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人間になりたいゴブリン ~一冊の魔導書を拾った日から、運命は変わり始めた~  作者: ストパー野郎
第五部:新たな師匠と姉弟子、そしてときどき相棒
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第48話:恐怖のテーブルマナー

 

 ヴァレリウス様に共同研究を命じられてから、数日が過ぎた。


 俺は、セラフィナ様からの呼び出しを、いつ来るか、いつ来るかと、自分の部屋でびくびくしながら待っていた。


 カシムは「絶対に罠だ。毒殺されるに決まってる」と、俺より怯えていた。


 そして、その日は来た。

 朝一番に、いかにも高位の召使いといった感じの、鼻持ちならない男がやって来て、一枚の羊皮紙を俺に突きつけた。


『本日、昼の鐘と共に、西塔の私の私室まで来られたし。共同研究の第一回目を行う。セラフィナ』

 命令だった。


 俺とカシムは、指定された場所へと向かった。

 そこは、俺たちが寝起きしている部屋とは、比べ物にならないほど豪華な部屋だった。壁も、床も、天井も、全てが真っ白で、塵一つ落ちていない。


 部屋の中央には、長いテーブルが一つ。そこには、一分の隙もなく、完璧に食事の用意が整えられていた。

 ただし、一人分だけ。俺の分だ。


「……来たか、三流と、ゴブリン」

 セラフィナ様は、窓際に立ち、腕を組んで俺たちを見下ろしていた。カシムは「ひっ」と小さな悲鳴を上げて、部屋の隅に張り付いた。


「今日の研究テーマは、『ゴブリンという下等生物が、人間社会の高度な作法に適応可能か否かの観察』だ。そこに座れ」

 彼女は、テーブルの椅子を、顎でしゃくった。


 俺は、恐る恐る椅子に座る。

 目の前には、見たこともない数の、銀色の道具が並んでいた。


『……なんだ、これは。武器か?』

 大きさの違うフォークが三本。ナイフが三本。形の違うスプーンが四本。これから始まる食事は、よほど危険なものらしい。


「まずは、スープからだ。音を立てずに、綺麗に飲み干せ」

 俺は、一番大きなスプーンを手に取ると、言われた通り、慎重にスープを口に運んだ。


 ……熱い。だが、ここで吐き出すわけにはいかない。獣のようにがっつくのではなく、静かに、知的に。


 俺は、必死に熱さをこらえ、ごくりと飲み込んだ。涙が、少しだけ滲んだ。

 セラフィナ様が、鼻でふん、と笑った気がした。


 次に出てきたのは、魚料理だった。


「その料理には、一番外側のナイフとフォークを使え」

 俺は、言われた通り、銀色の道具を手に取った。

 ずしりと重い。俺の手に、全く馴染まない。


『小さいが、扱いやすそうだ。人間の暗殺道具は、こうなっているのか』

 俺は、ゴブリンの戦いの作法に則り、それを逆手に、突き刺すように握りしめてしまった。


 息を呑む音が聞こえた。


「やめなさい!」

 セラフィナ様の甲高い声が飛ぶ。


「その握り方はなんだ! これから魚の骨を取るというのに、なぜ心臓を抉るような構え方をするんだ!」

 彼女は、頭を抱えていた。


「いいか、よく聞け。それは武器ではない!」

 俺は、慌てて持ち方を変え、恐る恐る、魚にナイフを入れた。


 だが、力の加減が分からない。骨に刃が当たって、滑った。

 ぐっと力を込めた瞬間、ナイフが皿の上を走り、皿の上の魚が、ちゅるん、と空中を舞った。

 放物線を描いた魚は、そのまま、部屋の隅に立つカシムの顔面に、べちゃり、と張り付いた。


「……ぶふっ」

 カシムの口から、奇妙な音が漏れる。


 彼は、顔に張り付いた魚を剥がしながら、肩を震わせ、必死に笑いをこらえていた。

 セラフィナ様は、もう何も言わなかった。

 ただ、その顔は真っ青になり、わなわなと震えている。


 最後に、パンが出てきた。

 俺は、今度こそ失敗しまいと、これまで学んだ知識を総動員した。


『そうだ、本に書いてあった。人間は、道具を使って、効率的に作業を行う』

 俺は、フォークでパンを突き刺して固定すると、ナイフで、ギコギコと、パンを切り始めた。


「ぎゃああああああああっ!!」

 ついに、セラフィナ様の絶叫が、部屋中に響き渡った。


「パンは! 手で! ちぎって食べるものだ! なぜ! なぜ、木材でも加工するかのように切り刻むんだ、この、緑色の野蛮人め!!」

 彼女は、もう、天才魔術師の威厳など、どこにもなかった。ただ、ヒステリックに叫ぶ、一人の少女だった。


「も、もういい! 今日の研究は終わりだ! 帰れ! 二度と私の前にその顔を見せるな!」

 俺は、何が何だか分からないまま、カシムに引っ張られるようにして、部屋を追い出された。


 廊下に出た瞬間、我慢の限界だったらしいカシムが、腹を抱えてその場に蹲った。


「ひっ……ひひひ……! は、腹が……! 魚が、顔に……! ぱ、パンを、ナイフで……!」


 俺は、大爆笑するカシムと、扉の向こうからまだ聞こえてくるセラフィナ様の叫び声を、不思議な気持ちで聞いていた。

 俺は、ただ、真面目に、必死にやっただけなのに。 


『……人間になるのは、魔法の修行より、ずっと難しいかもしれない』

 俺は、自分の杖を握りしめながら、本気で、そう思った。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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