212 100階層ダンジョン ⑳
今回の被検体はアキではなくヒムロとなったようだ。
考えてみれば今回の実験には強い呪いが不可欠になる。
それを女性であり、これから自分達のウエディングドレスを作ってくれるアキに掛けるはずはない。
そして、男性陣で暇をしているのはヒムロだけだ。
選択肢は自然と一択に絞られたと言う事だろう。
「頑張ってるなヒムロ。」
「ユウー。助けてくれー!」
「流石だなヒムロ。その調子でしっかりとスキルを鍛えておけよ。」
しかし、悲壮な顔のヒムロと違いそこに割って入ったアキトはとても朗らかに笑っている。
恐らく、最近怠けがちなヒムロに対する罰と思ったのだろう。
確かに最近の彼はクロヒメとシラヒメの二人とイチャイチャしてばかりだ。
ヒムロ達を手伝う事も俺達と同行する事もない。
まあ、ここで護衛をしていると言えば聞こえは良いが、ここは他国で言えば貴族エリアなので治安も良い。
それに家のメンバーを害せるような存在は近くに居ないので安全だ。
もし、日本での様な事があればトキミさんが知らせてくれる。
そのためヒムロはここに来てから碌に仕事をしていないのだ。
(出来れば代わって欲しいくらいだな。実験台以外で!)
そしてクオーツはヒムロに軽く指先で触れると容赦なく呪いをかけた。
アキの時は少し躊躇していたがヒムロにはそんな事は無い。
すると呪いが掛かった瞬間にヒムロの体から波動と言うか黒い靄が吹き上がった。
これはかなり強力な呪いだろう。
「うえ~~~。これすっげー痛くて気持ち悪いんだけど。どんな呪い掛けたんだ。」
「体が少しずつ末端から腐っていく呪い。」
「・・・・ライラさん!いえ、先生。早く薬を下さい!」
「え、でも指くらいは腐り落ちてからの方が。」
「末端って事は男の(シンボルもでしょうが。早く薬を下さい。)」
俺はヒムロの言う事を先読みして二人との間に空気の断層を作った。
声が途中で途切れたため二人は首を傾げてそれを行った俺に視線を向けて来る。
俺はヒムロの前までゆっくりと移動するとその肩に手を置いた。
『ミシミシ・・・』
「あ、あの・・・。何気に痛いんだけど。」
「ならお前も何気に俺の嫁さんの前で卑猥な事を言うな。そうしないと腐る前にお前のシンボルを俺が切り落とすぞ。どうせ後で生えて来るからな。」
ヒムロは顔を引き攣らせるとアキトに視線で助けを求めた。
しかし、アキトは首を横に振って溜息を吐くだけである。
彼も娘の様に可愛がっているカエデと愛する婚約者であるアスカがいる。
先程のヒムロの失言は看過できないのだろう。
特にこの家には10代の子供も住んでいる。
情操教育の面ではかなり不適切な発言と言えた。
「分かったかヒムロ。」
「あ、ああ。今後気を付けるから早く薬をくれ。」
俺は空気の断層を解除するとライラに声を掛けた。
「あまり虐めてやるなよ。こいつも結婚を控えてるんだからな。」
「仕方ないわえ。はいこれ。」
ライラはそう言って俺に薬の入ったコップを差し出して来る。
恐らくすぐに使うので瓶には入れなかったのだろう。
あの瓶も腐敗防止が付いた魔道具なのでちゃんとした扱いをしないといけないからな。
俺はコップを受け取るとそれをヒムロに飲ませた。
すると黒くなりかけていた指先が元に戻り先程まで感じていた呪いが綺麗に浄化される。
どうやら、実験は成功の様だ。
俺はコップを嗅いで見るが以前の様な悪臭は無く、爽やかなフルーツジュースの匂いがする。
ヒムロの反応から見ても不味いことは無さそうだ。
「どうだヒムロ。味の方は?」
「体の調子を聞くよりも味の心配かよ。」
「いや、お前は最近のポーションを飲んだ事がないから言えるんだよ。あれはヤバいんだ。」
