7-15 フォックス作戦
差別的な描写があります。ご注意ください
ーーーレノスーーー
ふふふっ。兄が死んだ。バカ兄がいなくなり、ボクに次期大王の座が転がり込んできたのだ。なんて愉快なんだろう。立太子の礼が終わり、ボクはひとり悦に入る。そんなとき扉がノックされた。
「レノス様」
入ってきたのはアルブレヒト・ツェプター男爵。男爵家の次男で、ボクの側付きをしていた男だ。本来なら家は継げないはずだったけど、帝国に侵攻した際に親子共々討ち死に。結果、彼に男爵位が転がり込んできた、というわけさ。ボクがバカ兄を体よく失脚させようと思ったのも、彼の話を聞いたからだ。まさか戦死してくれるとは思わなかったけど。
「おお、アルブレヒトか。どうした?」
「お喜びください。フェラー侯とリース伯が殿下のご支持を表明いたしましたぞ」
「なんと!」
それは喜ばしい。両者とも南部の有力な貴族で、過去には何度も王女が降嫁している。王家が気を遣わなければならないほど力が強く、王となるには彼らの指示が不可欠だ。以前はバカ兄を支持していたが、それが戦死した今となってはボクに鞍替えしたというわけだ。
「フェラー侯は妹君を、リース伯はご息女を入内させたいとの意向を示しておられますが……」
「ふむ。まあ当然の要求だろう」
通常は利権なりを求めるところだが、彼らはそのようなものを必要としないほどに潤っている。ならば次に求めるのは国を動かすだけの権力だ。身内を嫁がせ、王子を産ませ、その王子を王位に就け、外戚として権力を振るう。大貴族ならば誰もが夢見ることだ。王の器量は、そのような外戚をいかに抑えるかに現れる。
「フェラー侯の妹が正室、リース伯の娘は側室だな」
爵位からしても妥当な判断だろう。問題はリース伯への補填だが……。
「リース伯には孫にボクの娘を嫁がせよう。年齢的には丁度いいはずだ」
先日、ボクは父上の名代としてリース伯の長男の結婚式に出た。上手く運べば、婚姻を結ぶのにいい年齢の子どもが生まれてくるだろう。側室にすることに対する補填にはそれで十分だ。
「アルブレヒト。そなたには加増と陞爵を約束しよう」
「ありがたき幸せ」
帝国との戦いで没落した家がいくらかあるからな。そこから適当に見繕えばいい。規模の小さな伯爵程度でいいだろう。なんなら、没落した家の子女と婚姻させる手もある。名跡を継ぐのだ。
「しかしそれでも足りぬ気がするな」
ボクは王家の次男。本来なら継ぐべき立場にはなかった。長幼の順でいえば妥当だが、対抗馬がいないわけではない。ボクより下の弟(異母弟)が特に有力だ。側室の子だが、公爵令嬢。対してボクの母親は亡国の姫だ。後ろ盾でいえば分が悪い。父上はボクを次期大王に指名したけど、まだまだ現役。帝国を滅ぼした後に廃嫡されないとも限らない。そうならないように、有力貴族を抱き込んでおく必要があった。
「殿下。わたくしはもう十分な褒美をいただいております」
アルブレヒトはそう言って遠慮するが、ボクの気が済まない。今回、アルブレヒトは国内でも特に有力な貴族を味方に引き込んでくれた。その功績は大きい。だからもう少しその功績に報いてやりたいのだ。何かないか。
「そうだ。丁度いい奴がいたじゃないか」
すっかり忘れていたが、王家にはまだ王女がいた。それも適齢の。
「アルブレヒト。リアナをやろう」
「え? リアナ王女を? ですが、あの方はご病気なのでは?」
「あれは嘘だ。今は後宮で母上の侍女をしている。血筋は少しばかり悪いが、王女は王女。それが侍女をしているなんてとても言えないからな。父上が病気という扱いにしたのだ」
血筋も悪く、降嫁させようにも相手がいない。まったくの役立たずだったが、ここにきて役に立った。王女降嫁という貴族垂涎の栄誉が新興の伯爵に降りかかれば嫉妬されることは間違いない。が、その血筋が悪いとなればあまり強く言う輩もいないだろう。血筋による『家格』を重視する貴族に、そのような汚点を好んで迎え入れる者はいない。
「中身はどうあれ、身分が身分なので正室となるがーー世間的には病弱ということになっている」
