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第74話:大図書館と相棒の焦り

 

 天空の修道院が、俺に新しい問いをくれた。

 だが、その問いは、俺一人のものだった。カシムにとっては、ただ腹が減るだけの、退屈な時間だったらしい。


 俺たちは、沈黙の僧たちに別れを告げると、山を下り、次の街を目指した。


「今度こそ、でけえ街だ!」

 旅の道中、カシムはもう次の儲け話に夢中だった。


「世界中の知識が集まるっていう、大図書館の街だ! 本がたくさんあるってことは、それを読む金持ちの貴族もたくさんいるってことよ! 俺の出番だな!」

 彼の目には、もう金貨の輝きしか見えていない。


 数週間後、俺たちはその街にたどり着いた。

 そこは、これまで俺が見てきた、どの街とも違っていた。


 活気はある。だが、それはポルタ・フィエラの市場のような、欲望の熱気ではない。もっと静かで知的な熱気。


 石畳の道を、学者風のローブを着た人々が、分厚い本を抱えて行き交っている。道の両脇には、古本屋や、紙とインクを売る店が、ずらりと並んでいた。街全体が、一つの巨大な書斎のようだった。


 そして、その中心に、それはあった。

 大図書館。


 白い大理石だけで作られた、神殿のような建物。その巨大な扉は常に開かれており、知を求める者なら、誰でも受け入れるという意思を示しているようだった。


 俺は、その光景に息を呑んだ。

 エリアス先生の書斎。ヴァレリウス様の執務室。そのどちらよりも、ずっと多くの本がここにはある。

 俺の知らない世界中の知識が。


「……すごい」

 俺は、思わず声を漏らした。


「だろ!? よーし、スケ! ここで一旗揚げてやるぜ!」

 カシムは、俺の感動などお構いなしに、早速、仕事を探し始めた。


 彼は、いかにも金を持っていそうな貴族を見つけては、声をかける。

「そこの旦那! 旅の護衛は、いりませんか? 俺の魔法は、オークだって一撃で……」 


「結構だ」

 貴族は、カシムを一瞥もせずに通り過ぎていく。


「では、奥様! この『幸運を呼ぶお守り』、特別に……」


「間に合っているわ」


 カシムの得意とする、交渉術やハッタリ。

 それが、この街では全く通用しなかった。


 ここでは、口のうまさよりも、その人物が持つ知識の深さが何よりも重んじられるのだ。

 彼の言葉は、誰の心にも響かない。ただ、空しく行き交う人々の中に消えていくだけ。


 一方、俺は、大図書館の中にいた。

 許可を取る必要などなかった。ただ、静かに入り、本を手に取るだけ。


 俺は、まるで飢えた獣が水場を見つけたかのように、夢中で書物を読み漁った。


 知らない歴史。知らない魔法。知らない国の物語。

 読んでも、読んでも、尽きることがない。

 俺は、時間の経つのも忘れ、知識の海に深く沈んでいった。


 その日の夜、宿屋に戻ると、カシムが一人で酒を飲んでいた。

「……おかえり」

 その声には、いつもの元気がない。


「どうした、カシム」


「別に。……お前こそ、楽しそうだったじゃねえか。一日中、本に齧り付いてよ」

 彼の言葉には、棘があった。


 そんな日々が、何日も続いた。

 俺は、毎日、朝から晩まで図書館に通い知識を吸収していく。


 カシムは、毎日、街に出ては、誰にも相手にされず、惨めな思いをして、宿屋に帰ってくる。

 俺たちの間に、会話はなくなっていった。


 俺は、自分の世界に夢中だった。

 カシムが、俺の隣でどんな思いでいたのか。

 俺は、気づいていなかったのだ。


 その日、俺は、一冊の、極めて難解な古代魔法の文献の解読に成功した。

 興奮した俺は、その成果をカシムに報告しようと、宿屋へと駆け戻った。


「カシム! すごいぞ! 古代のゴーレムの作り方が……!」

 俺が部屋の扉を開けた、その時だった。

 カシムは、旅の荷物を、革袋に詰め込んでいた。


「……カシム?」


「……ああ。おかえり、天才様」

 彼の声は、凍りつくように冷たかった。


「お前の、素晴らしい研究の邪魔して、悪かったな」


「……何をしているんだ?」


「見て分かんねえか。出ていく準備だよ」


「出ていく? どこへ?」

 その問いに、カシムの中で、何かかぷつりと切れた。

 彼は、荷物を床に叩きつけると、俺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで、叫んだ。


「うるせえな! お前には、関係ねえだろ!」

 彼の瞳には、俺が今まで見たことのない、深い劣等感と焦燥の色が浮かんでいた。


「お前はいいよな! 本さえ読んでりゃ、どんどん賢くなって、どんどん強くなる! 俺は、どうだ!? この街で、俺は何ができる!? 交渉もできねえ! ハッタリも通じねえ! ただ、お前の後ろをついて歩くだけだ!」

 彼は、俺の肩を、突き放した。


「俺は、お前のただの荷物持ちじゃない!」

 その叫びが、狭い部屋に痛いほど響き渡った。

 俺は、何も言えなかった。彼の、魂の叫びを、受け止めることしかできなかった。

 俺は、相棒の心を、全く見ていなかったのだ。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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