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第34話:金を知る

「……お前は……! お前は、歩く金鉱だ!」

 カシムの、興奮に満ちた叫びが、狭い部屋に響き渡った。


 彼は、先ほどまでの絶望が嘘のように、目をギラギラと輝かせ、部屋の中を獲物を見つけた獣のように歩き回っている。

 俺は、そんな彼の狂乱を、冷静な目で見つめていた。


「すごい……! すごいぞ、ゴブスケ! これは、俺がこれまで企ててきた、どんな詐欺よりも、どんなハッタリよりも、確実で、そして、デカい!」

 カシムは、俺の前に立つと、その両肩をがっしりと掴んだ。


「俺たち、コンビを組むぞ! いや、もう組んでる! これは、運命だ!」

 彼は、興奮のままに、まくし立てた。


「いいか、ゴブスケ! お前は、お前のそのゴブリン離れした頭脳で、森からお宝を見つけ出してくるんだ!」


「そして、この俺が!」と、彼は自分の胸を叩いた。


「その草っ葉に、物語と、価値を与え、王都の金持ちどもに、法外な値段で売りつけてやる!」

 それは、それぞれの長所を最大限に活かしたものだと思って、俺は頷いた


「……待てよ。でも、どうやってだ?」

 カシムの興奮が、急速に萎んでいく。


「どうやって、毎日森へ行く? 『月影草』は夜じゃなきゃ見つけられねえんだろ? 夜間は門が閉まっちまう。しかも、お前を連れて、この街から出入りするなんて危険過ぎる!」

 目の前に、莫大な富がぶら下がっている。しかし、それを取りに行くことができない。

 その事実に、カシムは再び、頭を抱えてうずくまりそうになった。


 その事実に、カシムは再び、頭を抱えてうずくまりそうになった。

 だが、彼は、すぐに顔を上げた。その目には、追い詰められた詐欺師だけが持つ、ずる賢い光が宿っていた。


「……いや、手はあるな。一つだけな」

 彼は、俺の全身を、頭のてっぺんから爪先までじろりと見た。


「お前に、少しばかり『悲劇の主人公』を、演じてもらう」

 

 ◇


 その日の日没前、俺たちは、王都の西門に続く列に並んでいた。


 カシムの指示通り、俺はローブのフードを目深に被り、顔の下半分を、汚れたスカーフでぐるぐる巻きにしている。

 門の前で、夜番の衛兵が俺たちを呼び止めた。


「おい、止まれ。こんな門限ギリギリにどこへ行く? そっちの助手、フードとスカーフを取れ」

 まずい。

 俺が、ローブの下で杖を握りしめた、その時。 


 カシムが、俺の前に立ちはだかり、悲痛な表情で、衛兵に向かって頭を下げた。


「どうか、ご容赦を、衛兵様! そ、その者には、お見せできるような顔は……!」

 彼の声は、涙で震えているように聞こえた。完璧な演技だった。


「数ヶ月前、私の魔法実験の失敗で……彼は、大やけどを……。顔の半分が、焼け爛れてしまっているのです。太陽の光は、その古い傷を、針で刺すように痛めつけます。ですから、こうして夜間、月明かりの下でしか採れぬ、特別な薬草を、毎日、森へ採りに行っているのです!」

 俺は、カシムの指示通り、その言葉を聞いて、ビクリと体を震わせ、さらに深く俯いてみせた。


 衛兵は、カシムの悲痛な演技と、明らかに怯えている俺の姿を見て、顔をしかめた。


 彼は、面倒ごとを押し付けられた、という顔で、あからさまに嫌悪感を露わにした。焼け爛れた顔など、見たいはずがない。


「……ちっ。分かった。で、薬草を採ったら、朝までどうするんだ」


「はっ! 門のすぐそばの森で採れる薬草です! 採集を終えたら、森の物陰で夜明けを待ち、朝一番、門が開くと同時に戻ってまいります! 決して、怪しい行動はいたしません!」

