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12 誕生 【中】


 荒々しい海の音が聴こえる。波打つ隙間から、悲痛の叫び声が聴こえた。おそらくダリの声だろうか?


 胸の痛みで、身体中の感覚が鈍くなっていく。次第に立つ事も難しくなり、床に膝をついた。短い呼吸を何度も繰り返して、下を見れば己の周りが赤くなっていくのに気づいた。

 どうやら、悪魔によって胸を刺されたらしい。刺した人物を、ぼやける視界で見据えた。


「……っ、……レ……ヴィ……」


 彼の名を呼べば、鋭い舌打ちが聞こえる。苛立つ彼は、何かを強く床に叩きつけた。苦痛に耐えるダリの声と、床の割れる音が同時に耳に入る。ダリを痛めつけても治らない沸々とした怒りを、彼は声にのせる。


「最初から、アンタの事は気に入らなかったんだ。弱い癖に主の周りをウロチョロして、俺達の事まで反吐が出る程調べて。挙句の果てには、勝手に主に情報を与えて対価まで……ふざけるなよ、それは俺達(悪魔)の役割だ」


 此方に近づく悪魔は。潮の匂いと、焼ける様な熱を纏う。こんな絶望の中でも、彼の一つ一つの声が、まるで私の定めを決めている様に、神々しく思えてしまう。圧倒的な力の前に、私は何もできないのだと思い知らされる。

 ……どうした、口をうまく回せ。言い訳を並べて、言葉巧みに場を乗り切れ。……嗚呼、駄目だ。今の私は屍だ。ただの人間だ。この彼を騙すことなど無理だ。


 その時、彼の後ろから咳き込む声が聴こえた。


「レヴィ、アタン!……っ、レヴィアタン!!!」


 ダリが掠れた喉で叫ぶ声は、彼の耳には届かない。やがて私の目の前にたどり着けば、己の周りにあった赤は、水と混じって薄くなった。鼻を掠めるこの匂いは、死の匂いだ。


「体も、魂も全部粉々にする。……そこまですれば、アンタを蘇らせる事なんて、誰もできやしない」


 潮の匂いが濃くなって、生き物の様にうねり、私の体を撫で回す。……チリチリと、肌を裂く音が聞こえた。暫くすれば、口から目から生暖かいものが流れていく。口から流れたものが床に落ちれば、それは内側から漏れた私の血なのだと気づいた。


 今どんな姿なのか、それは分からない。けれど私は、このまま水に体を引き裂かれるのだろう。このまま、この悪魔に殺されるのだろう。それだけは理解できた。



 いつか、こうなるとは分かっていた。悪魔達に気に入られたイヴリンを、己のものにする。それがどれ程無謀な事なのか。地獄に堕ちたイヴリンを連れてくる。その結果こうなる事など、容易に想像が出来た。


 ……でも、仕方がないじゃないか。だって彼女しかいないんだ。私という存在を受け入れて、私に幸福を与えてくれる人など。彼女しか知らない。……ほら、彼女の姿を思い出しただけで、刺された心臓が鼓動を鳴らす。


「……しょうが、ない……じゃないか……」


 そう、しょうがないんだ。何度記憶を消されても、きっと私は彼女を見つけてしまう。また彼女と関わって、また彼女を己のものにしようとする。……何度だって、私は彼女に恋をする。


 悪魔から、小さく舌打ちが聞こえた。己を蝕む水が、激しく動き出した。



「そうか、なら悪いな。……イヴリンは俺のなんだ」



 美しい悪魔は、彼女の名を穏やかに放つ。自分達の間に、私の入る隙間はないのだと教えてくれる。


 ダリが悪魔の名を叫ぶ声が聞こえる。けれど運命は変わらない。




 そう、私は彼らにとって、途方もない中での小さな塵でしかない。どれだけ悪魔を飼い慣らしても、私はただの人間でしかない。

 だからこそ、どれだけ富を築こうが、彼女は決して私の元へは来ない。……彼女が求めているものを、私は永遠に与える事ができないのだから。



 嗚呼、身体中がうるさいよ。どうせもうすぐ水に食われて死ぬんだ。ならば脳が生きている内に吐き出させてくれ。もう身体中が、痛みで熱いんだ。熱い、嗚呼熱い。まるで臓器が焼ける様だ。




 水が私の頬を触れる。

 瞼を開けば、目の前には悪魔がいる。

 私をただ見据える、美しい悪魔。イヴリンの悪魔(もの)だ。



「ほし、……い……ほしい………」


 

 私も、イヴリンのものになりたい。

 彼女と、永遠に居てもいい「証」が欲しい。 



 嗚呼……この悪魔が、羨ましい。

 永遠の時を、彼女と過ごせる悪魔が羨ましい。

 どんな理不尽も、力でねじ伏せてしまう悪魔が羨ましい。

 イヴリンと対等な存在でいられる悪魔が………悪魔が…………






 …………否、違う。

 イヴリンが憎い。私を愛してくれない、私を所有してくれない彼女が憎い。こんなにも求めているのに、こんなにも世話をしているのに。私が与えられるものは全て与えてきた、なのに私を駒としか思わない彼女が憎い。私は駒じゃない、駒じゃない!!彼女の犬で、ああ……あア??違う……体が痛い……違う、イヴリンを愛している。イヴリンは私の……私のもの、じゃない……嗚呼、嗚呼嗚呼嗚呼、嗚呼、どうして?こんなにも、ああ、イタイ、違う、イヴリンは私のものじゃない。そう、そうだ。ほしい。イヴリンを手に入れなきゃいけない。イヴリンが欲しいんだ、イヴリン、イヴリンイヴリン、アアイヴリン、欲しい、欲しい欲しい!!欲しい欲しい!!!!欲しい欲しい!欲シいほしイホシイホシい!!!







