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13 彷徨う者達

ちょっとグロテスクな部分もあります。


 手の無くなった右腕を見つめて、どうしようもない恐怖に身が包まれる。聖人が和らげてくれたが、唇を噛んでいなければ、痛みで泣き叫んでしまうほどの痛みだ。


 この痛みを与えた、原因の悪魔。そして女を思い出した。



 あの女は言った。『払い終えていない対価』と。

 言っている意味が分からなかった。だって私は悪魔と契約をしていない。呼び出した悪魔は全員、聖人に殺させたのだから。



 あんなのはハッタリだ。ただの虚言に決まっている。……そう頭で理解しているのに、どうして、女の言葉が離れないのだろう?どうして女の言葉に、こうも怯えているんだろう?



 茫然としていると、突然隣の壁が大きな音を立てて崩れていく。崩れた瓦礫や埃の中から、苦痛に声を漏らす聖人の声が聞こえた。


「おやおや、どうしたんだい聖人様。随分と弱くなってるじゃないか」


 悪魔がしゃがれた声を出しながら、太刀打ちが出来ない聖人へ向けて嘲笑う。此方はもう一人の顔を隠した女と共に無傷だ。……決して二対一でこうなっている訳ではない。今まで聖人を攻めているのは醜い悪魔だけだ。

 顔を隠した女が、驚いた表情で化け物を見上げる。


「姉様、聖人相手にどうして……」

「私も驚いたよ。恐らく、ご主人様の体液を短期間で多く得た結果か?美味いだけじゃなかったらしいね」

「た、体液……」


 女は頬を赤く染め、恥ずかしがる様に顔を下にする。

 この化け物の言葉が正しいのであれば……主人、イヴリンは一体何者だ?まさか、悪魔とは契約者の一部によって強くなる存在なのか?


 悪魔達が会話をしているその場面で、立ち上がった聖人が一気に化け物を詰め寄る。

 切っ先を悪魔へ刺し込もうとするが……それはたどり着く前に、悪魔の長い尾によって跳ね返された。苦痛に耐える聖人の表情へ、悪魔は溶けた顔で皮肉に笑う。


『悔しいね。あの頃にご主人様と出会っていれば、お前の仇討ちもすぐに終わっただろうに』

『っ……お前の言っている主は、地獄の王の事か?』

『そう、お前もさっき会っただろう。焦茶色の髪に、闇のような瞳の子。あの子が私のご主人様で、私に力をくれた尊き方だ』

『巫山戯るな!あの女は人間だった!!只の人間が、悪魔に力を与えるなど出来ない!!』

『いいや、只の人間じゃない。あの子は………いや、お前に伝えるのは勿体無い』


 言葉を知らずとも、聖人が悪魔へ、どんな感情を抱いているのか見れば分かった。……だが、今の状態は深刻だ。痛みと、それに勝る憎しみで鈍る視界で、私は聖人へ叫んだ。


「何でよ……何で……ねぇ!いつも簡単にしてたじゃない!!何でそんなに手こずるのよ!!」


 いつもの聖人ならば。悪魔も大きさも関係なく、一振り二振りだけで終わらせていた。なのに今の様はなんだ?どうしてこんな醜い悪魔に、傷ひとつ付けれないのだ?

 私が叫べば、聖人は驚いた様に振り向く。その混乱した表情さえも憎たらしい。まるで私が悪者みたいじゃないか、この聖人が全て悪いのに!!


「早くあの化け物殺してよ!!それ以外に何の価値があるっていうの!?お前は私の聖人でしょう!?」


 叫ぶ言葉に、ピクリと聖人の眉が動いた。私は気にせずに続けて声を発しようとしたが……突然、前から甲高い笑い声が聞こえた。発しているのは想像通り、化け物の悪魔だ。


「あっははは!お嬢さん、そいつが何だって!?聖人!?あっははは!!」

「っ、何が可笑しいの!?」


 悪魔は醜い顔を歪ませ、爪の剥がれた指を動かす。




「可笑しいさ。だってそいつ、もう聖人じゃないよ」

「…………は?」



 悪魔が指し示していたのは、私の聖人だった。……何を言っている、この醜い悪魔は?


