棲家 【上】
サリエルのお話です。
三十年も関係を持っていれば、その人の性格や癖など察する事が出来る。其れが衣食住を共にしていた相手なら尚更だ。
故に無表情を貫いていたサリエルの事だって、ほんの少し変わる目つきや声で、奴のおおよその気持ちは理解できた。あー今怒ってるなとか、気分良さそうだなとか、私の尻見て悶々としてるななど。もはや夫婦の其れだった。
だが地獄に来てから……奴の考えている事が少々分からなくなった気がする。それは更に無表情になったから、ではない。逆だ。
まやかしの太陽が昇る朝。目の前で、巨大な蛇の尻尾がゆらゆらと揺れている。気分良く鼻歌でも歌っている様に揺れる其れは、私が起きていると気づけば頬に擦り寄ってきた。鬱陶しいので勢いよく叩けば、私の上半身を抱いていた腕が急激に締まる。メリッて音した。
「うぐ、!」
「僕の尾を叩くなんて、酷いじゃないですか」
後ろから、とんでもなく甘ったるい声が聞こえた。声の主は私の首筋に頬を擦り付けて、キュウキュウと甘えた鳴き声を出している。……私はされるまま、盛大にため息をついた。
「……サ、サリエル……おはよ」
後ろを向けば、寝ている私のベッドに寝転がり、後ろから締め付ける様に抱きしめるサリエルがいた。
しっかりと執事服は着ているし、サイドテーブルには白湯の置かれたトレーがある。故に起こしに来てくれたのだろうが……何故寝ている。起こせ。奴は己を言い当てられた事が嬉しいのか、一際うるせぇ鳴き声を上げた。
「お早うございます、僕の愛しのご主人様。今日の朝食はベーコンの入ったオムレツと、野菜のスープとパンと、食後に紅茶のゼリーです。紅茶のゼリーは僕が作ったんですよ?」
「うんありがとう。すぐ離れろ」
「今日のご主人様も、僕を唆るすごく良い香りです……スゥーーーーハァーーー♡」
「深呼吸するな」
首筋に鼻を当てて深呼吸をする脳筋。否変態執事。全力で逃げたいが、強く抱きしめる奴を振り払う力はない。地獄に来てからといい、こいつも他の悪魔も容赦がなくなったのだ。じっとりと奴を見つめる。
「ねぇ起きたいから離して」
「僕はもっとくっつきたいです」
「起こしに来たんでしょ、離してよ」
「じゃあ、朝の口付けしてください」
め、めんどくせ〜〜〜!!!もういい。サリエルが離してくれないので身動きできないし、面倒だし二度寝をしよう。そう思い目を瞑ろうとした途中、廊下から此方へやってくる革靴の音が聞こえた。
足音はこの部屋の前で止まり、ノックもなしに勢いよくドアを開ける。やってきた相手は予想通り、レヴィスだ。うーん、奴からバターの良い匂いがする。今日のパンはクロワッサンかな?
「おい蛇野郎!!片付けせずに主の部屋に行くなよ!!!」
レヴィスは青筋を立てながら、耳がひりつく程の怒声で叫ぶ。すぐに私と、私の後ろにいるサリエルに気づけば、奴の頭からビキッと音がした。怖い。
だがサリエルは首筋から鼻を離して、めんどくさそうにため息を吐き出すだけ。
「執事である僕が、料理人であるお前の仕事を手伝ったんだ。片づけくらいやれ」
「アンタが!どうしても作りたいって言うからやらせたんだろ!!ゼリー作るくらいで馬鹿みたいに洗い物出しやがって!!今すぐ主から離れろクソ野郎!!」
「……お前の分のゼリーも作った」
「それが対価みたいに言うな!!」
もう駄目だ、怒声やら何やらで目が覚めてしまった。最終的にはレヴィスがサリエルを剥がしてくれたので、私は食堂へ向かった。
地獄で過ごす中で、使用人悪魔達は下界にいた時よりも特段に優しくなった。ただの人間である私の好きな物を用意して、好きな食べ物を用意してくれる。極限の甘やかし悪魔に変わったのだ。例えで言うなら、付き合ってまだ一週間のアベックみたいな。
そしてサリエル。奴はとても感情豊かになったと同時に、アホになった。消さなくなった尻尾と共に感情を最大限に出して、基本的に私の側から離れない。五分に一度は「好き♡」とか「愛してる♡」など理解不能な言動をする。最初の方こそ頭がおかしくなったのかと心配したが、レヴィス曰く「所有欲と恋愛感情を拗らせてる」のだと唾を吐きながら教えてくれた。拗らせすぎだろ。
