第48話:恐怖のテーブルマナー
ヴァレリウス様に共同研究を命じられてから、数日が過ぎた。
俺は、セラフィナ様からの呼び出しを、いつ来るか、いつ来るかと、自分の部屋でびくびくしながら待っていた。
カシムは「絶対に罠だ。毒殺されるに決まってる」と、俺より怯えていた。
そして、その日は来た。
朝一番に、いかにも高位の召使いといった感じの、鼻持ちならない男がやって来て、一枚の羊皮紙を俺に突きつけた。
『本日、昼の鐘と共に、西塔の私の私室まで来られたし。共同研究の第一回目を行う。セラフィナ』
命令だった。
俺とカシムは、指定された場所へと向かった。
そこは、俺たちが寝起きしている部屋とは、比べ物にならないほど豪華な部屋だった。壁も、床も、天井も、全てが真っ白で、塵一つ落ちていない。
部屋の中央には、長いテーブルが一つ。そこには、一分の隙もなく、完璧に食事の用意が整えられていた。
ただし、一人分だけ。俺の分だ。
「……来たか、三流と、ゴブリン」
セラフィナ様は、窓際に立ち、腕を組んで俺たちを見下ろしていた。カシムは「ひっ」と小さな悲鳴を上げて、部屋の隅に張り付いた。
「今日の研究テーマは、『ゴブリンという下等生物が、人間社会の高度な作法に適応可能か否かの観察』だ。そこに座れ」
彼女は、テーブルの椅子を、顎でしゃくった。
俺は、恐る恐る椅子に座る。
目の前には、見たこともない数の、銀色の道具が並んでいた。
『……なんだ、これは。武器か?』
大きさの違うフォークが三本。ナイフが三本。形の違うスプーンが四本。これから始まる食事は、よほど危険なものらしい。
「まずは、スープからだ。音を立てずに、綺麗に飲み干せ」
俺は、一番大きなスプーンを手に取ると、言われた通り、慎重にスープを口に運んだ。
……熱い。だが、ここで吐き出すわけにはいかない。獣のようにがっつくのではなく、静かに、知的に。
俺は、必死に熱さをこらえ、ごくりと飲み込んだ。涙が、少しだけ滲んだ。
セラフィナ様が、鼻でふん、と笑った気がした。
次に出てきたのは、魚料理だった。
「その料理には、一番外側のナイフとフォークを使え」
俺は、言われた通り、銀色の道具を手に取った。
ずしりと重い。俺の手に、全く馴染まない。
『小さいが、扱いやすそうだ。人間の暗殺道具は、こうなっているのか』
俺は、ゴブリンの戦いの作法に則り、それを逆手に、突き刺すように握りしめてしまった。
息を呑む音が聞こえた。
「やめなさい!」
セラフィナ様の甲高い声が飛ぶ。
「その握り方はなんだ! これから魚の骨を取るというのに、なぜ心臓を抉るような構え方をするんだ!」
彼女は、頭を抱えていた。
「いいか、よく聞け。それは武器ではない!」
俺は、慌てて持ち方を変え、恐る恐る、魚にナイフを入れた。
だが、力の加減が分からない。骨に刃が当たって、滑った。
ぐっと力を込めた瞬間、ナイフが皿の上を走り、皿の上の魚が、ちゅるん、と空中を舞った。
放物線を描いた魚は、そのまま、部屋の隅に立つカシムの顔面に、べちゃり、と張り付いた。
「……ぶふっ」
カシムの口から、奇妙な音が漏れる。
彼は、顔に張り付いた魚を剥がしながら、肩を震わせ、必死に笑いをこらえていた。
セラフィナ様は、もう何も言わなかった。
ただ、その顔は真っ青になり、わなわなと震えている。
最後に、パンが出てきた。
俺は、今度こそ失敗しまいと、これまで学んだ知識を総動員した。
『そうだ、本に書いてあった。人間は、道具を使って、効率的に作業を行う』
俺は、フォークでパンを突き刺して固定すると、ナイフで、ギコギコと、パンを切り始めた。
「ぎゃああああああああっ!!」
ついに、セラフィナ様の絶叫が、部屋中に響き渡った。
「パンは! 手で! ちぎって食べるものだ! なぜ! なぜ、木材でも加工するかのように切り刻むんだ、この、緑色の野蛮人め!!」
彼女は、もう、天才魔術師の威厳など、どこにもなかった。ただ、ヒステリックに叫ぶ、一人の少女だった。
「も、もういい! 今日の研究は終わりだ! 帰れ! 二度と私の前にその顔を見せるな!」
俺は、何が何だか分からないまま、カシムに引っ張られるようにして、部屋を追い出された。
廊下に出た瞬間、我慢の限界だったらしいカシムが、腹を抱えてその場に蹲った。
「ひっ……ひひひ……! は、腹が……! 魚が、顔に……! ぱ、パンを、ナイフで……!」
俺は、大爆笑するカシムと、扉の向こうからまだ聞こえてくるセラフィナ様の叫び声を、不思議な気持ちで聞いていた。
俺は、ただ、真面目に、必死にやっただけなのに。
『……人間になるのは、魔法の修行より、ずっと難しいかもしれない』
俺は、自分の杖を握りしめながら、本気で、そう思った。
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