第87話:友と盾
ゴブリンキングは、俺たちの再会を祝うような、感傷的な猶予は与えてくれなかった。
王の怒号に、後方で控えていたゴブリンの精鋭部隊が、一斉に動いた。
彼らは、最前列の「壁」にされた者たちとは、何もかもが違った。
全員が、人間から奪ったであろう、黒光りする鉄の鎧を身に着けている。その手には、血に濡れた大斧や、歪なモーニングスターが握られていた。
数は、百ほど。だが、その一匹一匹が、族長クラスの膂力と、獰猛な殺意を放っている。
「(王の敵を、排除せよ!)」
隊長らしき、巨大なゴブリンが叫ぶ。
精鋭部隊は、茨に囚われた同族を意にも介さず、その体を踏みつけ、乗り越え、俺たち三人がいる中心部へと、黒い波となって殺到した。
「来るぞ!」
カシムが叫ぶ。
その声が、新たな戦いの始まりを告げた。
「……目障りです」
セラフィナが、冷たく呟く。
彼女が杖を振るうと、空中に無数の、鋭い氷の槍が生まれ、その切っ先を突進してくる精鋭部隊のゴブリンへと向けた。大気が凍りつき、氷の槍が放つ絶対零度の魔力が、肌を刺す。
今まさに、その死の雨が放たれようとしていた。
その光景に、俺は我に返った。
違う。
違う、これじゃない。
俺は、この殺戮を止めるために、ここに立ったんだ。
「やめろッ!」
俺の喉から、自分でも驚くほどの、絶叫が迸った。
「殺すな! セラフィナ!」
俺の叫びに、セラフィナの動きが、ぴたりと止まった。
空中に静止した氷の槍が、彼女の困惑を示すかのように、わずかに揺らめく。
彼女は、信じられないものを見る目で、こちらを振り返った。
「……何を、言っているのですか、あなたは」
その声は、怒りよりも、純粋な理解不能に満ちていた。
「彼らは、あなたを殺そうとしている敵です。攻撃の意思を削ぐには、排除するしかありません」
「違う!」
杖を握りしめたまま、叫び返す。
「俺は、それを止めるために……! 殺し合いを、止めるために、ここに……!」
「馬鹿野郎! 寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ、ゴブスケ!」
カシムが、茨の壁を維持しながら怒鳴り返してきた。
「こいつらは、お前を殺そうとしたんだぞ!? 俺たちが来なきゃ、お前は今頃、肉塊になってたんだ! なのに、そいつらを殺すなってのかよ!?」
「それでも、ダメだ!」
俺たちの間で、激しい言葉が火花を散らす。
その隙を、ゴブリンキングの精鋭部隊は見逃さなかった。
「(今だ! かかれ!)」
隊長らしきゴブリンの号令で、残った者たちが、再び俺たちへと殺到する。
「……っ! 話は後です!」
セラフィナが、再び杖を構えた。だが、彼女の魔法は形を変えていた。
「『フロスト・ノヴァ』!」
先程のような氷の槍ではない。
彼女の足元から、絶対零度の冷気が波紋のように広がり、殺到するゴブリンたちの足元を凍てつかせる。数匹がバランスを崩して転倒し、動きが鈍った。
「これでいいのでしょう!?」
セラフィナが、忌々しげに叫ぶ。
「ちぃ! 殺さないのは難しいぞ!!」
カシムも、悪態をつきながら、茨の壁をさらに厚くする。蛇のようにしなり、ゴブリンたちの武器を絡め取り、足に巻き付いて転倒させる。
「どうだ、ゴブスケ! これなら文句ねえだろ!」
二人は、俺の理想に応えようとしてくれていた。
殺すのではなく、動きを封じるために、その卓越した魔法を、不慣れな形で使おうと苦闘している。
だが、相手は王の精鋭部隊。
凍りついた地面を、鎧の重さで砕きながら進む者。茨を、その剛腕で引きちぎる者。
二人の奮闘も、数の暴力の前では、徐々に押し返されていく。
「きりがありません!」
「くそっ、次から次に……!」
二人の焦りが、痛いほど伝わってくる。
彼らは、俺を守るために、そして、俺の理想を守るために、戦ってくれている。
俺は、ただ守られているだけでいいのか?
違う。
俺は、二人の前に立ちはだかった。
そして、光の壁の向こうで、武器を振りかざすゴブリンたちを、まっすぐに見据える。
「殺さない。……殺させない」
二人に、そして、自分自身に言い聞かせるように、呟いた。
「俺は、そのために、ここにいるんだ」
『ウォール・オブ・ライト!』
俺は杖を地面に突き立てた。
俺と、セラフィナ、カシム。その三人を囲むように、攻撃の意思を持たない、ただ守るためだけの、温かい光の壁が立ち上る。
ゴブリンたちの斧や剣が、光の壁に弾かれ、火花を散らす。
「あなた……! 何を!?」
セラフィナが、俺を睨みつける。
「ゴブスケ! てめえ、何してんだよ!? これじゃ、俺たちの魔法も届かねえじゃねえか!」
カシムも、混乱して叫んでいた。
絶望的な状況。
外には、殺意に満ちたゴブリンの精鋭部隊。
背後には、俺の行動を理解できず、困惑と怒りに満ちた、二人の仲間。
そして、その全てを、遠巻きに見つめる、人間とゴブリンの、何万という軍勢。
俺は、たった一人で、この戦場の、全ての者と敵対していた。
理想を、貫き通すために。
光の壁が、ゴブリンたちの猛攻に、激しく揺らめく。
マナが、急速に削られていく。
この壁が、いつまで持つか。
それは、誰にも分からなかった。
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