朝食を食べ終えた次は、運動も兼ねての散歩、というか見学がお決まりだ。この広い城の中も庭も、とても数時間で見終えれるものではないので、日々刺激があって楽しかったりする。昨日は地下を散歩した。現在も使われている拷問部屋だった。もう一生行くことはないだろう。
今日は城の西側、使用人部屋がある場所を散歩する。自身の健康のためなので、しっかりと腕を振り歩いているのだが、当然の如くサリエルもついてくる。もう何も言うまい。廊下を歩きながら、無言でついてくる奴へ声をかける。
「ねぇ、サリエルの部屋ってどこらへんなの?」
「棲家の事ですか?もう少し奥です。入って行かれますか?」
「うーん……いいや。ルドニアでのお前の部屋って、私物も何もなかったじゃん。つまらないでしょ」
振り返りながら伝えれば、サリエルは少し目を伏せた。
「ルドニアの部屋は……当初の僕の予定では、ご主人様がさっさと契約違反するはずでしたから。あの部屋に何を置いても、意味がないと思いましたので」
「悪かったな三十年も契約させて。……って事は、この城にあるお前の部屋は、お前の趣味全開って事?」
「まぁ……そうですね」
サリエルの趣味全開の部屋か。それはとても魅力的なワードだ。唯一の趣味とも言える紅茶も、私が好きでなければ淹れる事はなかっただろうし……サリエルの趣味か、自分の脱皮した皮を飾っているとか?
兎に角、気になるので喜んで行かせてもらおう。私が頷けば、サリエルは穏やかに笑って案内をしてくれた。
サリエルの部屋は歩いてすぐにあった。他の部屋と変わらない扉なのに、この部屋の前に来てから体が冷える。意味不明な現象に怪訝な表情でいると、サリエルがドアノブを握った。
「どうぞお入りください。暖炉の前で温かい紅茶でも飲みますか?」
「暖炉?」
何を言っている?そう問う前に扉は開かれる。開けた途端に扉からこぼれる冷風に驚き、そして部屋の中を見てもっと驚いた。
「なん……だ、これは……」
「僕の棲家です」
サリエルは平然と答えを返してくれるが……明らかに城とは異なる、温かみのある煉瓦の壁。中央には同じ素材で出来た暖炉が、パチパチと炎の音を鳴らしている。
暖炉の前には革の古いカウチソファが置かれており、その上には肌触りの良さそうなブランケットがいくつも置かれていた。
そして何より驚くのは、部屋の窓から見える景色だ。今日の天気は晴天のはずだったのに、外は猛吹雪になっている。サリエルが幻覚で見せているのかと思ったが、窓が凍り結露が出ているので、れっきとした現実の天候だ。
まるで秘境の山小屋の様な世界だ。目の前の景色に言葉が出ずにいると、後ろから扉が閉められる音が聞こえた。
「悪魔は数多の世界を渡る事が出来ます。ですので僕は静かな場所を好んで、生命が滅亡した世界に棲家を作り、その扉と城の扉を繋げているんです。他の使用人もそうしています」
「……つまり、城の扉を別の世界と繋げてる、って事?」
「ええそうです」
一瞬チラついたのは青い猫のロボット、彼が出すピンクの扉だ。ここでその人物の名前は言うまい。否言ってはならない。
私はしれっととんでもない発言をするサリエルを見て、そして再びカントリーハウスを見た。……つまりなんだ?この部屋は別の世界にある部屋で?しかもサリエルの好みの場所って事か?なんて技を持ってやがるんだ。私の部屋も常夏無人島に繋げてほしい。
かすかな希望を胸に、私は指を弄りながら奴を上目遣いで見た。このアホ悪魔は今は私の言いなり、となれば可愛くお願いすればやってくれるのでは?海辺でココナッツジュース飲めちゃう感じ??
「ね、ねぇサリエル……あのね、主してほしい事があっ」
「ご主人様の部屋を、別世界に繋げる事はしません」
「ケチ悪魔!!!」
悔し顔で地団駄した。サリエルはため息を吐く。
「当たり前です。ご主人様は地獄の主で、この世で最も魅力ある人間なんです。弱い主の個人の部屋を別世界にさせるなんて、他者と関われる機会を持たせるなんて、絶対にあり得ません。危険な俗物とは一切関らず、永遠に安全な地獄の城で過ごすんです。……それでも、僕の番になってくださるなら、規則の元で、ご主人様は僕以外に触れられる事を禁じられていますから……繋げても構いませんが……」
「誰がなるか」
ものすっごい強く尻尾で絞められた。
いやだって、一番の俗物がそれ言うんだもん。
【中】はないのでご安心ください。次回は【下】です。




