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第2話 埃にまみれた知識の書を発見した件

 黒猫となった綾は大きく口をあけた。

 このぬいぐるみ口が開くように作られていないにもかかわらず。今耳にしたのがぬいぐるみとしての物理限界を超えるほどに驚かされてしまったのだ。


「あの~世界征服するって本気かにゃ?」


 語尾に「にゃ」が付くせいで真剣味は薄れているがこれは綾の本音だ。

 というか現代日本で「世界征服の手伝いをしてくれ」と頼まれた場合、二つ返事で引き受ける者がいるのだろうか?


「ああ、本気に決まっておるじゃろ。せっかくワシが慣れきった世界から未知の世界に踏み出したんじゃ。その異世界を一番深く理解し、味わうためには自らの興味の赴くままとう行動を誰にも規制されないようになること――つまりは王を倒し自らが王になるのが一番手っとり早くかつ確実じゃからな。それにせっかく異世界にきたんじゃから記念にもなるしの」


 せっかくだから記念写真を一枚というぐらいに気楽な言葉だ。

 だが腰に手を当てて薄い胸を張る少女シーゼル――だが元々はぬいぐるみに入っている綾の姿である――は本来の持ち主が動かしていた時と比べて、世界征服を唱えている今は圧倒的な自信に満ちあふれている。


「あのにゃ……こんなふうに私の体を乗っ取ってるし、私はぬいぐるみにできるからにはあなたは本当に異世界人なのかもしれにゃいにゃ。まあ私は死ぬつもりだったから、体を奪われるぐらいならある程度納得できる――したくないけどにゃ。でも現代の社会情勢では世界征服をしたって無駄で、王さまにはなれにゃいにゃ。だって今、この世界で王様が実権を持って国を動かしているのはかなり少数派にゃ。だから取って代わるべき世界の王なんてものは存在しないからにゃ」


 元々は自分の体からにじみ出ている、これまでに感じたことのない威風に気圧されながらも世界の王という言葉にきっちりツッコんであげる辺り、自殺する前の綾はさぞ真面目で律儀な性格だったのだろう。自分の体を使われていることに関しても死後に臓器移植をされるのと同様だと実に客観的に捉えている。

 にゃんこ語尾が滑稽さを醸し出しているが、その学生離れした性格が生徒間では煙たがられいじめの一因になっていたのかもしれない。


「ふむ、そうか。なるほど王はおらんのか。おればそいつを倒せばいいだけじゃから話が早かったのにのう。うーむ、やはりこの世界の知識が明らかに不足しておるの」


 顎の下に手をやるがそこに髭がないのを忘れていたようだ。髭をしごこうとしたその手を空振りし、所在無げに動かす。最終的にごまかすように長い髪をかき上げて額を出すとそのまま面倒そうにかき乱した。


「ならばまずは、この場で知識を得るのが最優先じゃな。なんぞこの世界について大雑把でよいから記された書物はないのか?」

「え……と、この世界っていう広い範囲なら百科事典かにゃ? 日本についてなら新聞とかだけど」


 書物と問われたので、この時点ではネットを利用させようとはぬいぐるみの綾は思い至らなかった。 

 それがいいのか悪いのか現時点では分からなかったが。


「ふむ、ではそのヒャッカジテンとやらいう書物のところまで案内するのじゃ。こういう場合のためにお主を使い魔にしたのじゃからな」

「あ、私って使い魔ってやつになってるのかにゃ!? しかも、これ、お気に入りの黒猫のぬいぐるみ黒死病ちゃんだよね! これが今の私の姿ににゃっているのかにゃ! 可愛いじゃにゃいか!」

「……まだ知識のないワシでもお主にはネーミングセンスがないのは分かるぞ。ほれほれ騒いでおらずに、その書の元へ案内せよ」


 傲岸に命令するシーゼルの姿は少女となっても命令し慣れた特権階級のオーラをまとっている。だがその雰囲気に飲まれた綾は、ぬいぐるみの尻尾を股に挟みつつツッコマずにはいられなかった。


「わ、分かったけど、まずは全裸はやめて服を着るにゃ。元とはいえ私の姿でそんな風にされていると恥ずかしいにゃ」


 たとえ今は自分が動かしていないとしても、これまで彼女の容姿だった体が全裸で仁王立ちしているのは耐え難かったのだ。


「……まあ、それぐらいはよかろう」


しかし「さっさとするにゃ!」と前足でたしたしと床を叩く綾の気恥ずかしさとは逆に、服を着るという簡単な作業は遅々として進まない。

 その責任の半分は初めて女物の服を着ることになり興味津々で調べたがるシーゼルのせいだが、もう半分は現代女性の下着のせいである。 


「ふむ、下穿きはいいとしてこの胸当てはどうやって着用すればいいんじゃ?」

「あ、そうじゃにゃいにゃ! もう、こっちによこすにゃ! ほらこうやって……ってこのぬいぐるみの手じゃホックを摘むこともできにゃいにゃ!」

「猫にあるのは手ではなく、前足じゃろう。ということはつまり……これはいらんと」

「ちょっ、ちょっと待つにゃ! それは危険にゃ! そっちに、タンクトップがあるからそれで誤魔化すにゃ……」

「タンクトップとはなんぞ?」

「あーもう面倒にゃー!」

  

 主ににゃーにゃーという叫び声で大騒ぎを繰り広げた挙げ句、ようやく薄い青のパジャマを身につけた シーゼル。女子高生としての色気はないが清潔感のあるスッキリとした格好だ。

