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第56話:最後の試練

 

 セラフィナの挑発。そして、彼女が見せた完璧な魔法。

 あの日から数日、俺の心は焦りで焼け付くようだった。


『なぜ、できない! あの女……セラフィナにはできたのに!』

 俺は、円い部屋で一人、何度も試していた。


 セラフィナがやったように、マナを光の糸に変えようとする。だが、俺の手から生まれるのは、ただの、制御を失った光の塊だけだ。

 それは鳥になどならず、壁にぶつかっては、虚しく弾けて消える。


「だから、力が入りすぎだってんだよ!」

 いつの間にか部屋に来ていたカシムが、もどかしそうに叫ぶ。


「もっと、こう、ふんわりと……優しく……だ!」

 彼は、手つきで鳥の形を作って見せるが、そんなもので、何かが変わるはずもなかった。


 俺は、彼の言葉を無視して、もう一度マナを練り上げる。

 脳裏に焼き付いているのは、あの光の鳥の姿。完璧な、一分の隙もない、芸術品。

 あれを、この手で作り上げ、あの女の鼻を明かしてやるのだ。


 ドッ、と俺の手から光の奔流が放たれた。

 それは壁に激突し、大きな音を立てて部屋を揺らす。


「……無駄なことです」

 部屋の入り口から、氷のように冷たい声がした。


 セラフィナだ。彼女は腕を組み、俺の無様な失敗を、心底くだらないという目で見ている。


「獣が天才の模倣など、百年早い」


「なっ……!」

 俺が何か言い返そうとする前に、静かな声がその場の空気を支配した。


「……模倣かね」

 ヴァレリウス様が、部屋の入り口に立っていた。


 いつからそこにいたのか、誰にも分からない。

 俺とカシムは、凍りついた。セラフィナも、慌てて背筋を伸ばし、師に一礼する。


 ヴァレリウス様は、ゆっくりと俺の元へ歩み寄った。

 彼の視線は、俺の失敗の残骸が消えた壁と、俺の顔とを、面白みのない目で見比べている。


「君は、セラフィナの鳥を真似ようとしている。違うかね」


「……はい」

 俺は、かろうじて答える。


「ですが、できなければ、彼女に……!」


「無駄なことだ」

 ヴァレリウス様は、一言で切り捨てた。


「セラフィナの鳥は、彼女の心の中にある『完璧な鳥』の模倣に過ぎん。君が目指すべきは、そこではない」

 彼は、俺の目の前に立つと、静かに告げた。


「光で、実在しない空想の花を編みなさい」


『……空想の、花?』

 カシムが、「はあ?」と間抜けな声を漏らした。


 セラフィナの目も、驚きにわずかに見開かれている。


 ヴァレリウス様は、続ける。その声は、静かだが、俺の魂の芯まで響いてくるようだった。


「他者の模倣ではない。君自身の心の中にある形を、寸分違わず、世界に映し出してみせろ」

 それは、あまりにも、途方もない課題だった。


 見たこともないものを、どうやって作る?

 心の中にある形? 俺の心の中にあるのは、焦りと、屈辱と、ぐちゃぐちゃになった感情だけだ。


「……それができぬ限り、君が『無我』の境地に至ることはない。変異魔法など、夢のまた夢だと思いなさい」

 ヴァレリウス様は、それだけ言うと、俺に背を向けた。


 彼は、何も言わずに部屋を出ていく。

 その背中は、俺に、答えではなく、ただ、あまりにも巨大な問いだけを残していった。


「おい、ゴブスケ……」

 カシムが、戸惑った声で俺に話しかける。 


「実在しない花って……なんだよ、それ。そんなの、できるわけ……」


「……だから言ったでしょう。無駄なことだと」

 カシムの言葉を遮ったのは、セラフィナだった。


 彼女は、いつの間にか本を閉じ、俺をまっすぐに見つめていた。その瞳には、いつもの侮蔑ではない、純粋な魔術師としての、畏れに近い光が宿っている。


「変異魔法は、術者の魂の形そのものを世界に投影する、究極の創造魔法。他人の魂を真似て、何になるというのですか。師は、彼に、自分自身の魂の形を、見つけろ、と……そう、おっしゃられている」


 彼女の言葉に、俺は息を呑んだ。

 創造魔法は、変異魔法へ至るための、唯一の道。


 俺は、もう一度、自分の手を見つめる。

 セラフィナの鳥を追いかけるのは、もう終わりだ。

 俺が見つめるべきは、外じゃない。

 俺自身の、内側。


 俺は、ゆっくりと目を閉じた。

 今度は、心を空にするためじゃない。

 俺の心の中にだけ咲いているという、まだ見ぬ花を、探すために。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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