事情を知らない貴族からすれば、リアナは幼少期は賢かったが病魔に冒されてしまった薄幸の王女ーーということになっている。病弱であるというイメージが定着していた。であるならば、
「もし、運悪く病死してしまっても不思議には思われまい」
ということだ。
実はアルブレヒトにはある趣味がある。それは嗜虐。彼は女を虐めながら犯すことを趣味としていた。ボクもたまに参加していたが、そのときに犯っていたのは商売女や二束三文の奴隷。よくて平民の娘だ。だがそれではもの足りない、もっといい女を犯したいーーと常々言っていたのである。ならば(やや格は落ちるものの)王女という至高の女を犯せるようにしてやれば、その願いを叶えることができるだろうという考えだ。
ボクの思惑を察したのか、アルブレヒトはニヤッといやらしく笑う。女を虐めているときの顔だ。
「殿下。よろしいので?」
「構わん。父上も文句は言われないだろう」
優秀なリアナを煙たがっていたしな。厄介払いできるのであれば喜んで応じてくれるはずだ。父上はアレ(リアナ)が病弱でないことをご存知だが、病死したと言っても不思議に思わないだろう。元々関心がないし、病死は一年で何度も聞くありふれた話だからだ。
「より一層の忠誠を誓います」
「ははは。気が早いぞ」
ボクたちは笑いあった。
話がまとまると、アルブレヒトは侯爵や伯爵に伝達しに行った。ボクもリアナの降嫁を進言すべく、父上の執務室へと向かった。
ーーーオリオンーーー
各地で大王国軍を破った帝国軍は、ついに王都を取り囲んだ。対して大王国は王太子であるトドリスが戦死したことを公表し、次男のレノスの立太子の礼を執り行った。その席で大王ヴラドは国民に訴える。トドリスの仇を討て、と。
私見だが、敢えてトドリスの戦死を公表することで戦争の犠牲者は国民だけではないと訴え、同情を誘い団結を促す。同時に、次の王太子を立てたことで大王国はまだ続いていくという姿勢を明示する。こうすることで相次ぐ敗戦で沈滞した国内の空気を盛り上げようとしたのではないかーーというのが俺の見立てだ。
「ま、今さらどうしようもないんだけどな」
俺はひとり呟く。諜報部からの報告によれば、大王国は相次ぐ侵攻に戦力を各地から動員した結果、戦力は払底しているという。
大王国西部と北部は帝国との戦いで消耗し、占領されている。東部も先日の会戦でクレアの海兵師団に撃破され、中央の戦力は各地への援軍で激減。残るは南部だが、こちらは帝国第三軍との睨み合いで動けない。
対する帝国は消耗こそあるが、本国から兵力その他を補充、交代している。未だ戦力は潤沢に保有していた。大王国に向けている兵が十万を割ったことはない。一方の大王国は南部に二万、王都に三万程度と見られている。十分勝てる戦いだ。もちろん油断は禁物である。
完勝できる状況だが、ひとつ気がかりなことがある。それはレイチェル妃とリアナのことだ。負けが込んで変なことになっていなけれはいいが……。とにかく、王都を陥落させる前に救出作戦を発動する。実行は事前に王都へ潜伏させていた特殊戦闘隊(特戦隊)一個(七五名)。協力者として俺が扮する外交官ジュタローだ。顔見知りがいた方が面倒がない。今回は全軍をクレアに任せ、シルヴィも伴っての作戦実行だ。俺が敵の本丸にひとりで突入するのが心配でならないらしい。俺たちは夜陰に紛れ、王都へと潜入した。
ーーーーーー
「お待ちしておりました」
王都に入り、諜報部の大王国本部がある宿屋へ入るとハンゾーが出迎えてくれた。彼らの綿密な調査により、王宮の動きは把握できている。レイチェル妃に関して動きはないが、リアナについては婚姻話が進んでいるという。お相手は王太子の側近であるアルブレヒト・ツェプター男爵。黒い噂が絶えない人物であるという。
「ツェプター男爵は女性に対する嗜虐癖があり、娼館の支配人や奴隷商の間では有名だそうです」
「おいおい……」
それはまたとんでもない相手と結婚させられるな。とてもまともな人物には思えない。リアナは不幸の星の下に生まれたようだ。
「許せません! 女性を何だと思っているのですか!」
これに憤慨したのがシルヴィ。
「すぐに助けに向かいましょう!」
彼女は鼻息荒く主張する。女の敵は許さない主義のようだ。
