15 わんっ
ヒルゴス家主催で行われた、船上パーティーでの惨事。出航してまもなく、鯨に衝突しエンジンが大破。その結果二次被害で爆発が起こった。
救助用の小型ボートは、乗客全員を乗せ切れる程の数もなく絶体絶命……だったのだが、偶然近くを運行していたルドニアの貨物船が事態に気づき、乗客乗組員は全員その船に救助された。
だが、シェリー・ヒルゴスだけは消息が不明となっている。彼女はこの事態の責任を重く受け止め、船と共に生涯に幕を下ろしたと考えられている……と。まぁいい感じな結末に終わった。本当は鯨ではなく竜なのだが、名だたる貴人貴婦人達にも世間体がある。決して誰も「竜が襲ってきた」とは言わなかったらしい。広まりそうならサリエルに記憶を弄ってもらおうと思っていたので、その手間が省けてとても助かった。そのまま永遠に黙っていてくれ。
あの後、エウリュアレーはちゃっかりメデューサの頭を取り返した。異形の頭を大切そうに抱きかかえていた姿は、それはもう幸福な表情だった。あの後姿が見えなくなったが、元の世界に帰ったのだろうか?
まぁいい。まぁいいのさその辺りは。
なんやかんや色々残ってはいるが、あの騒動は終わったのだ。
……で、つまり。終わったので。私は現在地獄の自室、ベッドの上で縛られている。
何故こうなっているのかって?そりゃあうちの、馬鹿悪魔共の所為に決まってるだろう?それ以外に、誰がこの破廉恥ネグリジェを着させるってんだ。
苛立ちを抑えきれずに、手首に付けられた手錠をベッドボートに思いっきりぶつける。ちなみに足には何も付いてはいない。だが先程から足に力が入らないので、恐らく何かしらの術をかけられているのだろう。あー嫌だ嫌だ!
「あぁー……こんな地獄の主がいていいものか……」
ベッドでうつ伏せになりながら、呟く言葉は絶望を孕んでいた。
それもその筈、問題解決をした後、サリエルとレヴィスは地獄から逃げ出した私に罰を考えていた。その内容が「十年部屋から出さずに縛って強請るまで催淫放置」だった。ちょっと人権無さすぎて酷いので、私は情状酌量を願い出た。
最初こそ認めてくれなかったが……エウリュアレーと、サリエルの願い通りに剣を持ってきたステラが来てくれたお陰で、結果情状酌量が認められた。ゆえに私の罰は「十年部屋から出さずに、ケリスの選んだ服を着る」になった。ケリスが大喜びしていた。ざっけんな。
顔を横に向ければ、窓から美しい満月が私を見ている。……多分、もう少しすれば使用人悪魔の一人が、夜のお供として嬉々とやって来るだろう。大人しく相手をして、愛想を振り撒いて、主人に対するこの暴動を止めなくてはならない。
……百歩譲って、部屋から出れないのはいい。部屋に風呂もトイレも付いているし、頼めば使用人がなんでも持ってくるのだ。決して不便はしないし、むしろ地獄では快適かもしれない。
だが変態メイドセレクションの服は駄目だ。それって、もはや服ではない布切れだろう?その内、このネグリジェよりスースーしたの持って来るだろ?それをやめさせる為なら、幾らでも愛想よくしてやるさ。
「あーー……でもやっぱ最悪だ。腹たつ」
「おや、少しタイミングが悪かったかな?」
「別に悪くないから、気にする………な……?」
突然の声に驚き、窓と反対の方向へ顔を向ける。ベッド近くの一人掛けソファに、エドガーがいた。
漆黒の正装に身を包む奴は、私へ黄金の瞳を見せつけた。
妖艶に、悪魔は私へ訛りのない言葉を発する。
「今晩は、イヴリン」
「……今晩は、エドガー様」
◆◆◆
ルドニア国の商人、エドガー・レントラー。人間だった彼は、レヴィスに殺されかけた事で悪魔に生まれ変わった。
