ。聞いてみたい事があった。今聞けば紅茶のツマミにはなるだろう。
「サリエルって、なんで堕天使になったの?」
奴に顔を向ければ、少し驚いた表情のサリエルがいた。
「ご主人様が、そういった事を聞いてくるとは思いませんでした」
「確かに、ちょっと前までは聞いても意味がないと思ってたよ。欺く悪魔なお前達へ、情を持ちたくなかったから。でも万年地獄に住む事が決まったし、もっとお前の事を知ろうと思って」
「……つまりご主人様は、僕が好きになったので、愛おしい人の全てを知りたいと?」
「なんでそうなるの」
斜め上の解釈に呆れてため息を吐けば、サリエルは小さく笑い声を上げた。そのまま奴は暖炉の火を見て、どこか懐かしむ様に目を細める。
……聞くべきものではなかったか?そう心配したが、奴は口を開いた。
「長い月日を、僕は熾天使として神に仕えてきました。神の命令は幸福であり、己の存在意味なのだと思い込んで。地位が高いのもあって、僕は神に信頼されているのだと確信していました。……ですが。そんな僕の確信を打ち砕く様に、一人の天使が現れたんです」
サリエルが過去を語る声は、とても穏やかなものだった。自分が堕ちた時の話ではあるが、奴の中では懐かしいだけになり変わっているのだろう。
「一人の天使?」
「ガブリエルです」
その名で、おおよその結末は理解した。サリエルは私の表情を見て頷く。
「自分よりも下位の、生まれたばかりの天使。そんなのが僕よりも神に愛されていた。ただの嫉妬が、神への憎悪に変わるのは早かったです。……憎悪に狂い、神へ謀叛を起こしました。天使が創造主に勝つはずもなく、僕は堕天使となり地獄へ堕とされた」
抱きしめられている腕が、更に強くなった。普段なら文句でも言ってやりたいが、今回だけは許してやろう。
「地獄に堕ちてすぐ「あの方」が僕を見つけました。僕を大層気に入ったらしく、直属の部下になれと勧誘を受けました。最初は天使だった頃の自尊心もありましたので、全力で逃げ回っていたのですが……逃げようとするたびに半殺しに遭い、結局「あの方」に従う事にしました」
「つまり無理矢理従わされたと」
「地獄は強さですべてが決まりますから」
前任が無慈悲すぎる。よくそこから今まで従う気になったな。……しかしまさか、このサリエルにそんな悲しい過去があったとは。
確かにルドニアに居た際、サリエルは特にガブリエルに辛辣な態度を取っていた。私を番だのなんだのにしようとしていたからだと思っていたが、過去の屈辱への恨みも多少はあったのだろうか。
紅茶を飲み干した私は、側のテーブルへカップを置く。そのままなんとかして奴へ身体を向ければ、整った黒髪に手を置いた。
目の前には目をまん丸にした、ちょっと可愛いサリエル。私はそんな奴へ笑いかけるのだ。
「私の親は見る目がないね。こんな有能な男を捨てるなんてさ」
皮肉に言いながら、サリエルの頭を撫でた。絹の様な黒髪は、何の抵抗もなく私の手を受け入れる。……暫く撫で続けていると、冷たい手が私の手を掴んだ。
繋がれた手はそのまま、サリエルの頬に移動する。暖炉に当たっていたからか、頬は手と違い温かさがあった。奴の赤目が、真っ直ぐ私を見据える。
「……もういいんです。僕は今、イヴリンと一緒にいられて幸せですから」
そうくしゃりと笑うサリエルの所為で、私の心臓が鼓動を強くした。……私は、この悪魔の笑う顔にめっぽう弱い。思わず目線を下げようとすれば、見越したかの様に顎に手を添えられる。次には柔らかい唇が重ねられて、すぐに離れて、そしてまた違う角度で重ねられる。
触れるだけのものが、段々と艶かしいものへ変わっていく。流石に胸を叩いたが、二倍の強さで胸を押された。痛い。身体はソファから床に落ちる寸前で、と思えば私がいるのはサリエルの胸の中。あっという間に抱えられていた。
驚く私など気にせずに、サリエルは己の口端を蛇舌で舐める。
「君の体に夢中になって、今では君の全てが欲しいと思うようになった。……君が神から、碌な力も引き継がれていなくてよかった。力無いただの人間なら、君がどれだけ僕を嫌がろうとも、僕は君を側に置き続ける事が出来る。この地獄なら、永遠に」
奥の部屋に歩みを進めながら、サリエルは穏やかにそう言ってみせた。奴にとっては求愛の一つなのだろうが、私には猟奇的な言葉に思えてしまう。
……取り敢えず、向かう場所の検討は大体付いているが……一応聞こう。
「ねぇ、何処に行くの?」
「寝室です」
「私昨晩で疲れてるんだけど」
「ええ、寝ましょう」
「お前の寝ると私の寝るが違う気がするんだ、痛い痛い痛い………ねぇ何で抱く力強くしたの?メリメリ言ってるよ?」
「一緒に裸で愛を囁き合いましょうね」
「ほらやっぱり!!やっぱりそういう寝るじゃん!!おいふざけるな下ろせ!!離せ!!離せーーー!!!」
大暴れて拘束から逃げようにも、めり込む勢いの腕の力には敵わない。サリエルは愛おしそうに赤目を細めて、寝室の扉を開ける。寝室には当然ベッド、しかもキングサイズ。その上にふわふわな毛布とブランケット。そして小さな暖炉が置かれていた。私達が室内へ入れば、勝手に暖炉の炎が付く。
優しくベッドに下ろされる。逃げようとしたら足をガシッと掴まれた。柔らかなベッドに己の身体が沈む。上から覆いかぶさるのは、既に燕尾ジャケットを脱いだサリエルだ。
暖炉の音に負けそうな程の、小さな声が耳をくすぐる。
「そんな可愛い抵抗で逃げれるとでも?ご主人様。先ほども申しました通り、僕は今幸せなんです。………だって、この地獄では天界や下界と違って、力あるものが正しいんです。誰かに愛される為に、繋ぎ止める為に必死になって、それで得られない苦しみはもうないんです。……嗚呼、本当にご主人様がただの人間で、地獄の主になってくれてよかった。今度こそ、僕は愛おしい人を永遠に所有出来る」
捻くれすぎる所有欲と恋愛感情は、やはり厄介でしかない。
……だが、最終的には「昼食までには終わらせて」と願ってしまうのだから……私は本当にこの悪魔達に弱い。




