第79話:二人の共同作業
「……なんだよ、これ……。俺……」
カシムは、自分の手のひらを、呆然と見つめている。
その才能に、エルフたちは、すぐに気づいた。
カシムの才能に気づいたエルフたちは、彼に協力を求める。
俺たちは、里の長老がいるという、神木の根元に作られた広間へと案内された。
そこには、木の皮のような深い皺を顔に刻んだ、何千年も生きているかのような、エルフの長老が座っていた。
「人間よ。名は、カシムと申したか」
長老の声は、古木の葉が擦れ合うように静かで、威厳があった。
「我らの同胞が聞けなかった、神木の声を聞いたと。……どうか、その力を、我らのために貸してはくれまいか」
カシムは、まだ自分の才能に戸惑っているようだった。
だが、彼は、俺の顔と、長老の顔を一度だけ見比べると、覚悟を決めたようにこくりと頷いた。
「……分かった。俺に、任せろ」
俺たちは、再び神木の前へと戻った。
カシムは、エルフたちが見守る前で、もう一度その幹に、そっと手のひらを当てる。
彼は、深く息を吸い込むと意識を集中させた。
それは、俺が魔法を使う時とは、全く違う。マナを練り上げるのではない。ただ、心を澄ませ耳を傾ける。
長い、長い沈黙。
カシムの額に、玉のような汗が浮かぶ。
やがて、彼は、目を開けた。
「……もっと、詳しく聞こえてきた」
彼の声は、真剣そのものだった。
「……名前は、分からねえ。だが、黒くて、小さい、虫みたいな生き物だ。神木の……マナだけを、喰ってる。光を、嫌う。根の、一番深いところで巣を作ってやがる……!」
カシムは神木の「声」を聞き、病の核心が、木の根に寄生した、魔法を喰らう微小な生物であることを突き止める。
その言葉に、エルフの長老が目を見開いた。
「……マナ喰らい虫……。古の伝承にのみ残る、忌まわしき災厄……!」
エルフたちの間に、絶望のどよめきが広がる。
「なんと……。我らの癒しの魔法は、奴らにとっては、ただの餌でしかなかったというのか……!」
カシムは、問題を見つけ出した。だが、解決策はない。彼は、どうすればいいのか分からず、助けを求めるように俺の顔を見た。
俺は、彼の言葉を、頭の中で繰り返していた。
『黒くて、小さい虫』
『マナだけを喰う』
『光を嫌う』
その生物の名を聞いた俺の脳裏に、遠い昔の記憶が蘇った。
エリアス先生の書斎ではない。もっとずっと昔。
ゴブリンの巣穴。焚き火を囲み、年老いたゴブリンが語ってくれた、洞窟の奥深くに潜む、化け物たちの物語。ゴブリンの伝承だ。
「……その虫、知っている」
俺の静かな一言。
その場にいた、全てのエルフとカシムの視線が、俺一人に集中した。
俺は、人間の少年の姿のまま、ゴブリンの知識を語り始めた。
「ゴブリンは、それを『影喰らい』と呼ぶ。光の届かない、深い洞窟の底で、マナの鉱石を喰らって生きている」
「なんと……!」
「だが、倒す方法はある。影喰らいには、天敵がいる」
俺は、続ける。
「一つは、山の奥深くで採れる、『月光石』という鉱石。その石が放つ、かすかな光の揺らぎを、影喰らいは、ひどく嫌う」
「そして、もう一つ。マナが濃く集まる森の一番暗い場所にだけ生える、『夜泣き苔』。その苔は、影喰らいにとって、猛毒だ」
ゴブスケは、ゴブリンの伝承に残る、ある特殊な鉱石とその虫の天敵である苔の組み合わせこそが、唯一の治療薬であることを思い出す。
「ただし、夜泣き苔は、神木にとっても毒になる。だが、月光石と一緒に使えば、苔の毒は中和され、影喰らいを殺す力だけが残るはずだ」
俺の言葉に、広間は、水を打ったように静まり返った。
エルフたちは、信じられないという顔で、俺を見ていた。
彼らが、何百年もかけて築き上げた知識の体系。そのどこにもなかった答えが、彼らが最も見下していた、ゴブリンの、口承の物語の中に眠っていたのだ。
やがて、長老が、俺に向かって深く頭を下げた。
「……感謝する、異邦の賢者よ。どうか、その知恵を、我らにお貸し願いたい」
二人の、人間とゴブリン、そしてエルフの垣根を超えた知識と才能が、初めて一つの目的のために融合する。
俺とカシムは、もう、ただの招かれざる客ではなかった。この美しい里を救うための、唯一の、希望。
俺たちは、顔を見合わせ、力強く頷き合った。
俺と相棒の、本当の共同作業が、今、始まろうとしていた。
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