「よし、行こうか」
リアナと約束したし、約束は守らなければならない。俺も同意し、大王国要人救出作戦ーー作戦名『フォックス』が発動となった。
ーーーーーー
フォックス作戦ーー名前の由来は第二次大戦中に連合軍が実施したヒトラー暗殺作戦である。敵首都に入り込んで作戦を遂行することからこの名前をつけた。
作戦内容は単純。潜伏している特戦隊が街で破壊工作などを行い、注目を集める。これが陽動作戦だ。こうして敵の注意が逸れたところで、俺とシルヴィが王宮に侵入。要人を救出する。
深夜。今日は新月であるため月明かりすらない。人々も静まり返っている。その静寂を破るように騒ぎが起こった。
「火事だ! 火事だーッ!」
一軒の家から出火。火はたちまち燃え広がり、周囲を阿鼻叫喚の地獄に変える。住民たちは着のみ着のまま外へ飛び出し、逃げ惑う。消火を試みる者がいたが、生憎と火元は住宅密集地。近寄ろうにも逃げる人波に呑まれて立ち往生していた。もたもたしている間に、火は異常ともいえる勢いで燃え広がった。
これこそが特戦隊の陽動作戦である。火が猛烈な勢いで広がるのも、彼らが事前に油を撒いていたからだ。なお、見回りの兵士は密かに始末されている。事が済めば焼死体として発見されるだろう。
ド派手な火事は、遠くからも目立つ。これは陽動作戦でもあり、作戦開始の合図でもあった。
「行くぞ」
「はい」
俺はシルヴィとともに王宮へ潜入する。内部構造は前回、使者として訪れた際に把握していた。もちろん諜報部も調査している。リアナの私室はわからないが、レイチェル妃の居場所はわかっている。まずはそちらへ向かいーーリアナも一緒である可能性が高いーー、それから次の手を打つことにした。
王宮だけあって警戒体制が敷かれている。だが外の騒ぎのせいか浮き足立っていた。それも無理はない。火事の騒ぎに紛れ、特戦隊がデマを流していた。この火事は帝国軍による攻撃で、帝国兵が城内にいるーーというものだ。ほぼ真実である。まずそんなことはないが、本当なら一大事。だからこそ兵たちは浮き足立つ。戦力が払底した大王国は、練度の高い王宮の兵士を引き抜いていった。代わって補充されたのはピカピカの新兵であり、戦いに慣れていない。そんな彼らが戦うかもしれないといわれて冷静でいられるはずがなかった。よって警戒はされていてもとんだザル警備であり、潜り抜けるのは容易である。
「着いた」
俺たちはレイチェル妃の部屋の前までやってきた。さすがに扉の前は熟練の兵士が守っていたが、風の魔法を使って周りの空気の二酸化炭素濃度を高めて昏倒させた。物を燃やせば発生する二酸化炭素だが、濃度が高くなると麻酔効果により死に至ることもある。最も身近で危険な物質だ。念のために意識がないことを確認してから、俺たちはレイチェル妃の部屋に入った。
「何者ですーーコムラ殿!?」
レイチェル妃は驚いた様子だった。無理もない。夜になんの前触れもなくやってきたのだから。
「お久しぶりです、レイチェル妃陛下。夜分に淑女の部屋を訪れる無礼をお許しください。あと、よろしければ手元の物騒なものはお仕舞いください」
「……ええ」
レイチェル妃は大人しく手元に握っていたナイフーーいざというときに自殺するためのものーーを手放した。
「お久しぶりですね、コムラ殿。そちらの方は?」
「え、あ、そのーー帝国陸軍少佐、カレンです!」
シルヴィは突然の問いかけにしどろもどろになりつつ、なんとか言い切った。……そういえば彼女の偽名を考えてなかったな。レイチェル妃も訝しんでいる。いかん。押し切ろう。
「単刀直入に申し上げます。わたしどもは皇帝陛下ならびに皇后陛下の命を奉じ、レイチェル妃陛下とリアナ王女の救出のためにまかり越しました」
「アリスの!? ……そうですか。わかりました。その話は既にリアナから聞いております。コムラ殿、皇帝陛下に進言してくださりありがとうございました」
「いえいえ。当然のことをしたまでですよ」
というより、単なる自作自演である。このことはすぐに知れるだろうが。
「では脱出のご準備を」
「わかりました」
「わたしたちはリアナ王女を捜索しますが、お心当たりなどはありますか?」