 私の発しない言葉と疑問を、悪魔には手に取るように分かるのだろう。悪魔は私に目を細める。


「展示室に置かれていた頭、あれは私の妹のものでね。事情があって、その男は妹を殺したんだが……男の目の色は赤だった。どうやら妹の目玉を、こいつが嵌めているらしい」

「………目玉」


 悪魔の、醜い顔を見つめた。

 歪む顔につけられた、聖人と同じ色の瞳。……美しい緑だ。



「悪魔の一部を体に取り入れた者、しかも体の一部を取り替えたんだ。どれだけ清い心を持っていても、段々と精神が悪魔の其れと混じり、最後には狂っていく。……ひょっとしたら、力のある聖者なら悪魔へ堕ちるかもしれない」


「何を、言っているの……?」


 悪魔は鼻で笑い、近くに置かれていた檻に触れた。


「いや?可能性の話だよ。……でもねぇ、こんな檻の中で生活させられて、屈辱に耐え、お嬢さんのいう事を聞く。そんなの、何か見返りがないとしないと思うけど?」

「見返り……」

「そう、見返り。……例えば、悪魔が行う契約とか……お嬢さん、何かこの男に願ったりした?」

 


 口を歪ませ笑う悪魔に、私は体を震えさせた。

 願い?そんなもの、もう何度言ったか覚えていない。神が私に与えた聖人は、私の願いを叶えるのが当たり前だと思っていた。天へと帰らぬように檻に閉じ込めて、自分が上なのだと何度も体に教え込ませた。



 逃げない様に自由を奪っても、欲の吐け口にしても、痛めつけても。……この聖人は決して、私には手を出さなかった。



 ………何故?どうして手を出さなかった?いつから私は、この男をここまで信用していたのだろう?


 嗚呼、頭に何度も木霊する。憎くてたまらないイヴリンの、あの言葉が。


 



《 真実です。……貴女が、まだ払い終えていない「対価」についての 》





 私を見つめる、美しい緑。

 その緑へ、私は震える唇で声を出した。



「私は……お前と、契約したの……?」




 


 


◆◆◆




 

 今までの彼女は、私に対する怒りだけだった。なのに悪魔と話す、彼女の様子が段々と可笑しくなっている。

 怯える様に体は震え、私から離れるように、ゆっくりと後退りしているのだ。……一体どうしたんだ?離れない様にと手を差し出せば、一度大きく震える。


 彼女は、私へ震えたのだ。


『ち、近づかないで……』

「……どうして」

『お前は、私に何を望むの……何を与えればいいのよ』

「悪魔に、何か戯言を聞かされたのか?」

『……っ、何を言っているのか!!わからないのよ!!!』


 震え、涙を流して叫ぶ言葉の意味は分からない。今までであれば、彼女が何を求めているのか表情を見れば理解できた。悪魔を狩れば、彼女が満足げに私を見つめるからだ。だから私は、彼女を喜ばせたくて悪魔を狩った。


 だが、今は彼女の考えが理解できない。何故私から離れる?悲しいから涙を流しているのか?それとも……駄目だ、まだ分からない。言葉が理解できればいいのに。



 一歩、彼女に近づく。

 彼女は後ろに下がって、涙を浮かべ私を見据えた。


 もう一度、愛おしい彼女に触れようと、手を差し出した。……その時だった。突然私の元へ彼女が向かってきたのだ。そのまま胸の中に収まる彼女に、騒ぐ心臓の音が聞こえそうだ。



