表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100/101

最終話:人間になりたかったゴブリン


 崖の下を離れ、アンナの村へと続く道を歩き始めた。


 夕日が木々の間から黄金色の光を投げかけ、俺の影を、長く、長く前に伸ばしている。

 全ての思い出を胸に、全ての始まりの場所へ。


 変異魔法は使わなかった。人間の少年の姿にはならなかった。

 手に強く握りしめた杖。その先端に埋め込まれたマナの結晶が、俺の覚悟に応えるように、力強く温かい光を放っている。


 この姿で、会いに行く。

 アンナが「ゴブスケ」と名付けてくれた、ありのままの、緑色の肌を持つゴブリンの姿で。

 それが、俺の長い旅の、最後の答えだったからだ。


 森を抜ける。

 視界が開け、懐かしい土地が広がった。実り豊かな畑、その向こうに立ち上る夕煙、小さな家々の並び。 

 アンナの村。


 数年前、森の暗闇から見つめ、その窓から漏れる光に、俺は焦がれた。

 あの光の中に、入りたい、と。


 今、俺は、その光の中へと、自分の足で、堂々と歩いていく。

 村の入り口に、立つ。


 畑仕事を終え、家路についていた村人たちが、俺の姿に気づき、足を止めた。

 一人、二人と、その数は増えていく。

 誰も、悲鳴は上げない。石も投げない。

 ただ、遠巻きに、信じられないものを見る目で、俺を見つめている。


 その視線に、かつてのような剥き出しの憎悪はない。

 困惑と、畏れと、そして……噂に聞く「英雄」への、静かな好奇。

 彼らは知っているのだ。言葉を操り、人間と共に戦い、戦争を止めたゴブリンのことを。


 俺は、動かなかった。

 ただ、その時が来るのを、静かに待っていた。

 やがて、人垣が、波が引くように左右に分かれた。

 その開かれた道の先から、一人の女性が、こちらへ歩いてくる。


 夕陽の逆光を浴びて、キラキラと輝く、栗色の髪。

 俺が記憶しているよりも、背はずっと高くなっている。素朴だった村娘の服は、落ち着いた色合いの、大人の女性のドレスに変わっていた。 


 だが、その眼差しは、あの頃のままだった。

 真っ直ぐで、優しくて、俺の心を射抜く光。

 成長した、アンナだった。


 彼女は、俺の緑色の姿と、手に携えた杖を認めると、一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。

 だが、次の瞬間には、その唇が花のように綻んでいく。


 あの頃と、何も変わらない、太陽のような笑顔を浮かべた。

 彼女は、俺の目の前で、足を止めた。


 長い、沈黙。

 風の音も、村の喧騒も、世界中の音が消えたようだった。

 ただ、俺と、君だけが、ここにいる。


 俺は、震える喉で、ずっと言いたかった言葉を、紡いだ。

 それは、人間の言葉でも、ゴブリンの言葉でもない。


 誰の真似でもない、俺だけの、魂の宣言。

「……俺はゴブリンでも、人間でもない」


 俺は、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「俺は、ゴブスケだ」


 その言葉に、アンナは、瞳に涙を一杯に溜めて、ただ一言、答えた。

 その声は、俺が夢にまで見た、世界で一番優しい響き。


「おかえり、ゴブスケ」

 その一言で、全てが報われた。


 どれだけ傷ついても、どれだけ遠回りをしても。

 俺の長い旅は、ようやく、本当の場所にたどり着いたのだ。


 俺は、何も言えずに、ただ、こぼれ落ちる涙を隠そうともせずに、何度も、何度も頷いた。

 アンナの笑顔が、夕日と涙の中で、滲んで輝いて見えた。


 涙が止まった頃、彼女は、ハンカチで俺の頬を拭いながら、微笑んだ。

「これから、どうするの? ゴブスケ」

 その問いに、俺はすぐには答えられなかった。


 アンナの顔を見た。彼女の後ろで、まだ戸惑いながらも、敵意のない瞳で俺たちを見守る村人たちを見た。そして、村の向こうに広がる、俺が生まれ育った故郷の森を見つめた。


 調停役としての仕事は、まだ山積みだ。人間とゴブリンが、本当に笑い合える日は、まだ遠いかもしれない。俺が作るべき道は、まだ始まったばかりだ。


 けれど。

 俺は、アンナに向かって、初めて心の底から笑った。


 その笑顔は、かつて人間になろうとして鏡の前で練習した、ぎこちないものではない。

 ありのままの、ゴブスケとしての、本当の笑顔だった。


「さあな。……でも」

 俺は、彼女の手を、そっと握った。

 杖の先で、二人の再会を祝うように、結晶が瞬いた気がした。

「もう、独りじゃない」

 俺たちは、二人並んで、地平線へと沈んでいく夕日を見つめていた。


 夜が来れば、また朝が来る。

 物語は終わらない。

 俺たちの、本当の旅は、ここから始まるのだ。



 (完)




 本作を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 プロットなしで挑んだ本作は、私にとって試練の連続でした。

 矛盾や書き直しに頭を抱え、PVの伸び悩みに不安を感じることも多々ありました。

 ですが、そんな不格好な作品にも関わらず、最後までついてきてくださった読者の皆様。

 皆様の応援があったからこそ、ゴブスケは故郷へ帰り、私も「完結」というゴールテープを切ることができました。

 この物語が、誰かの心に残る物語になれたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。

 本当にありがとうございました!


 え?まだある?

 最終回じゃないぞよ もうちっとだけ続くんじゃ


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