続いてこの場にいなかったリアナを探そうとしたのだが、レイチェル妃は困った顔をした。
「……それが、リアナの居場所がわからないのです」
「えっ!?」
「立太子の礼が終わり、晩餐会までの休憩時間にヴラド陛下から呼び出され、それっきりなのです」
となると、大王に会う前後で彼女の身に何かあったと考えるのが妥当だろう。
「これまでリアナ王女が呼び出されたことはありますか?」
「……いえ、なかったと思います」
であるなら、大王もグルだと見ていいだろう。……心配だ。
「コムラ殿! 妾にできることなら何でもいたします。なのでどうか、どうかリアナを助けてあげてくださいまし! あの娘は何も悪くないのです! 少し賢いだけの女子なのです! それが、他(自分の息子)の出来が悪かったためにこんなことに……」
縋りつくレイチェル妃の瞳からは悔恨の念が見て取れた。よっぽどリアナを大切に思っていたのだろう。聞けば、彼女には娘がひとりいた。しかし幼くして亡くなっているという。もしかすると、我が子とリアナを重ねているのかもしれない。リアナを育て上げることが、レイチェル妃の使命になっているのだ。だからこそ必死である。本来なら禁句である『なんでもする』という言葉まで使うのだから。
このように必死な姿を、俺はここ最近よく見るような気がする。最初はそう、ルドルフ公だ。レイチェル妃の無事を懇願された。
次に話題になっているリアナ。彼女もまたレイチェル妃を育ての親として大切に思っており、その救出を請願された。
そして今、レイチェル妃から同じような願いをされている。
父から子へ、子から孫へ。肉親を想う心はよく受け継がれていた。
「「お任せください。全力を尽くします」」
俺とシルヴィは同じタイミングで、異口同音に快諾する。これを断るなんて人間ではない。
「っ! 本当ですか!? ありがとうございます!」
「あと陛下」
「……なんでしょう?」
シルヴィが言葉を足す。レイチェル妃は訝しみながらも先を促した。
「お父君ーールドルフ公も同じようなことを仰っていましたよ。お父君から陛下、陛下からリアナ王女へ、その志はしっかりと受け継がれています。ご安心を。リアナ王女は立派に育っておられますよ」
シルヴィが伝えたかったことを先に言ってしまった。だが、俺も同じ気持ちだ。
リアナを立派に育て上げたということを伝えたかった。この時代で自らの身体を対価に差し出すなど、まず考えられない。良家の子女ならば、それはすなわち身の破滅であるからだ。それができてしまうのは、それだけ大切に思われていることの証左だろう。人は愚かな行為だと嘲笑うかもしれないが、俺は立派な行動だと思う。そして、そうさせるだけの人物もまた、素晴らしい人だ。
「お父様に会ったのですか!?」
「はい。同じようにお願いされましたよ。『娘を助けてほしい』と」
ルドルフ公からお願いされた趣旨だけ伝えられると、レイチェル妃は感極まって泣き崩れた。それはもう少し後ーー具体的にはリアナを救出してからにしてほしい。
「では少し失礼して」
俺は魔力を高め、幽霊的な使い魔を召喚。それらを王宮全体にばら撒き、リアナを探す。とりあえず地上を探索したが、見つけることはできなかった。ならば地下にいるのかと探索の手を広げれば、
「ーーいた」
俺は呟くと同時に駆け出していた。
「あっ! オリオン様!?」
シルヴィが咄嗟に俺の名前を呼んでいた。……身バレしちゃったよ、もう!
ーーーリアナーーー
わたしは大王様ーー血縁では父ですがそう呼ぶことは許されていませんーーに呼び出されました。……何のお話でしょう? これまでそんなことは一度もなかったのに。疑問に思いましたが、命令は命令です。わたしは大王妃様にお断りし、大王様の執務室に入りました。
「失礼いたします。リアナです」
「来たか」
部屋にいたのは二人。大王様と、異母弟のレノス王太子殿下でした。
「リアナ、嫁げ」
「……え?」
言われたことが一瞬理解できず、わたしは思わず訊き返していました。
「聞こえなかったのか。嫁げと言ったのだ」
大王様は面倒そうにしながらも同じことを言われました。……突然どういうことなんでしょう?
