第47話:罰
真っ白な光が、部屋の全てを飲み込んだ。
轟音と共に、破壊の力が俺たちに迫る。それは、俺の醜い体を構成する魔力ごと、存在を消し去ろうとする純粋な意志の奔流だった。
カシムが、俺を庇うように、その小さな背中で光の前に立ちはだかるのが見えた。
『……カシム!』
俺は、怪物と化した喉で、叫んだ。だが、そこから漏れたのは、意味のない獣の咆哮だけ。
もう、何もかもが、終わりだと思った。
その、全てが終わるはずだった瞬間。
音が、消えた。
光が、消えた。
まるで、世界の存在そのものが、一瞬だけ、誰かに握り潰されたかのように。俺の暴走する魔力も、セラフィナ様の破壊の光も、全てが無に帰した。
俺の目の前には、セラフィナ様の杖の先端と、カシムの背中の間に、漆黒の球体が、音もなく浮かんでいた。それは、光も音も、あらゆる魔力をも吸い込む、この世の穴。
あの、全てを破壊するはずだった光は、その小さな闇の中に、一滴も残さず吸い込まれていた。
そして、その球体の横に、ヴァレリウス様が立っていた。
いつからそこにいたのか、誰にも分からない。彼はただ、そこにいた。
ヴァレリウス様が、静かに指を鳴らす。
漆黒の球体は、まるで最初から存在しなかったかのように、すっと消え失せた。
「……セラフィナ」
ヴァレリウス様の、氷のように冷たい声が、死んだような静寂の中に響いた。
「私の研究室を、破壊するつもりだったのかね。感情に任せただけの魔力の放出は、ただのかんしゃくだ。真の魔法ではない」
その静かな叱責に、セラフィナ様の顔から血の気が引いていく。
完璧に保たれていた彼女の姿勢が、わずかに崩れた。杖を握る指が、屈辱に白く変わる。彼女は、何も言えずに俯いた。
次に、ヴァレリウス様の視線が、俺を射抜いた。
「そして、ゴブスケ。君の焦りが、君の内にある獣を、白日の下に晒したな。器を変えようと足掻く前に、まず、その中身を律することを覚えなさい」
彼が、俺に向かって、軽く指を振るう。
その瞬間、俺の体を苛んでいた、あの地獄のような苦痛が、逆再生のように襲いかかってきた。
骨が砕ける音を立てて元の位置に戻り、引き伸ばされた皮膚が悲鳴を上げて縮んでいく。
俺は、急速に元の姿に戻っていく体の激痛に耐えきれず、床に崩れ落ちた。怪物の姿は消え、そこには、ただの、疲れ果てたゴブリンの俺が転がっていた。
「ゴブスケ! しっかりしろ!」
カシムが、俺の体を抱き起こす。その腕が、恐怖に震えているのが分かった。
ヴァレリウス様は、怒りに震えるセラフィナ様と、ボロボロになった俺を、心底つまらなそうに見比べた。
「二人とも、実に愚かだ。セラフィナ、君は物事の表面しか見ず、力で全てを解決しようとする。ゴブスケ、君は目的だけを見て、過程を無視する。……よろしい。ならば、互いが互いの薬となるがいい」
彼は、俺たち二人に、宣告した。
「罰として、二人に共同研究を命じる」
『……共同、研究? この女と…?』
「セラフィナはゴブスケの、ゴブスケはセラフィナの魔法を、それぞれ研究し、その長所と短所、そして本質について、詳細な報告書を私に提出しなさい。……これは、命令だ」
その言葉に、セラフィナ様が、信じられないという顔で顔を上げた。
「し、師よ! 私が、この…このような獣と、共同研究を…!?」
「獣かね?」
ヴァレリウス様は、俺を見た。その目に、かすかな嘲笑の色が浮かぶ。
「食堂で、君に『獣ではない』と、人間の言葉で反論していたはずだが。君の定義では、獣は言葉を操るのかね?」
その言葉に、セラフィナ様は、ぐっと唇を噛み締めた。これ以上ないほどの屈辱に、彼女の瞳が潤んでいるように見えた。
俺は、残った力を振り絞って、か細い声で尋ねた。
「……あの、変身魔法の、修行は……」
ヴァレリウス様は、俺を冷たく見下ろした。
「まだ早い。今日の醜態が、君の『人間学』が、全くもって足りていないことの、何よりの証明だ」
彼は、それだけ言うと、破壊された扉の向こうへと、静かに去っていった。
セラフィナ様も、一度だけ、俺を殺意のこもった目で睨みつけると、何も言わずに部屋を出ていく。
後に残されたのは、めちゃくちゃになった部屋と、俺と、そしてまだ俺の体を支えているカシムだけだった。
「……おい、ゴブスケ……大丈夫か?」
カシムが、心配そうに俺の顔を覗き込む。
俺は、彼の腕から体を離すと、ゆっくりと壁に寄りかかった。全身が、まだ痺れている。
俺は、カシムの目を見て、ずっと頭の中にあった疑問を口にした。
「……カシム。なぜ、俺を庇った? 死ぬかもしれなかった」
俺の問いに、カシムは一瞬、きょとんとした顔をした。そして、すぐにバツが悪そうに視線を逸らすと、頭をガシガシと掻いた。
「ば、馬鹿野郎! 当たり前だろ! 俺たちは、相棒なんだからよ!」
彼は、わざとぶっきらぼうに言った。
「それに、俺の『歩く金鉱』が、あんな女の魔法で消し炭にされたら、俺の商売が上がったりだからな! そうだ、これはビジネスだ、ビジネス!」
その言い草は、あまりにも下手な嘘だった。
俺は、次に、セラフィナ様が立っていた場所を見た。
「……なぜ、あの女と、共同研究を? 意味が、分からない」
「ああ、そりゃ、俺にも分からん」
カシムは、心底うんざりしたように吐き捨てた。
「あのヴァレリウス様って人は、天才すぎて、俺たちみたいな凡人とは物事の見え方が違うんだろ。喧嘩してる犬と猫を、同じ檻にぶち込んで、高みの見物でも決め込むつもりなんだろ。最悪の趣味だぜ、全く」
俺は、自分の緑色の手を見つめた。変身が解けた今も、指先がかすかに震えている。
「……俺は、人間になろうとした。でも、なったのは、怪物だった。……どうしてだ?」
俺の、心の底からの疑問。
それに、カシムは答えられなかった。彼は、魔法理論の専門家ではない。
だが、彼は、しばらく黙って考え込んだ後、俺の肩を、ポンと叩いた。
「難しいことは、分からん。だがな、ゴブスケ」
彼は、俺の目を、まっすぐに見て言った。
「俺には、お前は怪物になんか見えなかったぜ。ただ、苦しそうにしてる、俺の相棒にしか、見えなかった」
その、あまりにも単純な言葉。
それが、ヴァレリウス様のどんな難解な授業よりも、俺の心に染み渡っていった。
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