 だがその指導をした方はかなりくたびれていた。


「無駄に疲れたにゃ」

「お主のこだわりのせいじゃろ。女子力とやらを力説されても、ワシの知識にはないものだったからのう」


 シーゼルは尊大な態度で、腹を見せてゼーゼーと息を切らしていいる珍しいぬいぐるみの頭にげんこつを一つ、二つ、三つ……。


「痛くはないけれど、いい加減に止めるにゃ! というか痛くにゃいのに拳が頭にめり込む感触が逆に怖いにゃ!」

「いや、ぬいぐるみのせいかお主ほど殴り心地の良い頭にはこれまで出会ったことがなかったぞ。誇るがいい、お主の頭はワシがいた世界とこっちの世界を合わせても一番じゃ!」


 おそらく冗談混じりであろうが、げんこつは止めてもまだむにゃむにゃとぬいぐるみの顔面を揉んでいる。よほどぬいぐるみの感触が気に入ったらしい。


「……お前の頭は殴り心地がいい、かにゃ。似たようなことを学校で言われたことがあるからちっとも嬉しくにゃいにゃ」


 これまでになく暗い声で綾は呟くと、素早くシーゼルの手から抜け出す。そして何かを振り払うようにしっぽをピンと突き上げて元気な声で案内を始めた。


「さ、百科事典はこっちの私の部屋にあるにゃ! 遅れずについてくるにゃ!」


 

 バスルームから自室へとそう距離があるわけもなく、すぐに「アヤルーム」という丸っこい文字で書かれたプレートがかかっている扉へ到着した。

 いつも通りに何気なくドアを開けようとした綾だが、ふと手前で立ち止まる。この姿では直立してもノブにまでは届かない。

 たぶん他の部屋であればそんな事もなかったのだろうが、自室に自力では入れないというのが彼女のプライドに傷をつけたようだ。


 たしたしとドアをノックするように上を目指してもがくが、ノブという目標までは遠い。だが「ふ、ドアに道を遮られたぐらいで負けにゃいにゃ」とハードボイルドに糸目を煌めかせると、ぐっと身を縮めてから乾坤一擲の跳躍をした。

 ぬいぐるみという軽量が上手く作用したのか、想像以上に高く己の身長以上の距離を飛んでノブへと手が掛かった。

 だがここで忘れていたことが一つ。

 彼女の布でできた手――いや前足――では握るという行動ができないのだ。


「し、しまった! 謀られたにゃ~!」


 断末魔を上げて、二時間ドラマの殺人を自供した犯人が断崖から飛び降りるように落下していく黒猫の綾。


「なにをやっているんじゃ」 


 黒猫がドアの前で踊っているのを生暖かい目で見ていたシーゼルが、地面に落ちる前にすくい上げる。


「ほっ、にゃいすキャッチにゃ!」

「余計な手間を取らせるんじゃない」


 嗜めるその口調にどこか苦笑の響きがあるし、黒猫の糸目には感謝の光がある。

 どうやらこれまでの短いやりとりで二人――一人と一匹と言うべきか、それとも一人と一個と言うべきか――の精神的な距離がずいぶんと縮まったようだった。



「さあ、そこの本棚の一番奥に百科事典はあるはずにゃ!」


 他人が入るのは久しぶりにゃと入室を許可された綾の部屋は、年頃の少女としては飾り気がない。せいぜいぬいぐるみが数個と服がクローゼットからはみ出して壁に掛けられているところでかろうじて女性の部屋だと判別できるぐらいだ。

 その中で綾が指差す――指はないのだが――本棚は充実している。みっしりと本が詰まっているが、どこになにがあるのか判然としない。ただ整然と並べられているだけでなく、後からスペースが足りなくなったのか空いている隙間にぎゅうぎゅうと本が積み重ねられているのだ。


「これだけの書を個人で所有しているとは……しかし貴重な書物に対して手荒な所蔵じゃな」


 シーゼルが眉をしかめ、目を細くする。

 どうにも本に対する現代人と価値観が違うらしい。

 ここの本棚にしても雑然としているだけで、別段折れ曲がったり汚れていたりはしていない。だがそれでももっと丁寧な扱いをしていないのが許せないようだ。


「あのー、もしかしてそっちじゃ本は凄く貴重品だったのかにゃ?」

「無論そうに決まっておるじゃろ。一冊を書き写すのにどれだけ手間暇がかかると思ってるんじゃ」

「印刷じゃなくいちいち手書きで写しているのかにゃー!」


 なるほど印刷技術が発達していなければ、書物は貴重品でかつ贅沢品である。現代人と感覚が違っていても仕方がない。


「と、とにかくそこの一番奥に百科事典があるはずにゃ」

「ふむ」


 言われた棚をかき分けると、分厚い百科事典が三冊組で鎮座していた。

 ほとんど読まれた形跡がなく、うっすらとだが埃まで積もっているようだ。


「し、仕方にゃいにゃ! 百科事典なんてそんなに頻繁に読み返すものじゃにゃいんだから!」


 哀れみの視線の先で黒猫が「そんな目で見るにゃ!」と踊っている。

 だが百科事典というのは知識の宝庫である。現代人の綾と活版印刷すらない異世界からきたシーゼルではその辞典に対する価値はどうしても相容(あいい)れない。

 事実シーゼルは百科事典を手にして、ざっと目次を眺めただけで片頬を歪ませたハードボイルドな笑みを浮かべた。


「かかかっ、これで世界征服へ大きく一歩進めたのう」

「え? 百科事典を読んだだけで――いや、まだそれすらもしてにゃいよね。百科事典を本棚の奥から探し出しただけなのにもう世界征服が一歩進んだのかにゃ? だったら読書家の私なんか世界征服まで道半ばを踏破してるにゃ!」

「綾、お主はにゃあにゃあうるさいのう。せっかく手にした百科事典が読みづらいではないか」

「あんたが私の依代(よりしろ)を猫のぬいぐるみにしたせいにゃー!」

  



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