「ふっ。これだから下賎な血を引く者はダメなんだ。ボクみたいな高貴な血筋に生まれた者よりも愚鈍で、どうしようもないクズだからな。まったく、こんな奴と血が繋がっていると思うとゾッとするよ」
そういう言い方はないでしょうに。かなりムカつきました。ですが、わたしの立場は誰よりも弱く、我慢するしかありません。悔しいことですが。
「あの、どなたに嫁ぐのですか?」
自分で言って虚しくなりますが、わたしが嫁ぐなどよっぽどです。王家の血こそ流れていますが、わたしの価値などそれだけ。貰い手などいないと思っていました。だからこそ帝国の使者に身体を差し出すことができたのです。純潔は守らなくてもいいですから。
「ツェプター男爵だ。レノスの側近をしていた男で、レノスが即位すれば伯爵になる」
そんな人にわたしをーーいえ、だからこそですか。新興の伯爵に普通の王女が降嫁すれば嫉妬の嵐ですが、わたしなら問題にされませんしね。
「わかりました」
これも王侯貴族の務め。わたしは受け入れました。
「よし、下がっていいぞ」
「失礼します」
わたしは大王様の執務室を出ました。
「はあ……」
政略結婚は王侯貴族の子女なら当然。覚悟をしているつもりでしたが、やはり気が進みません。むしろ無関係だと思っていただけにショックでした。できれば意中の殿方と添い遂げたかったです。例えばそう、帝国大使のコムラ様のようなーーって、わたしは何を考えているのでしょう!? これから妻となるわたしが、他の殿方のことを考えるなど! ……ですが、できるならコムラ様のように紳士的な方であってほしいです。
「コムラ様、ですか……」
そういえばあのときのお約束はどうなったのでしょう? あの日から時は流れ、帝国はこの王都のすぐ側までやってきているのに。
「忘れられているのかしら?」
だとしたらとても悲しいです。ーーいえ、もしかすると機会をうかがっているのかも。きっとそうです。わたしが身を差し出しても手を出されなかった紳士ですから。
残念ながら、あのお約束は果たせそうにありません。ですが、最後にーー嫁入りする前にひと目だけでもお目にかかりたいです。
「どうか、もう一度……」
……いけませんね。気分が落ち込んでしまいました。嫁入り前にはそうなるといいますが、これもそうなのでしょうか?
「いけない。大王妃様にお話しないと」
今までありがとうございました、とちゃんとお礼を言おう。何も返せていないけれど、精一杯の感謝を込めて。
わたしはそう意気込んで歩き出しました。ーーですが、次の瞬間、
「むぐっ!?」
突然、目の前が真っ暗になりました。袋か何かを被さられたようです。わたしは外そうともがきますが、腕を何者かに拘束されていて動けません。
「ーー眠れ」
こんな緊急事態にもかかわらず、睡魔がわたしを襲います。これは魔法でしょうか? 寝るものかと思いますが、睡魔を止めることはできませんでした。
「よし、運んでおけ」
「はっ」
意識を失う寸前、そのような会話を耳にしました。殿方の声ですが、それが誰かを確認することはできませんでした。
ーーーーーー
気づいたら、わたしは椅子に座らされていました。後ろ手に縛られていて動けません。
「誰か! 誰かいませんか!?」
大声で助けを求めますが、暗い空間に虚しく響くだけでした。……どうしてこんなことになったのでしょう。わかりません。
「やあやあ。お目覚めかな、リアナ王女」
自分の現状について考えをめぐらせていると、不意に声をかけられました。
「あなたは……?」
「我が名はアルブレヒト。ツェプター男爵家の当主であり、近い将来に伯爵となる男だ。これから末永く付き合うことになるのだ、よく覚えておけ」
この方がツェプター男爵ですか。針のように身体が細く、髪がやや長いせいで顔にかかって暗い印象を受けます。そしてとても高圧的でした。昔の兄弟とそっくりです。
「あなたがツェプター男爵ですか。大王様からお話は伺いました。わたしの婚約者だそうですね。であるなら、早くこの縄を解いていただけます?」
「黙れ、無能女が!」
ーービシッ!