人間が悪魔に生まれ変わる。それはステラ達以来初の事らしい。まぁ、この男の場合色々あって、上級悪魔ダンタリオンの血を体に持っていた影響が大きいらしいが……それでも奇跡の確率だそうだ。何がエドガーを悪魔にさせたのやら。
あの大型船で、レヴィスに強烈な炎を吹かれたエドガーは丸焦げになった。床に黒塊がゴトンと倒れた時には私は半狂乱で、サリエルに羽交締めされながらも丸焦げに血をふりかけた。吐きそうになりながらアダリムを連れてきたダリちゃんも、半べそかきながら術をかけていた。アダリムはエドガーだと気づかずに、死者だと勘違いして神の祈りを捧げていた。結果悪魔が全員倒れていた。
と、様々な障害を乗り越え、結果エドガーの傷は癒やされ一命を取り戻した。というか、悪魔はほぼ不死身なので、丸焦げになった所で死なないんだと。早く言え。
エドガーは前任地獄の支配者と同じ「炎の悪魔」となった。ただ出せる炎は赤なので、前任の様に全てを焼き尽くす青ではないらしいが……使用人悪魔達がチッチと舌打ちをしていたので、無視できない強さはあるらしい。
そんな新人悪魔が、わざわざこの地獄にやって来た。理由はなんとなく察している。ダリはちゃんと伝えてくれた様だ。
奴は私が少しずつ距離を取っているのに気づいて、揶揄うように片眉を上げた。
「何だい、そんなに怯えなくていいじゃないか」
「怯えますよ。早くしないとエドガー様の気配を感じて、使用人がやって来るんです」
「心配してくれてありがとう。ちゃんと気配を消しているから、君の悪魔はやって来ないよ」
嬉しそうに目を細めながら、しれっと人外らしい台詞を出してきた。悪魔も天使も本能で力を使うらしいが、エドガーもしっかり使えるようになったらしい。此方は不機嫌に目を細めると、エドガーは頬杖を付きながら此方を眺める。
次には立ち上がり、ベッドへ歩みを進めた。
「さて。じゃあ本題に入るけど……ダリから聞いたよ。私に「探偵ごっこ」をして欲しいんだっけ?」
ベッドにやって来たエドガーは、力のない足を掴んでそう言った。されるままに受け入れる私は、深く頷く。
「ええそうです。私が三十年していた様に、下界で「違法悪魔探し」をしてください。あの役割が出来るのは、エドガー様しかいないんです」
奴は掴む足の先に、リップ音を鳴らしながら口付けを落とした。
「理由は……私が使いやすい悪魔だから?」
「使いやすいはあっていますが、悪魔か否かはどうでもいいです。……あの三十年の中で、私の事を追い詰めたのはエドガー様だけだからです」
地獄に戻ってきた際、留守番をしていたフォルとベルゼブブに、下界での違法悪魔が急激に増えていると報告があった。理由として考えられるのは、長く違法悪魔を捕まえていた私と、脅威である五人の悪魔が姿を消したからだろう。
私が下界で違法悪魔を捕まえにいければいいのだが、それは粘着悪魔達が絶対に許さない。
ならば、その役割を優秀な人材にお願いするしかないのだ。そう考えた時に出た答えは、エドガーに違法悪魔を捕まえて貰う、だった。
口付けを違う場所へ何度も当てるエドガーに、私はもどかしさを感じつつ伝える。
「地位も、洞察力も決断力もある。だからエドガー様に協力して貰えば、私の時よりも違法悪魔が減るかもしれない」
「……へぇ、君。なりたくて地獄の主になった訳じゃないだろう?」
「ええそうですよ。でも一度なってしまったものは致し方ない。この世界でオーシャンとココナッツジュースを探すしかないんです」
「この血の世界に?無理じゃないかな」
「地獄で無理と決めるのはお前じゃなくて、私」