「……ど、どうし」


 どうしたんだ?そう聞きたかった。何か問題があるなら、教えて欲しかった。


 けれどその声は、強く押される感触と、その後に続く熱によって掻き消えた。

 胸が熱い、苦しい。それ以上に痛い。苦痛に耐え唇を噛む。荒く息を溢す彼女が、少し私から離れた。



 己の胸元を見れば、父上の剣が刺さっていた。

 柄を持っていたのは、彼女だ。


『巫山戯けないで……対価なんて、絶対に与えてやらない……!!!』

「っ……ぁ……」

『初代は、悪魔の対価で両足を与えていた!お前もそれか、それ以上が目当てなんでしょう!?だから今まで、私の命令に答えていたのね!!』


 彼女は叫びながら、震えながら。私に表情を向ける。……嗚呼、理解した。この表情は怒りだ、憎しみだ。随分昔に、あの悪魔達に向けられたものと同じだ。


「シェ、リィ」


 永く彼女のそばにいて、理解の出来ない言葉。それでも、彼女の名前らしきものは知っている。伝わるか分からなくとも、今は名を呼ぶべきだと思った。

 何故、どうして?悪魔に何を言われたんだ?それは、君の為に生きた私よりも、信頼出来るのか?



「……シェ、リー」

『っ!?』


 彼女の腰を掴めば、彼女は大きく震えた。柄を握る、震える手を払う。人を刺した事がない彼女は、あっけなく柄を手を離し、剣は音を立てて床に落ちる。その後は、彼女を胸の中に閉じ込めた。

 この行為は、死ぬ事が出来ない私には、還る場所がない私には無意味なのだと理解したのだろう。彼女は片手で顔を覆い、やがて嗚咽が聞こえた。


 

『……嫌よ、死んでよ……お願い、死にたくないの……』

「私が憎いの?辛いの?……大丈夫、私はずっと君の側にいる」


 そうか、彼女は今、悪魔に欺かれ怯えているのだ。私への行為によって、私が離れると戯言を言われたのだろう。そう理解できれば、私の止まらない心臓は、どうしようもない幸福感で鼓動を弾ませる。だがそれ以上の後悔で、顔は大いに歪んでしまった。


「大丈夫、私は君を絶対に見捨てない」


 慈しむ様に、可愛がる様に。美しい葡萄色の髪を撫でる。

 見捨てる筈がない。君に絶望する筈がない。君は、私を形作る唯一の存在なのだから。



 目玉欲しさに人間に欺かれ、その人間に目玉を抉られ付けられ。そして逃げてこの世界に来た。人々の為に、そう教えられ無償の愛を捧げたのに。私の力だけを見るその姿に嘆いた。

 生きているか、死んでいるのか分からない日々。自分が何者なのか、分からなくなっていた。


 だが、私は彼女に出会った。その優しさに触れて、守る相手を間違えたのだと理解した。

 彼女に出会った事で、私はもう一度「聖人」になったのだ。



「君が私を愛してくれる様に。私も君を愛している。……だから、君はもう、檻に私を入れなくともいいんだ。私は、君の元から離れないんだから」


 嗚呼、可哀想に。こんなに震えて、きっと私が逃げようとしているのだと、悪魔に戯言でも言われたのだろう。だからこそ、私を一生捕らえる為に剣を抜いたんだ。


 混乱して、私を刺した。私からの愛を疑ったのだ。

 ならば、もう疑われない様に示せばいい。


 

 髪に触れていた手を、次には顔を隠す手へ、そしてシェリーの目へ移動させる。手で覆われていた顔からは、美しい涙が溢れていた。


「もう少し、君が大人になってからにしようと思っていたんだけど……ここまで君を悲しませたんだ。悠長な事は言ってられない」

『ちょ、ちょっと、待って!!何を……っあ”!?』


 苦痛に歪むその表情には、酷く心が痛む。

 それでも……きっと終わった時には、彼女は喜んでくれる筈だ。


 私は、彼女の片目に触れる指の力を強くした。


 

「これが終われば、君は私と同じになれる。君は永遠に私の側にいれる」

『お願い、やめて!やめっ……痛い!!痛い!!イダいぃ、!あ”ぁ、あああ、ああアア”!!!』



 彼女の唇に、私は愛を込めて口付けを落とした。




「愛してる、シェリー」







 ◆◆◆






 つん裂く女の悲鳴、そして血の匂い。私はその全ての光景を唖然と見つめていた。

 同じく見つめていた姉様は、その冷たい目線を下げた。


「思い込みの激しい男は怖いねぇ。父親そっくりじゃないか」

「……えっ、と」


 姉様へおくる言葉に戸惑った。

 何せ、此方に敵意を向けていた聖人が、今では恍惚な表情で女の目玉を抉っているのだ。痛み叫ぶ女へ、愛を囁きながら口付けを落としている。


 この光景の答えを求めようと、姉様を再び見つめる。姉様は既に幼い子供へ戻っており、此方へ意地悪そうに歯を見せつけ笑った。


「あの聖人、お嬢さんと自分は想いあっていると勘違いしていたんだ。この世界で彷徨っていた自分を見つけて、世話をしてくれた事で惚れたみたいだね。好意を伝える為にハーガンティの手を持ってきたら匿われたから。それを自分への好意故だと思っていたみたいだ」