わたしのすぐ横を何かが凄いスピードで通り過ぎていきました。薄暗い部屋を照らす唯一の光源。頼りないそれが映し出したのは鞭でした。
「オレに上から目線で話すなんていい度胸だな」
ツェプター男爵は射殺さんばかりに全身に怒気を滾らせています。怖い。ですが、ここで怯んではいけないと思って言い返しました。
「王女であるわたしをこのように縛るなど、大王様が黙っていませんよ!」
「ははっ。残念だったな。レノス殿下はご承知で、大王様も黙認してくださるのだろう。つまり、いくら喚いたところで助けは来ないということだ」
ツェプター男爵は嘲笑します。くっ……。その様子だと、レノスの差し金のようですね。そこまでしてわたしを排除したいですか。
「大王様たち公認の仲なわけだ。これからは仲良くしていこうじゃないか、リアナ王女ーーいや、リアナ」
「……気安く名前で呼ばないでください」
「はっ。オレの妻になるんだ。『王女』なんて呼ぶのはおかしいだろう?」
「下郎が」
わたしは精一杯の嫌悪感と憎悪を込めてツェプター男爵を睨みました。しかし彼は気にした様子もなく、ニヤァといやらしい笑みを浮かべます」
「いいねぇ、その顔。オレが好きな顔だ」
そう言いながら少し距離をとる男爵。やや進んだところで踵を返します。
「オレは女を虐めるのが趣味でな、特に気の強い女を堕とすのが愉しいんだーーおい」
「「へい」」
男爵が声をかけると、後ろから二人の男が出てきました。彼らは何も言われずともジャラジャラと何かをしています。何をされるのだろう、と思っていると縄を解かれました。しかし自由にはなれません。肩をしっかり掴まれているからです。
「離して!」
暴れますが、男たちの腕力の前では無駄でした。わずかに身じろぎするのが精一杯です。そうこうしている間にも男たちはわたしの腕を持ち上げ、ジャラジャラと金属音を立てていました。何をしているのかーーという疑問はすぐに解消されます。ガチャ、という音とともに手に金属の冷たい感触がしました。上を見れば、わずかな明かりに反射して手錠が見えました。わたしの腕にはめられています。
「何を!?」
訊いても男たちは答えず、また闇に消えていきました。逃げられないように拘束されただけかと思ったのですが、それは間違いだったようです。ややあって、わたしの身体は宙に浮きました。目の前には鞭を持ったツェプター男爵。
「まさか……」
「さすがに気づくか。そう、オレの趣味は女を堕とすことーーこうやって嬲りながら……なっ!」
ーーピシッ!
「あうッ!」
男爵が鞭打つ。わたしは痛みに呻き声を上げます。当たったのはお腹の辺り。服が裂け、ミミズ腫れになっています。
「次ィッ!」
ーーピシィィィッ!
「うッ!」
「もう一度ォ!」
ーーピシィィィッ!
「やッ! あっ……」
今度は続けざまに二度も鞭打たれました。やはり服が裂け、ミミズ腫れになっています。打たれたところが熱い。
「どこまで耐えられるか楽しみだなァ」
わたしは苦痛に呻き、男爵はそれを見て酷薄な笑みを浮かべていました。
……
…………
………………
そうしてどれだけのときが経ったでしょうか。時間の感覚がなくて、皆目見当もつきませんでした。一日経ったのかもしれませんし、ほんの数時間なのかもしれません。ただいえるのは、あれからわたしはずっと鞭打たれ、拷問まがいの仕打ちをされていました。
男爵の仕打ちはそれだけではありません。あるとき、男爵は明かりを強くするように指示を出しました。すると先ほどわたしを吊るした男たちが現れ、ランプに火を灯していきました。部屋が一気に明るくなります。そしてわたしが目にしたのは、数々の拷問器具でした。
「こ、れは……」
わたしは思わず震えてしまいました。なぜなら、それらはある共通の目的をもっていたからです。それはーー女性を辱めるため。
「安心しろ。これまでオレはこれでたくさんの女を堕としてきた。お前もすぐにそうなるよ」
慄くわたしの様子を見て男爵は笑いました。考えたくないのに、それらの器具を使って辱めを受けている姿が目に浮かびます。
「……」
もういいやーーそう思えてきました。鞭打たれても痛くありません。熱いだけです。異常な状態ですが、どうでもいい。生きていても辱められるだけ。ならばいっそ、死んでしまった方がマシです。手は使えませんが、口は動きます。このまま下を噛み切ってしまいましょう。わたしは身体に残った力を総動員して歯と歯の間に舌を置きます。
力を入れる前に、これまでのことが思い返されました。育てていただいた妃様には何もお返しできずに申し訳ありません。同様に、わたしによくしてくださった方々にも。そしてコムラ様のことも。できればもう一度お会いしたかったです。もう叶いませんが。
思い出を反芻し終え、いよいよ力を込めーー、
ーーバンッ!
