表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/101

第55話:セラフィナの挑発

 

 俺の修行は、行き詰まっていた。


 円い部屋の床に座り、目を閉じる。ただそれだけの日々。

『心を空にせよ』


 言葉で言うのは、簡単だ。だが、実行するのは、不可能に近い。

 意識すればするほど、『無我』は遠ざかっていく。俺は、自分自身の思考という、出口のない迷路に迷い込んでいた。


「おい、ゴブスケ。もっとこう、ぼーっとするんだよ!何も考えるな!」

 部屋の隅で、カシムが腕を組んで俺に助言を送ってくる。


「……あ、いや、考えるなと考えるのもダメか? クソッ、訳が分からねえ!」

 彼は、俺以上に混乱しているようだった。


 そんな俺たちを、部屋の入り口で、冷たい視線が見下ろしている。

 セラフィナだ。


 彼女は、ヴァレリウス様への報告のためか、毎日決まった時間にここへ来ては、俺の無様な姿を観察していく。


『……また、来たか』

 その視線が、俺の集中を乱す。


 焦りが生まれる。早く結果を出さなければ。セラフィナに、俺ができることを見せなければ。

 その思考こそが、俺を『無我』から遠ざけている。分かっているのに、止められない。


「……はぁ」

 セラフィナの、侮蔑に満ちたため息が、静かな部屋に響いた。


 俺は、思わず目を開けて、彼女を睨みつける。

 彼女は、俺の視線を受け止めると、ゆっくりと部屋の中へ入ってきた。

 そして、俺の目の前で、足を止める。


「やはり、獣は獣」

 その声は、凍てつく冬の風のようだ。


「心を持つことすら、できぬか」


「なっ……!」

 カシムが、怒りに顔を赤くして立ち上がった。


「言い過ぎだろ、セラフィナ! ゴブスケは、お前なんかより、ずっと……!」


「黙りなさい、三流」

 セラフィナは、カシムを一瞥もせずに切り捨てる。

 彼女の目は、俺だけを見ていた。


「あなたは、何も分かっていない。魔法とは、荒れ狂うマナを、ただ放つことではない。意志の力で、マナを支配し、望む形を与える、緻密な芸術なのだ。今のあなたには、その意志を収めるべき『心』そのものがない」


 俺は、何も言い返せなかった。

 彼女の言う通りだったからだ。俺の心は、ただ荒れ狂うだけの嵐。


「……見せてあげましょう」

 セラフィナは、そう言うと、静かに片手を差し出した。


「本当の、創造魔法というものを」

 彼女は、目を閉じた。


 詠唱はない。ただ、部屋中のマナが、彼女の指先へと、吸い寄せられていくのが分かった。

 それは、俺がマナを操る時のような、荒々しい奔流ではない。


 無数の、目に見えない光の糸が、静かに、そして正確に、彼女の手の中に集まっていく。

 やがて、彼女の指先から、まばゆい光が生まれ始めた。


 光は、爆発しない。ただ、生き物のように、自ら形を編み上げていく。

 一本の糸が、もう一本の糸と絡み合い、緻密な模様を描き出す。


 俺とカシムは、息を呑んで、その光景を見つめていた。

 光は、やがて、一羽の鳥の形になった。

 羽の一枚一枚、小さな足の爪先まで、完璧に再現された、光の鳥。


 セラフィナが、そっと目を開ける。

 光の鳥は、彼女の手を離れ、ふわりと宙を舞った。

 音もなく、部屋の中を旋回する。その羽ばたきに合わせて、キラキラと光の粒子が舞い落ちた。

 俺の目の前を通り過ぎる。その光は、不思議と温かかった。


 それは、完璧な魔法だった。

 圧倒的な、美。


 俺が放つ、ただ破壊するだけの力の塊とは、何もかもが違う。

 俺と、彼女との間にある、絶対的な実力差。


 光の鳥は、しばらく部屋を舞った後、セラフィナの指先に戻ると、すっと光の粒子に還って消えていった。

 完璧な魔法の余韻だけが、部屋の静寂に溶けていく。


 俺は、彼女からの、決定的な侮辱の言葉を待っていた。


『あなたには、永遠にたどり着けない領域』

 そう言われるはずだった。


 だが、セラフィナは何も言わなかった。

 彼女は、光が消えた自分の手のひらを、じっと見つめている。

 完璧に保たれていた彼女の表情が、わずかに、本当にわずかに、歪んだ。


「……ここまで魔法が使えても、変異魔法はできない……」

 それは、誰に言うでもない、呟きだった。


 俺たちの前で、ではない。彼女自身の心の中から、思わず漏れ出てしまった、本音の響き。

 その横顔に浮かんでいたのは、悔しさだった。


「変異魔法を使いこなせるのは、世界で二人だけ……」


『……え?』


『二人だけ……?』


 俺とカシムは、顔を見合わせた。

 変異魔法。俺が、目指している究極の魔法。


 それを、このセラフィナができない?

 そして、世界でたった二人しか、使えない?

 信じられなかった。


 セラフィナは、はっとしたように顔を上げた。俺たちに見られたことに気づいたのだ。

 彼女の顔から、一瞬で悔しさの色が消え、いつもの氷の仮面が戻ってくる。


 俺たちを、殺すような目で一瞥すると、彼女は何も言わずに、踵を返した。

 扉が閉まる、冷たい音だけが、後に残った。


 呆然と立ち尽くす俺とカシム。

 カシムも、いつもの軽口を叩く気力すらないようだった。


 俺は、自分の緑色の手を見つめた。

 マナは、感じる。力はある。

 だが、俺には、それを入れるべき『器』がない。


 セラフィナの挑発。そして予期せぬ本音。

 それは、俺の心の奥底に深い屈辱の杭と、そして、奇妙な共感のようなものを打ち込んだ。

 俺は、床に置かれていた自分の杖を、指が白くなるほど、強く握りしめた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

 皆様の応援が、何よりの執筆の糧です。よろしければブックマークや評価で、応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