14 誕生 【下】
悪魔とは何か?その答えを理解するのは難しい。
生を受けた時から悪魔の者もいれば、堕落し悪魔となった者もいる。
悪魔となった者は、殆どが神に疑問を持った、もしくは神より堕とされた天使達だ。
だか決して、悪魔になれるのは天使だけではない。……結局、誰でもなれるのだ。悪魔なんて。
濁る黄金色の瞳は、真っ直ぐ私を見据えている。
奴が歩めば、周りが熱で歪に曲がる。床の海水が蒸発し、奴に従う様に纏わりつく。その光景に顔を引き攣らせれば、奴は笑いながら手を動かした。
「イヴリン」
穏やかに、普段と同じ声で手を差し伸べてくれる。だが、その程度で彼の悍ましさが隠せる筈がない。サリエルも同じ意見の様で、私を抱く力を強めた。
一体エドガーに何が起こったのか、どんな事態になったのかはまだ確定していないが……今の奴は厄介だ。それにレヴィスは何処へ行った?
「サリエル、もしかしてレヴィスやられた?」
自分で言っておいて、胸を痛めつける言葉だ。だがサリエルは小さくため息を吐くだけ。どういう意味なのか問おうとしたその時、私の周りに広がる海水が揺れ動く。
海水は生き物の様に動き、周辺の海水も集めて、固まっていく。そして集まった海水が勢いよく湧き上がり、不機嫌そうに眉を顰めるレヴィスが出来上がった。
まさかの登場に驚いていると、レヴィスは私を見据えながら大きく舌打ちをする。
「よぉ主。随分と面倒な事してくれたな。どうするんだアレ」
開口一番、不機嫌そうに言われた言葉には首を傾げる。あのエドガーが私の責任?
その態度が気に食わなかったのか、レヴィスは再び舌打ちをしながら、サリエルに抱かれる私を強い力でベリッと引き剥がす。サリエルから「あ?」って人殺しそうな声が聞こえたが、レヴィスは無視して私を抱きかかえた。奴から香るのは甘い匂いではなく、海水と魚の匂いだ。
「あのクソガキ殺そうとしたら、突然アンタを迎えに行くって抜かしやがって。その結果これ」
「……えっと、エドガー様を殺そうとしたのは後で叱るとして。何で私を迎えに来るの?」
私の質問には、レヴィスは横目でエドガーを見る。
「さぁ?取り敢えず所有したいんじゃないか?見る限り、悪魔なりたてで暴走してるし……まぁいいや。主こっち向いて」
悪魔のなりたて、とレヴィスがいうのであれば。やはりエドガー・レントラーは、私の予想通りの存在になったのだろう。
指示通りにレヴィスの顔を見れば、すぐに奴の唇が己の唇にあわさる、というか噛みつかれた。驚く私など気にせずに、口内の唾液を思いっきり吸われる。何だろうこれ、歯医者でよくある感覚だ。
ぶん殴ってでも止めようと考えたが……奴の体から魚以外に血の匂いがした事で、そんな気も失せた。
暫くすれば、奴の唇は名残惜しそうに離れる。
「よし……主のお陰で、クソガキにやられた傷は癒えた。さっさとアイツ、地獄に堕とすよ」
「……お、おお……がんばれ」
引き攣る私の唇を、ご機嫌なレヴィスさんは指で唾液を拭った。そのまま私を再びサリエルの元へ戻す。
掻っ攫う様に受け取ったサリエルくんは、私を後ろから締め付けながら、尻尾をバシンバシン床に叩きつけレヴィスを威嚇している。苦しい絞め殺されちゃう。
……その時、突然顔に熱を感じた。前を見れば、赤く燃える火柱が此方へ襲いかかっている。
反射的に目を瞑る私だったが、再び顔に当たるのは蒸気だ。
恐る恐る目をひらけば、レヴィスの背中が見えた。
「短気なガキだな。主に当たったらどうしてくれるんだ」
普段通りの穏やかな声で、己の前にいるエドガーへ向けて窘める。だが奴はレヴィスの言葉など耳に入らないのか、澱んだ瞳で私の名前を呟くだけだ。
その光景が予想通りだったかの様に、レヴィスは頭を掻いてため息を一つ溢す。
「まさかアンタが、「あの方」と同じ炎の悪魔になるとは。人をやめる程に主を求めて、ましてや俺に不意打ちとはいえ、傷をつけるなんてな。ちょっと驚いたよ」
そう感嘆するレヴィスの口からは、燃える煙が溢れる。
レヴィスを睨みつけていたサリエルは、その気配に気づけば、私を守る様に尻尾を緩く巻きつけた。……なんか既視感がある。止めた方がいい気がする。そう決心したのが遅かった。
レヴィスはエドガーを見据え、大きく息を吸い込んだ。
その息を、膨大な炎と共に一気にエドガーへ吐く。
吐かれた炎は、一瞬でエドガーを包み込んだ。
………あと、船も燃やした。
「ま、それでも主は俺のだけど」
◆◆◆
エウリュアレーと共に、レヴィスの暴走を止める為に、甲板にいるであろうご主人様の元へ向かう途中。ある事に気づき立ち止まる。
急に止まった私を見つめる妹へ、頬を掻きながら苦笑いした。
「サリエルのおつかい、忘れてた」
「……あ」
エウリュアレーも忘れていたらしい。真っ青な表情になって慌てはじめた。そう言えば、聖剣を持って来なければ殺すと言われていたな、この子。余程サリエルが怖いらしい。
「今すぐ戻って!あの聖人から剣を!」
「私が取りに戻るから、エウリュアレーは先にご主人様の元へ行って」
「で、でも!」
「いいから」
自分の命が掛かっているので、私の指示には渋っているが……この子はいつも私には逆らえない。最終的には、駆け足で甲板へ向かって行った。
私はそんな妹を見届ければ、進んだ道を引き返す。正直気が乗らないが、エウリュアレーの命と、蛇の坊やのお願いだ。致し方ない。私とて最近の、ご主人様への想いで暴走する坊やはちょっと怖い。
先程の部屋へ向かっていけば、濃い匂いが鼻を掠める。それは新鮮な血の匂いだ。それも先程よりも、更に多くの血の匂い。……まさか、聖人が勢い余って、あの人間を殺したか?
