第49話:ゴブリン式の解決法
あの地獄のテーブルマナー事件から数日。
俺はセラフィナ様からの次の呼び出しに、今度はいったい何をさせられるのかと部屋でびくびくしながら待っていた。
やってきた召使いは俺に羊皮紙を手渡すと、まるで汚物に触れたかのように自身の指先をハンカチで拭いていた。
「今度は生きたまま解剖でもされるんじゃないか……」
カシムが俺の後ろで青い顔をして呟いている。
「やめとけよゴブスケ、絶対に行くな。あの女、本気でお前のこと嫌ってるんだぞ!」
だが俺は行くしかなかった。これもヴァレリウス様の命令なのだから。
セラフィナ様の研究室は彼女の私室と同じくらい完璧に整頓されていた。
ガラス器具は大きさ順に並び、壁の書架には分厚い専門書が隙間なく収まっている。部屋の中は様々な薬草が混じり合った、鼻の奥をツンと刺激する清潔な匂いがした。
だが、その完璧な部屋の中で、一つだけ明らかに異質なものが存在した。
部屋の中央に置かれた一鉢の植物。
月の光を吸ったかのように青白く輝く美しい花。だが葉はところどころが黒く枯れ力なく垂れ下がっている。明らかに重い病気にかかっていた。
「……それが今回の研究対象だ」
セラフィナ様は腕を組み、忌々しげにその植物を睨みつけていた。
「『月光花』。極めて希少で私の研究には不可欠な魔法植物だ。だが数週間前から原因不明の病に侵されている。宮廷の植物学者にも治癒は不可能だと言われた」
彼女の机の上には開かれたままになった何冊もの分厚い本が積まれている。
『古代植物病理学』『魔法植物の魔力循環について』
彼女はこの問題の答えを人間の知識の中に探していた。だが見つかっていない。その横顔が焦りと疲労でわずかにやつれているのを俺は見た。
俺はヴァレリウス様の命令を思い出す。『互いの魔法を研究し報告せよ』。
これが彼女の魔法。彼女の研究。そして彼女の『弱点』。
俺はカシムとセラフィナ様が見守る前でその病気の植物にゆっくりと近づいた。
まず匂いを嗅ぐ。
花の甘い香りに混じってかすかに土が腐ったような匂いがした。
『これはただの腐敗じゃない。もっと小さい生き物の匂いだ。土の中で根を食っている』
次に俺は鉢の土を指先で少しだけつまみ上げた。
ぱらぱらと乾ききっている。そして土の中にごくごく小さな白い粒のようなものが混じっているのに気づいた。
『卵だ。無数の小さな卵』
俺の記憶の奥底でエリアス先生のうんざりするほど聞かされた講義が蘇る。
『いいか出来損ない。全ての病には原因がある。そして自然は病のすぐそばに薬を置いているものだ……』
俺は研究室の中を見回した。
隅の方に他の実験で使われたのであろう様々な植物が無造作に置かれている。
その中に一つの鉢を見つけた。
研究室の清潔な空気の中でひときわ異臭を放つ黒緑色の苔。
『臭い苔だ』
ゴブリンの巣穴の近くにもよく生えている。強烈な匂いを放ち他の植物を枯らしてしまうため同族の奴らは嫌っていた。だが俺は知っている。この苔は小さな虫を殺す力があることを。
俺はその鉢に近づくとためらうことなく苔をひと掴みごそりとえぐり取った。
そして病気の月光花の元へ戻る。
「……! き、貴様、何を……!」
俺の奇妙な行動にセラフィナ様がようやく本から顔を上げた。
俺は、彼女の制止を無視した。
そして月光花の根元の土を少しだけ指で掘り返すと、その強烈な匂いを放つ苔を根に直接ぐりぐりと塗り付けた。
「やめなさいッ!!」
セラフィナ様の絶叫が研究室に響き渡った。
「なんて野蛮なことを! その植物の根がどれほど繊細か分かっているのか! 得体の知れない汚物を塗りつけるなど……! ああ、もう、おしまいだ……!」
彼女は、俺が月光花を殺してしまったと本気で絶望していた。
俺は顔を上げ彼女の目をまっすぐに見た。
そして一言だけ言った。
「……病気には、薬だ」
俺のゴブリンとしての知識がそう告げていた。
あの白い粒は『根腐れ虫』の卵。そしてあの臭い苔はその虫が唯一嫌うもの。
俺は、ただ病を見て薬を与えただけ。
だが、そんな理屈が彼女に通じるはずもなかった。
「……出ていけ」
セラフィナ様は震える声でそう言った。
「二人とも今すぐ私の研究室から出ていけ! 次に会う時が貴様らの処刑の日だと思え!」
俺たちは彼女の怒りを背中に浴びながら研究室を追い出された。
扉が閉まる直前俺は見た。
自分の研究の全てを台無しにされたと信じ込み、その場に崩れて肩を震わせる一人の天才の姿を。
俺は、また何かとんでもない失敗をしてしまったらしい。
だが、俺にはどうしてもその理由が分からなかった。
◇
三日後の夜。
ヴァレリウス様の執務室。セラフィナは師の前に背筋を伸ばして直立していた。
「それで報告とは何だねセラフィナ」
ヴァレリウスは本から目を離さず静かに尋ねた。
「例の共同研究についてか。まさかまた私の研究室の備品を破壊したという話ではあるまいな」
言葉には、テーブルマナーの一件を指すかすかな皮肉が込められていた。セラフィナはその侮辱にぐっと唇を噛む。
「いえ……。報告は月光花の件です」
彼女の声は、かろうじて平静を装っていた。
「ほう。あの君が数週間も手こずっていた病気の植物か。ゴブリンがとどめを刺したかね」
「……逆です」
セラフィナは、屈辱を押し殺し事実だけを報告した。
「……病状は回復に向かっております。枯れていた葉には生気が戻り魔力の循環も完全に安定いたしました。……中心からは新しい芽も」
ヴァレリウスは、そこで初めて本から顔を上げた。その目にかすかな興味の色が浮かぶ。
「それは興味深いな。君がついに古代文献の解読に成功したのかね」
「……いえ」
「では新しい治癒魔法でも編み出したか」
「……違います」
ヴァレリウスは楽しむように彼女を追い詰めていく。
「ならば一体何が起きたのだね」
セラフィナは一瞬言葉に詰まった。そして観念したように震える声で告白した。
「……ゴブリンです」
「ゴブリンが何をした」
「……研究室の隅にあったただの『臭い苔』を月光花の根に塗り付けました。……手で直接」
彼女はまるでこの世で最も汚らわしい行為を口にするかのようにそう言った。
執務室に沈黙が落ちる。
やがてヴァレリウスはふっと息を漏らすように笑った。
「……そうか。本には書かれていない方法だったな」
その言葉はセラフィナの知識と理論とプライドの全てを静かに切り裂いた。
「君の完璧な知識の世界があのゴブリンの野蛮で不可解な一撃によって少しだけ乱されたようだな」
ヴァレリウスはもう一度本に目を落とした。
「……下がってよろしい」
セラフィナは何も答えなかった。
彼女は深く一礼すると音もなく踵を返し執務室を後にする。
扉が静かに閉まる音だけが響いた。
扉の向こうで彼女の心に燃え上がった暗い炎を俺はまだ知らなかった。
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