そう言って俺は以前のポーションを取り出してそれをヒムロに嗅がせた。
「なんじゃ~~~この臭いは!死ぬ。これは絶対に薬じゃねえ。」
そう言ってヒムロは呪いを受けた時以上に転げ回って目に涙を浮かべた。
(これって目にも来るんだよな。)
「それじゃあ、さっきのお詫びに一本逝っとく。」
「嫌じゃ~~。まだ逝きと~な~い。すまんかったユウ。もう言わないから許してくれ~~~。」
どうやらヒムロには俺の優しさがしっかりと伝わったようだ。
彼とはこれからも良い友、良い隣人で居られそうだ。
俺はポーションを仕舞い直すと背中を向けた。
そこには当然、ライラとクオーツが居る。
そして、ヒムロはいまだに拘束された状態である事を考えれば何がこれから起きるかは明白だ。
そして予想通りクオーツは再びヒムロに歩み寄って行った。
「今回の事は流石に堪えたぜ。それじゃあそろそろこの縄を・・・。」
「えい。」
「グオア~~~!図ったなユウ~~~!」
「誰が一回だけなんて言ったんだ。これから少しずつ呪いを強めて何度も実験するんだよ。大丈夫だ。死ななければ最終的には助けてやるから。」
「ウオ~~~!それなら今助けてくれ~~~!」
「それだと実験にならないだろ。今日は頑張って働け。」
そして扉から出ようとするとそこには何やらヒムロを見詰める、クロヒメの姿があった。
しかし、その顔は心配というよりも羨ましいと言った感じだ。
もしかしてと思い俺は声を掛けてみる事にした。
「クロヒメ。」
「は、はひ!」
「驚かなくても良いぞ。二人に混ざりたいなら一緒にヒムロに呪いをかけてやれ。魔物由来の呪いにも効果があるか知りたいだろうからな。」
誰が掛けても呪いは呪いだろうが、霊獣の呪いには効いて魔物の呪いに効果が無いのでは困る。
症例は多い方が良いだろう。
クロヒメは蛇に類する魔物なので呪いも使えるそうだ。
今のライラにとってはクオーツと同じく良い助手になるだろう。
「分かりました。クオーツさんに負けない様に頑張ってきます。」
「そうしてこい。お前の呪いならヒムロも喜ぶだろう。」
(アイツは少しM気質があるからな。)
俺はそのままクロヒメを見送ると横にアキトがやって来た。
その顔は先程と違い苦笑を浮かべている。
「お前も時々、鬼の様な事をサラリと言うな。」
「ヒムロなら大丈夫だろう。きっと新しい扉に開眼してくれるはずだ。」
「俺の隊に変態は要らないんだがな。」
そして、その日はヒムロの悲鳴が数時間に渡り続いた。
しかし、途中からは悲鳴では無く、喜声だったとかなかったとか。
後日、純粋なクオーツから「呪いって何度も掛かると気持ち良くなるの?」という質問を受けたが「ヒムロが特別なだけだ」と話を濁しておいた。
本当に新たな扉を開くとは流石だな。
今の奴ならトゥルニクスとも良い友達になりそうだ。
その後、俺達はスキルの選択と強化で一日を過ごした。
そしてその日の夜。
食事の時にライラから報告がもたらされた。
当然それはヒムロが新たな扉を開いて変態になったという報告ではない。
とうとう秘薬を越えた秘薬。
万能薬が完成したと言う知らせだ。
「とうとう完成したわよ。これで傷も状態異常も呪いもすべてが回復するわ。なんたって今のクオーツが使った全力の呪いも解呪出来るんだから。精霊王クラスだと心配だけどそれ以外ならきっと大丈夫よ。」
今のクオーツのレベルが125を超えている。
その麒麟の呪いも解けるとなると確かに万能薬と言っても良いだろう。
普通に考えれば精霊王クラスに呪われる可能性は自動車事故で死ぬ可能性よりも遥かに低い。
しかも、普通に生活していれば0と言っても良いだろう。
もし、精霊王に呪われたと言うなら、その者はそれなりの事をしでかしたと言う事でもある。