「……檻に入れられ、虐げられていたのが好意?」

「私達の世界じゃあ、求愛方法として、想い人に狩りの獲物を与えるのが主流だったからね。匿われる事に関しては、あいつには悪魔の一部が入り込んでる。所有物は閉じ込めるってのは、悪魔がよく考える事だろう?今回は逆だけどね」


 確かに、悪魔が所有物である人間を匿うのはよくある話だ。それは経験からの思考ではなく、悪魔特有の思考から行動してしまうもの。故に、姉様達は主様を地獄の屋敷に閉じ込めているのだから……結果逃げられているが。


 姉様は乾いた笑い声を出す。


「ご主人様め、あの聖人がお嬢さんへの愛を叫んだ時に察したらしい。お嬢さんに「払い終えていない対価がある」なんて戯言を言っていたよ。そのままお嬢さんが聖人へ不信感を募らせて、内輪揉めさせようって、お優しく悠長な事をしていたが……ご主人様に、私が火に油を注いだ事、言うんじゃないよ?」

「……主様の崇高な策略に、泥を塗るなんて……私も怒られそうですし、嫌われそうなので言いません」

「おや、珍しい。メデューサと私以外に興味がなかったお前が、嫌われるのを恐れるとは。そろそろ、その暑苦しいドレスを脱ぐ気になったのかい?」

「…………」


 無言の私に、幼い頃そっくりの姉様は再び笑う。

 そしてそのまま、痴愚な二人を指差した。


「で、どうする?お前は仇を取りたいんだろう?二人の世界に溺れてる今なら、後ろから攻撃が出来そうだね」

「……仇」


 姉様のいう通りだ。力のない私でも、今の隙がある聖人なら殺せるかもしれない。途方もなく探していた、妹の一部を取り戻せるかもしれない。



「……主様の元へ行きましょう。姉様」



 私の言葉に、姉様は少し驚いた様に目を開かせた。姉様の目線は「いいのか?」と聞いている。……私は長く長く、ため息を吐く。喪失感が押し寄せて目線は下へ下へ、握りしめた己の(ドレス)は皺となっていく。



「もういいんです……もう、仇は妹がとっていたんです」



 あの聖人は、妹を殺した。そして目玉を得た。

 その結果聖人は混じり、狂い。あの人間が己を愛していると信じている。……妹の目玉の所為で、あの聖人は永遠に、偽りの幸福を味わっていくのだ。



 聖人は、愛する人間の目玉を手で転がし、恍惚の表情で見つめている。抱かれた人間の目からは永遠と血がこぼれ、口からは涎と泡が流れていく。聖人は気にせずに、愛を囁きながらメデューサの目玉を押し付けた。……手の痛みを抑えた様に、痛みを与えずに目玉を抉る方法など、力のある聖人なら容易いのに。……もう、あの聖人は堕ちたんだ。




 嗚呼、私の可愛いメデューサ。

 貴女は自分で恨みを晴らしたんだね。





 「……これからも永遠に、終わりなく彷徨うんです……それでいい」




 ドレスを掴む手に、温かい手が添えられる。

 顔を上げれば、姉様が優しく微笑んでいた。





「お前は、もう彷徨わなくていいだろう?」





 私は、ぼやける視界で頷いた。





サブタイトルを「意味のない言葉たち」か「脳内花畑聖人」しようか悩みました。うーん。センスください。


次回更新ですが少し遅れます。というより最近遅れすぎてて申し訳ございません。体調不良や仕事が、などではありません。とても元気です。

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