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第93話:旅路の軌跡


 ポルタ・フィエラの門を後にした時、俺たちを送る人々の声は、夕陽のように温かかった。

 もう、誰も俺を「化け物」とは呼ばない。「英雄ゴブスケ」と、その名を呼んだ。

 だが、その響きは、まだ俺の心には少しだけむず痒く、そして重かった。


 俺たちの旅は、過去をなぞるように続いた。

 カシムの提案で、俺たちがかつて共に歩いた街を、もう一度巡ることにしたのだ。


「ただ礼を言うだけじゃねえ。俺たちがどれだけ変わったか、確かめる旅だ」

 彼は、そう言って悪戯っぽく笑った。


【砂塵の都】

 訪れたのは、星の民が暮らすオアシス都市だった。


 灼熱の砂漠を越え、砂色の城壁が見えた時、懐かしさがこみ上げてきた。かつては、この熱砂に焼かれ、行き倒れかけた場所だ。


「しかし、よく道が分かりましたね。迷いがなかった」

 セラフィナが、感心したように呟く。


「へへっ、こいつのゴブリンとしての勘は、今や星の動きより正確なんでな」

 カシムの言葉に、俺は少しだけ照れた。迷っていたのは道だけではない。あの頃の俺は、生き方そのものに迷っていたのだ。


 広場の焚き火の前で、あの時と同じ神官の老人が、俺たちを静かに待っていた。

「……星の軌道が、あなた方の再訪を告げておりました」

 老人は、俺の手を両手で包み込み、深く頷いた。


「二つの世界を照らす星は、その輝きを定めつつある。もはや、どちらの姿であるかに、迷いはありませんな」

 その言葉に、俺は静かに頷いた。


 「人間になる」という旅は終わった。ここから先は、「ゴブスケ」としてどう生きるかという、新しい旅だ。


【職人の街】

 次に訪れたのは、活火山の中に築かれた、ドワーフと人間の職人の街。

 鼻をつく硫黄と、鉄の焼ける匂い。巨大な鎚が振るわれる轟音。


「よぉ、親父さん! また来たぜ!」

 カシムは、かつて見栄えだけの幻術魔法具を鼻で笑い、門前払いした髭面のドワーフの工房を、堂々と訪れた。


「……ふん。またあのガキの玩具みてえな光り物でも見せに来たか」


「へっ、違いないね」

 カシムは不敵に笑うと、懐から神木の苗木を取り出し、エルフに教わった植物魔法で、その葉脈の輝きを一層強くしてみせた。


「こいつは、俺の新しい『芸術』だ。どうだい、親父さん。こいつには、魂が宿ってるか?」

 ドワーフは、言葉を失っていた。ただ、その職人の頑固な目が、信じられないものを見るように大きく見開かれているのが答えだった。


「……幻術とは違い、魔力が生命そのものと結びついています。まあ、及第点でしょう」

 セラフィナが、腕を組んで上から目線で評価を下す。ドワーフは、フンと鼻を鳴らしたが、その口元は微かに笑っていた。


 俺は、あの時助けた若い銀細工師の工房を訪ねた。

 彼は、俺の顔を見るなり駆け寄ってきた。


「あの時の……! いったい何者なんだ、あんたは!」

 俺は、ありのままの姿で、彼に名乗った。


「俺は、ゴブスケだ。カシムの、相棒だ」

 職人は、俺が差し出した、ゴブリンの知恵で調合した新しい研磨剤の小瓶と、俺の緑色の顔を、何度も見比べた。

 そして、深く頭を下げた。


「……ありがとう、ゴブスケ殿」

 種族の壁を超えた感謝が、そこにはあった。


【天空の修道院】

 世界の屋根と呼ばれる、険しい山脈の頂。

 風に削られた白い石の修道院は、変わらずそこに、静かに佇んでいた。


 言葉を交わさず、風や雲と対話する修行僧たち。

 俺たちは、あの時と同じように、崖に面したテラスに座った。


 目を閉じる。

 風の音がする。その音の奥にある、もっとか細い声を、聴こうとする。


 岩の囁き。雲の流れ。世界の、呼吸。

 以前はただの雑音にしか聞こえなかったその声が、今は、心地よい音楽のように、俺の心に染み渡っていく。


『……ああ。世界は、こんなにも、語りかけてくれていたのか』

 隣を見ると、カシムも、目を閉じて静かに座っていた。


「腹が減った」「退屈だ」と騒いでいた、かつての彼とは違う。その横顔には、植物の声を聞く者だけが持つ、穏やかで深い表情が浮かんでいた。


 セラフィナも、いつもは張り詰めている肩の力を抜き、ただ、雲の流れを静かに見つめている。


「……合理的です。言葉という不完全な情報伝達手段を排し、世界の法則そのものと対話する。……師の教えに、通じるものがあります」

 彼女の呟きが、風に溶けていった。


 俺たちは、何時間も、ただそこに座っていた。言葉はいらなかった。


【大図書館】

 最後に訪れたのは、世界中の知識が集まる、大図書館の街だった。


 俺が知識の海に溺れ、カシムが己の無力さに絶望し、「俺は、お前のただの荷物持ちじゃない!」と叫んだ、あの因縁の場所。


 カシムは、図書館の威圧的な巨大な扉の前に立ち、深く息を吸った。


「……よし」

 彼たちは、もう、この場所を恐れていなかった。

 俺たちは、中へ入る。

 古本の匂い。静寂。


 カシムは、迷うことなくエルフの植物学に関する専門書の棚へ、まっすぐに向かっていった。その背中には、自分だけの「専門分野(武器)」を見つけた者の、確かな自信があった。


 俺は、あの時と同じ、歴史書の棚の前に立った。

『王国の歴史』『人間種族の思想と芸術について』。


「……まだ、読んでいたのですか。その本は」

 いつの間にか、セラフィナが隣に立っていた。


「ああ。あの頃は、ただ人間になるために、必死に文字を追っていた。……だが、今は違う」

 この知識は、誰かになるためのものではない。調停役として、二つの種族の未来を考えるための、道具だ。


「理論だけでは、世界は変えられない。それを、私はあなたから学びました」

 セラフィナは、そう言うと、一冊の分厚い古書を棚から抜き取り、俺に差し出した。


「ですが、知識なき実践は、ただの蛮勇です。……これも、読んでおきなさい」

 手渡されたのは、異種族間の古代協定に関する、極めて難解な研究書だった。


 かつての俺なら目眩がしただろう。だが今の俺には、彼女がこれを「お前なら読める」と信頼して渡してくれたことが分かった。

 丘の上で、俺たちは、夕日に染まる街を見下ろしていた。


「どうだった、ゴブスケ」

 カシムが尋ねる。


「ああ。俺たちが、どれだけ遠くまで来たか、よく分かった」

 セラフィナも、静かに頷いた。


「……ええ。悪くない、旅でした」

 過去を巡る旅路は、ここで一区切りとなる。


 それは、自分たちの成長の軌跡を確かめる、温かい時間だった。

 そして、これから向かうべき、最後の場所への覚悟を決めるための、静かな儀式でもあった。


「さて。感傷に浸るのは、ここまでです」

 セラフィナが、衣の裾を翻して俺たちに向き直った。


「次は、あなたの師の元へ。……そして、王都へ」

 彼女の瞳には、次なる目的地を真っ直ぐに見据える、強い光が宿っていた。

 俺たちの旅は、いよいよ終着点へと向かう。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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