強く見据え伝えれば、エドガーは唇を這わせながら目線だけ向ける。すぐに伏せて、少し考える様に黙り込んだ。……暫くすると、小さくため息を吐かれる。
「うん、構わないよ。君が望む事なら喜んで従おう」
「えっ、本当に?」
まさかこんなに早く返事をするとは思わず、驚き目を見開く。その表情にエドガーは妖艶に微笑み、反対の足を撫でながら「でも」と付け加えた。
「口約束じゃなくて。この約束をより強固にする必要があると思うんだ。私は君に懸想する男だが、悪魔でもある。地獄の主だが、君はただの人間。そんな君の命令を聞かずに欺くかもしれない」
撫でる手がゆっくりと付け根まで向かう事で、奴の言いたい事は理解できた……が、その発言は想定内だ。奴へ笑いかけ、その頬に手を添える。
「いいよ、契約しよう。私の願いは「永遠に違法悪魔を捕まえて欲しい」だけど。お前は何を望むの?」
手を滑らせながら問いかければ、唇に触れた所で熱い息が吐かれた。
黄金の瞳は欲情を孕んで、美しい貴人が欲深い悪魔に成り果てる。
そうして、悪魔は私に対価を叫んだ。
「君の犬になりたい!君に命令で躾けられて、いい事をすればご褒美をくれて、君だけの卑しい犬になりたい!永遠にリードを持たれた、君の足先で甘える犬になりたい!!」
「え、えぇ……」
「おや、この対価に不満でも?」
「いや……ない、けどぉ……」
その言葉は嘘ではない。だが声高々と告げるその対価の内容に、この男の真骨頂を見た気がした。
例えば地獄での地位とか、もしくは体の関係とかそんな感じだと思っていたのだが……悪魔になった事で、欲に忠実になるのだろうが……ねぇよく考えた?それはもはや奴隷……いや、何もいうまい。
私に対してのみ被虐性癖なのはよぉく知っていたが、まさかここまでの執着もあるとは……えっ、私の所為で悪魔になった訳じゃないよね?頼むからやめてよそれ。
私はドマゾへの恐怖と疲れで、長く長くため息を吐く。
その時ひらりと上から落ちてきたのは、毎度お馴染みの羊皮紙の契約書だ。差し出したエドガーはうっとり顔。頬から手を離し羊皮紙を受け取る。中身を見れば、つい今言った事と同じだった。用意が早い。最後のため息と共に、これまた用意された万年筆で名前を書く。癪だが、この男以外に適任者を知らない。
署名欄を見れば、既に向こうのサインが書かれていた。その書かれた名に眉を顰める。
「アスモデウス?」
「悪魔の世界での名前も必要だ、とダリに言われてね。私の母の旧姓がアスモデウスなんだ」
「アスモデウス……えっと……確かルドニアとの戦争で滅んだ国の王室が、そんなファミリーネームだったような……」
「そうなのかい?知らなかったな」
絶対に嘘だ。知らなかった奴が、そんな淡々と受け入れれるものじゃない。
やや顔を引き攣らせながら書き終えた契約書を渡せば、エドガーは耐えきれずに口付けを落とした。どうやら、最初のご褒美とやらを望んでいるらしい。お前何も仕事してないだろ、と無理矢理離れようとしたが……こう、己を求めてくるエドガーさんの表情が、結構可愛くて。もういいやと放棄した。途中で使用人が来たら、襲われましたって言う。
熱に浮かされた様に、エドガーが貪りながら吠える。
「はぁ……やっと……やっと私は!君に永遠に仕える、君の犬に!!」
ちょっと何が嬉しいのかは知らない。
ただ、それを望むのならば。私はとことん付き合ってやろうと思ったもので。唇が離れた一瞬で、私はエドガーの襟元を掴んだ。そして苦しそうに顔を歪める奴へ、こう躾けてやるのだ。
「ねぇ、犬がなんで服着てるの?」
その躾に。
アスモデウスは下品に鳴いた。
次回で終わりです。長かったー!




