第6話:発覚
翌日、俺とアンナはいつもの場所で会っていた。
昨夜のうちに、俺の身に二つの脅威が迫っていることなど、知る由もないまま。
「ねえゴブスケ、魔法の練習、進んだ?」
アンナは期待に満ちた目で俺を見る。
「すこし、だけ」
俺は少し照れながら、手のひらを彼女の前に差し出した。
まだ《ヒール》のような高度な魔法はほとんど成功しないが、マナを光の形に変換することだけはできるようになったのだ。
俺は意識を集中させ、魔導書に書かれていた最も簡単な呪文を心の中で唱える。
手のひらにじんわりと熱が集まり、やがて蛍の光のような、小さな光の玉がふわりと浮かび上がった。俺はそれを指先で操り、蝶のようにひらひらとアンナの周りを飛ばせてみせる。
「わぁ……!」
アンナは目をキラキラさせて手を叩いた。
「すごい! 綺麗……! まるで生きているみたい!」
彼女の純粋な賞賛に、俺の胸は誇らしさでいっぱいになった。
このささやかな幸せが、永遠に続けばいいのに。
そんな都合のいい夢を見ていた俺たちは、まだ気づいていなかった。
すぐ近くの木の陰から、一対の濁った目が、その光景を信じられないものを見るように見開かれていたことに。
ゴブリンの斥候は、恐怖と混乱に陥っていた。
『なんだ、あの光は……!?』
『変なやつ』が、人間の子供の前で、得体の知れない術を使っている。ゴブリンに魔法など使えるはずがない。あれは魔法ではない、何か別の、忌まわしい呪術に違いない。
『……あれは、もうゴブリンじゃない。何かに成り代わった、化け物だ』
斥候の脳裏に、群れの秩序を乱す異物への恐怖と嫌悪が渦巻いた。
『危険だ。族長に報告し、群れ全体であの化け物を排除しなければ』
だが、ただ報告するだけでは、自分の手柄としては弱いかもしれない。
斥候の卑しい目が、アンナを捉えた。そうだ。あの人間の子供を捕らえていけばいい。
『あの化け物が人間と馴れ合っていた、動かぬ証拠になる。それに、人間の子供自体が極上の獲物だ。これを族長の元へ突き出せば、俺の手柄は確実なものになる!』
功名心が恐怖を上回り、斥候の口元に醜い笑みが浮かんだ。彼はアンナを「獲物」として捕獲するため、静かに茂みの中を移動し始めた。
それと、ほぼ同じタイミングだった。
別の方向から、もう一つの影が、俺たちのいる場所へと静かに近づいていた。
アンナの父、バルトだ。
彼はすでに、物陰から信じがたい光景を目撃していた。
娘アンナが、一匹のゴブリンと、まるで旧知の友のように和やかに話している。ゴブリンが手のひらから光を生み出し、娘がそれを無邪気に喜んでいる。
『どういうことだ……? 魔法? ゴブリンが魔法だと? 娘は……騙されているのか?』
バルトの頭は混乱の極みにあった。
ゴブリンは邪悪で野蛮なだけの魔物のはず。だが、目の前の光景は、彼の常識を根底から覆していた。どう介入すべきか、タイミングを計りかねていた、その時。
バルトの視界の端で、別の茂みがガサリと揺れた。
第二のゴブリンだ。
そのゴブリンは、明らかに獲物を狙う獣の目でアンナに襲いかかろうと身を低くしている。
その瞬間、バルトの全ての疑念と混乱は、一つの絶対的な結論へと収束した。
『――やはり罠か! 片方が良いフリをして魔法で娘を油断させ、仲間が襲いかかってさらう手筈だったんだ!』
斥候ゴブリンが、アンナに飛びかかろうと最後の一歩を踏み出した。
足元の枯れ枝が、パキッ、と乾いた音を立てる。
「!」
その音に、俺は咄嗟に反応した。同族の、敵意に満ちた臭い。
俺はアンナを背中に庇い、音のした茂みに向かって、ゴブリンとしての威嚇の唸り声を上げる。
「アンナ、危ない! 逃げろ!」
「アンナーッ!!」
ほぼ同時に、森の反対側から、怒りに満ちた父親の絶叫が響き渡った。
茂みから飛び出してきたのは、鬼の形相で弓を構えたバルトだった。
斥候ゴブリンは、屈強な人間の猟師の登場に度肝を抜かれ、蜘蛛の子を散らすように巣穴の方向へと逃げていった。
だが、その場に残された俺とアンナにとって、状況は絶望的だった。
バルトの構えた弓。その鏃は、まっすぐに、アンナを庇う俺の心臓に向けられていた。
「お父さん、違うの! ゴブスケは、私を助けようと……!」
アンナが必死に叫ぶ。
だが、怒りとパニックに囚われたバルトの耳には、もう届いていなかった。
アンナを庇う俺の姿が、彼の目には「娘を人質にして盾にする、卑劣で邪悪な魔物」にしか見えていないのだ。
「娘から離れろ、化け物!」
バルトの怒声が、森に響き渡る。
俺は、アンナとバルトの間に立ち、どうすることもできずに固まった。
アンナの悲鳴のような声。バルトの殺意に満ちた瞳。
秘密の時間は、終わった。
楽園は、失われた。
最悪の形で、全てが明るみに出てしまったのだ。
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