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第72話:職人の街と偽りの価値

 

 砂塵の都での日々は、俺に新しい視点をくれた。

 だが、カシムにとっては、退屈なだけだったらしい。彼の口八丁手八丁が、ここでは何の役にも立たなかったからだ。


 俺たちは、星の民に別れを告げると、次の目的地へと向かった。


「次は、職人の街だ!」

 旅の道中、カシムは、もう次の儲け話に夢中だった。


「あそこは、ドワーフだの、頑固な爺いだのが、腕自慢をしてるだけの古臭い街だ。だが、そこに、俺たちのチャンスがある!」

「チャンス……?」

「ああ! 奴らは、鎚を振るうことしか知らねえ。だが、俺の魔法は、時代の最先端を行く『芸術』だ! 奴らの度肝を抜いて、大儲けしてやるぜ!」


 その街は、巨大な活火山の中に築かれていた。

 ドワーフと人間が共存する、職人の街。


 街の空気は、硫黄の匂いと、鉄の焼ける匂いで満ちている。道端では、屈強なドワーフたちが、巨大な鎚を振るい、火花を散らしていた。ここでは、作品に込められた技術と魂こそが、絶対的な価値を持つ。


「よおし、スケ! 見てろよ!」

 カシムは、自信満々で、近くの工房の主人に、声をかけた。

 彼は、旅の途中で作り溜めていた、自信作を取り出す。それは、ただのガラス玉に幻術魔法で虹色の光を閉じ込めただけの、見掛け倒しの魔法具だった。


「どうだい、親父さん! この美しく輝く『希望の宝珠』! あんたの店の、新しい目玉商品に……!」

 工房の主人である、髭面のドワーフは、そのガラス玉を一瞥すると鼻で笑った。

「ふん。幻術か。光は、石の中からじゃなく、表面で揺らめいておるわ。芯がない。魂がない。これは、工芸品ではない。ただの、嘘っぱちじゃ」


 彼は、そう吐き捨てると、カシムに背を向けた。

「そんなガキの玩具で、ワシらの時間を奪うな。失せろ」


「……くそっ! 田舎者は、本物の価値が分からねえ!」

 カシムは、悪態をつきながら、俺たちの宿屋へと戻ってきた。その背中は、小さく惨めだった。


 俺は、そんな彼を横目に、一人、街を歩いていた。

 バリン師の、あの鍛冶場を思い出す。鉄に、魂を込める、あの神聖な鎚の音。

 この街には、あの音と同じ響きが、満ち溢れている。


 一つの工房の前で、俺は足を止めた。

 若い、人間の職人が頭を抱えていた。彼の前には、作りかけの繊細な銀細工が置かれている。だが、その細工には、ごく微細な傷が無数についていた。


「……ダメだ。このヤスリじゃ、これ以上、細かくは磨けねえ……! 納品は、明日だってのに……!」


 俺は、彼の言葉に、思わず声をかけた。

「……その傷なら、消せるかもしれない」

「……あ? なんだ、お前は」

 職人は、訝しげな顔で俺を見た。


 俺は、何も言わずに、工房の外に出た。そして、火山の熱が伝わる、温かい岩壁に注意深く目を凝らす。


 あった。ゴブリンだけが知っている特殊な苔。金属を、ごくわずかに溶かす酸を持つ黒緑色の苔だ。

 俺は、それを少量だけ採取すると工房に戻った。


「おい、坊主、何を……」

 俺は、その苔を少量の水で練って、ペースト状にする。そして、ごく微量の魔力をそのペーストに注ぎ込んだ。


 すると、ペーストは、かすかに、しゅわしゅわと泡立ち始めた。酸の効果が魔力によって活性化したのだ。


「なんだ、それは!? 薬か何かか!?」

 職人が、驚いたように俺の手元を見ている。


 俺は、そのペーストを、柔らかい布きれにつけると、彼の銀細工の表面を、そっと撫でるように拭いた。

 ヤスリでゴシゴシ擦るのではない。ただ、撫でるだけ。


 すると、どうだろう。

 ヤスリでは決して消せなかった微細な傷が、化学反応によって滑らかになり、銀細工は、完璧な鏡のような輝きを取り戻した。


「……な……なんだ、これは……!」

 職人は、信じられないという顔で自分の作品と、俺の顔を何度も見比べた。


「ヤスリを使っていないのに……傷が、消えた……? 錬金術か? ポーション作りか、あんたの技は……!」

 彼は、俺に畏敬の念を抱いているようだった。


「坊主……お前、一体、何者だ……? この通りだ! 俺を、助けてくれ!」

 俺は、何も答えなかった。

 ただ、一礼してその場を去る。

 背後で職人が、俺を呼び止める声が聞こえた。


 宿屋に戻る道すがら、自分の手を見つめていた。

 この手が生み出したものは本物だ。ゴブリンの知識と魔法使いの知恵。

 でも、この姿は偽物だ。人間の仮面。

 職人の純粋な賞賛の目が、俺の胸に重く突き刺さる。

 彼を騙している。


 宿屋に戻ると、カシムが、まだ腐っていた。

「どうだった? 頑固な爺いどもが、本物の芸術を笑う、くだらねえ街だっただろ」


「……人を、助けた」

 俺は、職人との出来事を、かいつまんで話した。

 すると、カシムの顔が、一瞬で絶望から狂喜へと変わった。


「ペースト!? 魔法の研磨剤だと!? スケ、お前は、天才だ!」

 彼は、俺の両肩を掴んだ。


「それだ! それだよ、俺たちがこの街で売るべきものは! 俺の宝珠なんかより、ずっと確実だ! 量産するぞ! この街の、全ての工房に売りつけてやる! 俺たちは、大金持ちだ!」


 俺は、カシムの、欲望に爛々と輝く目を見つめていた。

 彼は、職人の感謝も、俺の知恵も、何も見ていない。ただ、その先にある、金貨だけを見ている。 


 俺は、バリン師の言葉を思い出していた。

『杖に頼るな、己を磨け』

 俺は、己を磨いているだろうか。


 それとも、ただ偽りの姿で、偽りの価値を、生み出しているだけなのだろうか。

 その答えを、俺はまだ見つけられずにいた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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