「っ!?」
突然、大きな音がしました。わたしは驚いて力を込められません。
「何事だ!?」
ツェプター男爵が事情を訊ねていました。どうやら、これは彼にとっても想定外のようです。
「男爵様。賊です!」
「賊だと!? バカな! ここは王宮の地下だぞ!?」
「わかりません。急に現れてーーうわっ!」
突風が男を吹き飛ばしました。壁に叩きつけられ、それから身じろぎひとつしません。気を失っているようです。
「リアナ王女!」
男の方に向いていた意識が、わたしの名前を呼ぶ声で元に戻ります。部屋へ飛び込んできた人物の姿は室内を照らす明かりによってはっきりと見ることができました。そして、わたしは息を呑みます。
「……コムラ、様?」
現れたのは間違いなくコムラ様でした。でも、なぜ帝国の方がここに? まさか大王国は敗れたのでしょうか? ですが、もしそうだとしてもコムラ様がここにやってきた理由がわかりません。普通は気づきませんし、外交官の方が戦闘の直後に現れることも不思議です。謎だらけでした。
「何者だ!?」
「どけっ!」
コムラ様は男爵の誰何を一顧だにせず、無造作に手を振りました。するとまたしても突風が吹き、男爵を先ほどの男同様に吹き飛ばします。吹き飛ばされた男爵はいくつかの拷問器具を巻き込みながら倒れ伏しました。
「大丈夫ですか!?」
そのまま駆け寄ってきたコムラ様はわたしの姿を見て愕然とされていました。そうですよね。全身ミミズ腫れで覆われていますし。服もボロ切れ同然になってしまっています。これでも容姿には少しばかり自信があったのですが、すっかり醜くなってしまいました。
「すぐに治します。もう少し我慢してください」
そうやって自嘲していましたが、コムラ様は微笑んでそう仰ってくださいました。とても安心しますが、薬もないのにどうやってという疑問も浮かびます。ですが、コムラ様から光が発せられると全身のミミズ腫れがなくなってしまいました。熱さはもちろん、痛みさえもありません。肌も、元の綺麗なものに戻っていました。コムラ様は治癒魔法を使えたのですね。
ですが、驚くのはまだ早かったようです。続いてコムラ様はわたしの拘束を解きにかかりました。その方法も驚きで、
「少し失礼」
との言葉とともにコムラ様の左手がわたしの脚に触れました。次の瞬間、身体がふわりと浮きます。
「きゃっ!」
突然すぎて悲鳴を上げてしまいますが、身体が地面に落ちることはありませんでした。コムラ様が途中で抱きとめてくださったのです。腕にはまだ手錠がはまったままですが、鎖の部分が切断されていました。……これも魔法でしょうか?
「これを」
すかさずコムラ様は毛布でわたしを包んでくださいました。柔らかくて心地いいです。ボロ切れのような服のままでいるのは嫌なのでありがたいのですが、この毛布はどこから取り出したのでしょう?
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
「あの、なぜコムラ様がここに?」
わたしは訊ねますが、その答えを得ることはできませんでした。
「おのれぇ!」
ツェプター男爵が起き上がってこちらに向かってきたからです。男爵は怒っています。ですが、コムラ様は気にした様子がありません。
「お前は何者だ?」
「さあ? 誰でしょう?」
男爵の問いかけにも人を食ったような態度で応じます。それからコムラ様は部屋をぐるりと見回しました。そしてひと言。
「拷問器具がこんなにたくさん。悪趣味ですね」
「黙れぇ!」
その言葉が琴線に触れたのか、男爵は激怒しました。腰に差していた剣を抜いて斬りかかってきます。
「はい、残念」
ただ、その攻撃が当たることはありませんでした。コムラ様はまた何かの魔法を使われます。また光がわたしを覆い、あまりの眩しさに目を閉じました。
「え?」
そして目を開けると、わたしは妃様のお部屋にいました。
次回でこの章が終わります。同時に簡単な人物紹介も今更ながら掲載いたします。