 衛兵は、もう、それ以上、何も聞きたくない、というように、乱暴に手を振った。


「行け、行け! とっとと失せろ! 朝一番に、変な疑いをかけられる前に戻ってこいよ!」

 俺たちは、こうして、王都を比較的安全に夜間出入りするための、唯一の方法を手に入れた。


 その日。

 俺が森で採集してきた『月影草』を、カシムは、見事な手腕で売り捌いた。

 隠れ家に戻り、テーブルの上に、金貨と銀貨の山が築かれる。


 カシムは、その山を慣れた手つきで二つの全く同じ高さの山に分けた。

 そして、片方の山を、俺の前にすっと押し出す。


 「ほらよ、相棒。お前の取り分だ」

 俺は、目の前の金貨の山を、ただ不思議そうに見つめていた。 


 おそるおそる、その中の一枚を、指先でつまみ上げる。

 ひんやりとしていて、確かな重みがあった。表面には、人間の王様らしき横顔が刻まれている。


『……これが、『金』か』

 俺は、それをまじまじと眺めた。


『綺麗だ。だが、これで、何ができる? 食べられるわけでもない。武器になるわけでもないのに』

 俺の、そんな純粋な疑問が、顔に出ていたのだろう。

 カシムは、俺の様子を見て、腹を抱えて笑い出した。


「はっはっは! まさかお前、金の価値も知らねえのか! そうか、そうだよな! 森にゃ、レジもねえもんな!」

 彼は、涙を拭うと、ニヤリと笑った。


「よし、相棒! お前に、この世界の、本当の魔法ってやつを教えてやる! ついてこい!」

 カシムはそう言うと、俺たちの取り分の中から、金貨を一枚、銀貨と銅貨を数枚ずつ掴むと、俺を隠れ家から連れ出した。


「外は、危険だ」


「夜市なら大丈夫だ! 人が多くて、ごちゃごちゃしてるからな。誰も、俺たちのことなんか気にしねえよ!」

 俺たちは、夜の闇に紛れて、王都の夜市へと繰り出した。


 そこは、昼間の市場とは、また違う活気に満ち溢れていた。無数のランタンが、幻想的な光を放ち、道端には、様々な屋台が並んでいる。


 「まず、これだ!」

 カシムが、俺を連れて行ったのは、大きな猪を丸焼きにしている、威勢のいい屋台だった。


 肉の焼ける、香ばしい匂いが、俺の鼻腔をくすぐる。腹の虫が、ぐう、と鳴った。


「おっちゃん! この一番でかい肉、二本くれ!」


「へい、毎度! 銀貨一枚だ、兄ちゃん!」

 カシムは、懐から、銀貨を一枚、放り投げた。


 店主は、それを受け取ると、満面の笑みで、湯気の立つ、巨大な肉の串焼きを、俺たちに手渡してくれた。


 俺は、その熱々の肉にかぶりついた。美味い。昼間に食べた、どんな獲物よりも、美味かった。


 「どうだ、ゴブスケ」

 カシムは、得意げに言った。


「これが、銀貨一枚の力だ」

 次に、俺たちは、甘い香りが漂う、パン屋の屋台へ向かった。


 カシムは、俺の手に、銅貨を一枚、握らせた。

「今度は、お前がやってみろ」

 俺は、おそるおそる、その銅貨を、パン屋の主人に差し出した。


 主人は、にこやかにそれを受け取ると、焼きたての、ふわふわのパンを、一つ、俺の手に乗せてくれた。


 俺は、自分の手の中のパンと、銅貨を見比べた。

 この、小さな、価値がないように見える金属の円盤が、温かい食べ物に変わる。

 それが、俺には、どんな魔法よりも、不思議なことに思えた。


 そして、最後に。

 カシムは、一軒の、古びた古本屋の前で、足を止めた。


 店先には、様々な魔導書が並べられている。その中に、俺が、エリアス先生の書斎で、一度だけ見かけたことのある、高度な防御魔法の専門書があった。


「……あれが、欲しいのか?」

 俺の視線に気づいたカシムが、尋ねる。 


 俺は、黙って頷いた。

 カシムは、店主の老人を呼ぶと、その本を指差した。


「親父、こいつは、いくらだ?」


「……お目が高い。それは、高位魔術師様でも、欲しがる逸品でさあ。……金貨一枚、だね」


 金貨、一枚。

 俺は、ゴクリと、喉を鳴らした。

 カシムは、何も言わなかった。


 彼は、ただ、懐から、昼間に稼いだ金貨の一枚を取り出すと、それを、カウンターに、コン、と置いた。

 老人の目が、大きく見開かれる。


 カシムは、その本を手に取ると、無言で俺に差し出した。


 隠れ家に戻った、俺たちのテーブルの上には、食べきれなかった肉とパン、そして、ずっしりと重い、一冊の魔導書が置かれていた。


 それら全てが、たった数枚の、金属の円盤から生まれたもの。

 俺は、自分の取り分である、金貨の山を、改めて見つめた。


 今なら、分かる。

 これは、ただの金属じゃない。

 これは――「可能性」だ。


 温かい食事にも、身を守るための知識にも、何にだって変わる。

 この、人間社会という、複雑な森を生き抜くための、最高の武器であり力なのだ。


 俺は、顔を上げた。


 そこには、相変わらず、ずる賢そうで、信用ならない男が、ニヤニヤしながら、立っている。

 だが、その笑顔は、なぜか、これまでで一番、頼もしく見えた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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