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おまけSS:千年後の空の下で


 朝霧が晴れると、聖都イシュ・ゼ・ノアの全貌が姿を現した。


 かつて「調停都市・いしずえ」と呼ばれたその場所は、今や大陸全土を繋ぐ巨大な魔導都市へと姿を変えていた。


 空には重力魔法で制御された浮遊島が浮かび、地上ではガラスと緑が融合した美しい建築物が、朝日に輝いている。


 その街の大通りを、二人の少年が駆けていた。

 一人は、金髪の人間の少年、レオ。

 もう一人は、鮮やかな若草色の肌を持つゴブリンの少年、アルト。


「急げよアルト! 一時間目の『英雄史』に遅れるぞ!」


「待ってよレオ! 君の足が速すぎるんだよ!」

 息を切らして走る二人の横を、ドワーフの工兵が操る魔導重機が通り過ぎ、空にはエルフの飛竜便が舞う。


 種族の違いなど、今日の天気ほども気にする者はいない。それが、この世界の当たり前だった。


 ◇


 王立初等学院、歴史学の教室。


 教鞭を執るのは、長い耳を持つエルフの老教師だ。彼女は、空中に投影された魔法のスクリーンに、一枚の古い絵画を映し出した。


 それは、暗い森の中で、人間とゴブリンが血を流して争っている、陰惨な光景だった。


「――いいですか、皆さん。今から千年前、世界はこのような『暗黒時代』にありました」

 教室中から、信じられないというようなざわめきが起こる。 


「うわあ、野蛮……」

「なんで話し合わないの?」

「昔のゴブリンって、言葉が喋れなかったって本当?」

 アルトは、隣の席のレオと顔を見合わせた。

 レオは、教科書の絵を見て顔をしかめている。


「信じられないよな。僕とアルトが殺し合うなんてさ。意味が分からないよ」


「うん。言葉が通じるのにね」

 先生は、杖で床をトン、と叩いて静寂を作った。


「そうですね。今の皆さんには想像もできないでしょう。ですが、当時は『違う』というだけで、互いを怪物と呼び、恐れていたのです。……その、厚く冷たい氷の壁を、たった一人の『勇気』が溶かしました」

 画面が切り替わる。


 映し出されたのは、三人の人物の肖像画だった。

 右側には、不敵な笑みを浮かべた人間の男。人間エルフ間初代全権大使にして、現代商業の父と呼ばれる『生命いのちのカシム』。


 左側には、氷のように凛とした人間の女性。魔法体系の基礎を築いた、大魔導師『氷のセラフィナ』。


 そして、中央。

 杖を携え、少し困ったように、けれど優しく微笑む、小柄なゴブリン。


「彼こそが、最初の調停者。『緑の賢者』ゴブスケ様です。彼は、世界で初めて『対話』という魔法を使い、千年の戦争を終わらせました」

 アルトは、誇らしげに胸を張った。


 自分の肌と同じ色をした英雄。

 教科書には、彼が残した有名な言葉が記されている。


『俺はゴブリンでも人間でもない。俺は、俺だ』

 その言葉の意味を、アルトはまだ完全には理解できていない。けれど、その言葉を読むたびに、胸の奥が熱くなるのを感じていた。 


 ◇


 放課後。

 アルトとレオは、街の中央広場にある「大調停記念聖堂」へと社会科見学に来ていた。

 高いドーム型の天井からは、柔らかな光が降り注いでいる。


 その最奥に、伝説の三人の石像が立っていた。

 石像の足元には、彼らの遺品とされるものが納められている。


 カシムが愛用したという、エルフの神木で作られたペン。

 セラフィナが書き残した、膨大な魔導書の写し。

 そして、ゴブスケの像の前には、小さなガラスケースがあった。


 そこには、一冊のボロボロになった本と、青白く光る石が納められている。

 本は『白紙の魔導書』と呼ばれているが、そのページには、彼自身の筆跡で、びっしりと冒険の記録が書き込まれているという。

 そして、その横にある青い石。


『アンナの涙』と呼ばれる、マナの結晶だ。


「綺麗だなあ……」

 レオが、ガラスケースに顔を近づけて呟いた。


「千年経ってるのに、まだ光ってるよ」

「うん……。まるで、生きているみたいだ」

 アルトは、吸い寄せられるようにその石を見つめた。


 伝説によれば、ゴブスケはこの石の輝きを道しるべに、どんな絶望的な状況からも生きて帰ってきたという。 


 そして、最愛の妻であるアンナと共に、その生涯を「共存」のために捧げたのだと。

 じっと見つめていると、不意に、石の光が強く瞬いた気がした。


 ドクン、と。

 アルトの心臓と呼応するように。


『……迷うなよ』

 どこからか、声が聞こえた。


 人間の言葉のようでもあり、ゴブリンの言葉のようでもある。

 けれど、不思議と懐かしく、温かい響き。


『お前は、お前自身の物語を歩け』

 アルトは、ハッとして周囲を見回した。


 周りには、観光客や他の生徒たちがいるだけだ。

 レオが、不思議そうにアルトの顔を覗き込む。


「どうしたの? アルト」

「ううん……。なんでもない」

 アルトは、もう一度だけ、石像を見上げた。


 石像のゴブスケは、遠い未来を見据えて微笑んでいる。

 その視線の先にあるのは、まさに今、アルトたちが生きているこの景色なのかもしれない。

 かつて一匹のゴブリンが、孤独な洞窟の中で夢見た「光」。 


 それは今、千年の時を超えて、世界中を照らす「日常」となっていた。


「行こうぜ、アルト! 広場の屋台で、『ゴブスケ焼き』買おうぜ!」

「もう、レオは食いしん坊だなあ! 待ってよ!」

 二人の少年は、石像に背を向け、光溢れる街へと駆け出していく。


 人間とゴブリンが肩を組み、笑い合う。

 そんな奇跡のような光景が、どこまでも、どこまでも続いていた。


 空の上で。

 三つの影と、一人の少女の影が、その様子を見て、優しく笑った気がした。


 物語は、続いていく。

 いつまでも、いつまでも。


 (完)



これにて、本当にラストです。

ありがとうございました!

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大変面白かったです。連載お疲れ様でした。
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