 ………嗚呼、そうか。




「………イヴリンを迎えにいかなきゃ」

「はぁ?何言って………っ!!??」






 

 その時、痛みが消えた。

 私の周りには、水ではなく炎が渦巻く。



 私は(人間)死んだのだと、そう知った。













 ケリスにアダリムを任せ、私はサリエルと共に声の聞こえた場所へ向かった。

 向かう最中、今にも襲い掛かりそうな嵐と、そして大波に。甲板に出ていた招待客達は、只々絶望で立ちすくんでいる。皆、もう逃げる事を諦めたのだ。……あの大波、絶対にレヴィスの仕業だろう。怪物よりも厄介じゃないか。


 私を抱え走るサリエルは、涼しい表情で、大波を横目で見た。


「……波が消える」

「へ?」


 ボソリと呟く声と同時に、此方へ向かってきていた大波が一気に崩れた。


 嵐は消え、闇雲が消えていく。波だったものは雨となり、船に人に降り注いでいく。呆気に取られていると、サリエルは私を抱く力を強くした。


「大波に意識を割く余裕が無くなったんでしょう。……ダリが、あのレヴィスと対等に渡り合えるとは思いませんでしたが。予想外です」

「予想外……」


 ……その言葉を聞いて、妙な違和感と予感がした。私は力強くサリエルの腕を引っ張る。

 端で私を見た奴は、小さくため息を吐きながら足を速めた。





 近くに向かえば向かう程、荒々しい呼吸音と、夜中の海とは思えない程の熱気が襲った。潮の匂いと、肌は焼け付く様な痛みだ。……何だ、一体何か起きている?


「レヴィス!ダリ!エドガー様!!」


 聞いてくれるかも分からないが、名を叫んでみる。その時、奥から誰かが此方に気付いた。


「イ、イヴリ、さ…」


 潰れた声で、体を重く引き摺りやって来たのはダリだ。いつもの奔放さはなく、額に汗を流しながら悲痛に此方へ顔を向けている。労わる首元にはくっきりと手の跡がついていたものだから、私は無理矢理サリエルから離れ、ダリの元へ急いで寄り添った。


「ダリ!大丈夫!?ま、待ってて今、私の血を……っ!?」


 癒すために差し出した手は、ダリに強く握られる。あまりの強さで顔を歪めれば、それ以上にダリの顔が歪んでいるのに気付いた。奴は、潰れた喉で必死に声を出す。


「ボ、ボス……ボ、ス……たす……け……」


 言葉の意味も、彼女が何を守ろうとしているのかも理解した。私はダリへ頷く。


「うん、分かってる。レヴィスを止めて、必ずエドガー様を助けるから心配しないで」


 そう穏やかに、奴の心を癒やす為に言った言葉だった。

 ……けれど、ダリはその言葉に首を何度も横に振る。違う?ならばどう助ければいいのだ?ダリの態度に戸惑い、意味を知ろうと再び口を開く。


 その声よりも先に、私の耳に声が届いた。

 




「イヴリン」





 穏やかで、訛りのない丁寧な声。その声は、とても聞き慣れたものだった。……なのに、身体中から血の気が消える。熱で汗ばんだ肌が、一気に冷たいものへ変わる。

 よく知る声に硬直すれば、後ろから腹に尾を巻き付けられる。体は尾の力で引き寄せられ、私はサリエルの胸の中に収まった。……私の抱く奴から、苛立つため息が聞こえる。


「……最悪だ」

「サ、サリエル?」

「ご主人様、絶対に僕から離れないでください。ダリ、この船にケリスと共にあの神父がいる。今すぐ呼んでこい」


 早口で告げられる命令に、ダリは頷きすぐに姿を消した。

 私は意味が変わらずサリエルの腕の中で慌てていると……甲板を歩く音と、再び声が聞こえる。



「イヴリン、イヴリン……嗚呼、イヴリン」



 此方へ向かう足音と共に、焼ける様な肌の痛みが、刺すものへ変わっていく。



「イヴリン。私の飼い主、私の唯一の人、運命の人」



 嵐が消えた空に、月が顔を見せる。月明かりにあてられれば、声の持ち主が姿を現した。


 光を隠す肌色に、月と同じ黄金色の瞳。……それは私がよく知る、エドガー・レントラーだ。




 ………なのに、どうして。

 何故私は、彼に恐怖を抱いているのだ。





 エドガーは熱に浮かされた表情を浮かべながら、荒々しく息を吐いた。




「嗚呼、イヴリン……イヴリン、イヴリンイヴリン、イヴリンイヴリンイヴリン!!!!あーー〜〜………イヴリン……君は、君は………」



 突然現れた炎は、エドガーの足元で生き物の様にうねる。床の木から、水分が蒸発し熱となって奴に纏わっていく。……エドガーの身に何が起きたのか?何故サリエルがアダリムを連れて来いと命じたのか?……否、それは分かっている。


 だって、奴が私を見る眼差し。

 それは私が、この世界で腐る程見てきたものだから。




 奴は、私へ愛を囁いた。


 



「嗚呼、イヴリン……君は……こんなにもいい匂いだったんだね……」






イヴリンが二、三人称を「お前」やら「奴」と呼ぶのは悪魔だけです。(一部悪魔、例えばエウリュアレーは純粋で礼儀正しいので「彼女」)

ちょっとエドガーが気持ち悪いかもしれません……でもね、でもイヴリン達も悪いからさ……やる事やっといて、挨拶もなしに地獄に行っちゃうから……。

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