答えを知るべく歩みを早め、すぐに部屋にたどり着く。やけに心臓の音が煩くなりながら、ドアノブを握った。
ゆっくりと扉を開けた先、そこには聖人と人間が、お互いを愛し合う様に抱き合っていた。
……否、聖人の背中から……聖剣が人間諸共刺さっていた。
予想外の光景にたじろいだ、その時。隣から小さな笑い声が聞こえた。
「まるで串刺しみたいだと、思わない?」
すぐ隣で、若い男の声。爪を尖らせその元を向けば、壁に男が立ち寄り掛かっていた。
切り揃えられた橙色の髪に、深緑の瞳。灰色の正装を着た男。……匂いは人間だ。だがここまで近くにいるのに、声をかけられてやっと気づいたのだ。
異質なその男は、私へ柔和に微笑む。
「私はやってないよ。ほら見て、男が剣を握って、自分の背中に刺しているだろう?無理心中じゃないかな?」
男に警戒をしながら、再び聖人達を見た。
確かに男の言う通り、聖人の右手には輝く聖剣が握られ、己の背中に刺して事切れている。……だが、聖人の右腕は歪に曲がっている。……輝く聖剣が、この姿は本人の意思とは違う結末だと。そう教えてくれている様だ。
これが無理心中だと?馬鹿馬鹿しい。
これは愛し子を陥れようとした、神の制裁だ。
「……今更父親ぶるか、白々しい」
私が舌打ちをすれば、男は小さく笑い声をあげた。
「……で、君はあの聖剣を奪いにきたの?レディには大変だろうから、取ってくるよ」
「おや優しいね。……それに、アレが聖剣だと分かるのかい?やっぱり坊や、普通の人間じゃないね」
「いいや?只の長生きな人間さ」
揶揄う様に声を弾ませて、男は聖人達の元へ歩み出す。
男は聖人へ目を細め、そして聖剣を握る手をゆっくりと解いていった。
「君の話は、マルファスから聞いた事があるよ。「悲劇の姉妹」だってね……聖女様は、この聖人が「メデューサの目玉」を体に入れた為に、歪な存在になったと言っていたけど……聖人の体は、悪しきものと混じる事で歪となる。殺された憎しみで、事切れる寸前に悪魔となったのかと考えたが……君の妹は聖力の目玉を持っていた。例えメデューサが最後悪魔となっても、それを嵌めても聖人は歪にはならないだろう」
手が解ければ、男は剣の柄を握り、肉を引き抜く音を鳴らす。
「……だから私は、ある「結末」を考えたんだ。聖女様みたく、探偵になったつもりでね。……例えば、本当は末の妹が聖力を持っている訳ではなく、勘違いなのだと。君達は自分達の為に、事実を捻じ曲げ隠しているのだと。……だから事切れる前に、聖人への憎しみで悪魔となったメデューサの目玉を、聖人がはめた為に歪となったのだと……なら「聖なる目玉」を持つのは誰だ?」
引き抜かれた剣を持ちながら、男は私のそばへ歩み出した。
やがて目の前で立ち止まれば、輝く聖剣を差し出す。……その表情は私と違い、穏やかだ。
「君のもう一人の肉親、君と同じ上級悪魔の筈なのに、随分と悪魔の力が弱いんだね。まるで、何かが「それになる」のを拒んでいるみたいだ」
男の後ろで、床に崩れる音が聞こえる。目線を向ければ、聖人と女が触れ合い、睦まじく倒れていた。……あの子には、メデューサの肌には一度だって触れなかったのに。偽りの言葉で騙されて、あの子を欺いて、そして裏切った癖に。
……嗚呼、駄目だ。エウリュアレーが我慢できたんだ。私ができなくて如何する。
私は、この結末に小さく息を吐いた。
「……坊や、変な妄想はやめな」
差し出された聖剣を受け取り、私は男に背を向けドアノブを握る。
そのまま扉を開ければ、私は見えない男へ声を放った。それは、ただの忠告だ。
「坊やは、女を誑かす様な男になるんじゃないよ」
男の表情は見ていない。
けれど、笑っている様な気がした。