その様な者を救うためにこの薬を作った訳ではないのでそこは考慮から外しても構わないと思う。
「それなら、これから量産に入るのか?」
「そうね。オリジンが頑張ってくれたから明日から収穫は可能よ。以前の様な副作用も無いからデザートとしても安心して食べられるしね。」
そう言って置いてあったユウライシアを摘まんで口に入れる。
今は時期的にこの辺では果物が収穫できない様で市場に行っても売っていない。
エルフの国なら別だろうがここはドワーフの国だ。
精霊の加護は生産よりも製産に大きく偏っているので季節を外れて果物が収穫できないのだろう。
そこは種族や土地柄が出ていると言える。
しかし、俺はもう少し警戒する必要があったかもしれない。
それを俺が知るのは少し先の事だった。
俺達は次の日からダンジョンでスリープ・シープに挑むことにした。
昨日はその姿を見ただけで眠ってしまった3人も問題なさそうだ。
アスカに確認するとこの魔物は絶えずスキルによる睡眠誘導を行っているらしい。
そのため、スキルの範囲に入った相手を問答無用で眠らせるそうだ。
地上では牧場まであるらしく、これから取れる羊毛は寝付きが最高の超高級寝具の材料だと教えてくれた。
確かに戦闘態勢であるトキミさん達でも眠るのだから最高の眠りを提供してくれるだろう。
ただこの階層のスリープ・シープで作った寝具で寝て朝に起きれるかが心配だ。
まさに使い手を選ぶとはこの事を言うのかもしれない。
耐性が無ければ永遠に目の覚めない恐ろしい寝具だと言える。
それでも、沢山の普通の羊毛にちょっとだけ混ぜるなら使えるかもしれない。
それに羊肉はホロもだがアリーナも好物なのでどうしても肉が欲しい。
これはギルドと相談する必要があるだろう。
「昨日、1日かけてスキルを強化して正解だったみたいだねえ。」
「そうみたいね。このレベルの敵を相手にするには耐性スキルは必須って事かしら。」
「儂らもまだまだ修行が足りんと言う事じゃのう。」
そして、スリープ・シープの強味は睡眠誘導とあの頭にある角での頭突きだけらしいので眠らなければ問題はない。
それでもレベル122の魔物の頭突きは俺達でも一切の強化をしていなければ骨折もあり得る。
そのため、昨日は安全を優先して一旦引いたのだが今日は大丈夫そうだ。
そして最初の相手はゲンさんがする事になっている。
剣を構えて前に出るとスリープ・シープは『メェ~~~』と普通の羊と同じ様な声を出しながらゲンさんに突撃して行く。
それを直前で躱すと小太刀を一瞬突き刺して僅かに動かし、頚椎のみを破壊して倒してしまった。
どうやら再生のスキルは無い様で一撃を受けて地面に倒れた後は完全に動かなくなった。
出血も少なくほぼ完ぺきと言って良い倒し方だ。
首元に見える僅かな血の跡に気付かなければまるで眠っているようにも見える。
俺達はスリープ・シープを収納すると次の目標に向かい進み始めた。
結果だけ言えばこの階層は100階層を越えてからでは一番楽だったかもしれない。
魔物の知能も低く攻撃手段も乏しい。
しかも肝心の睡眠誘導が俺達には通用しないので簡単に倒せる。
まさに、肉取り放題だ。
俺の口元は自然と緩んでしまっても仕方ない事だろう。
そして、俺達は再び順調にダンジョンを攻略していきとうとう最下層である125階まで到着した。
目の前にはなだらかに下る長い一本道が続き、その先には高さ500メートル以上。
横幅は5キロもある巨大な空間が広がっている。
俺達は今日はそこに何がいるのかだけを確認して帰る予定だ。
最後の討伐は明日のお楽しみにしておく。
それに、今までの経験からそこには最終守護者が居るはずだ。
最終守護者はその階層よりも遥かに高いレベルの魔物が現れる可能性が高いので慎重に攻略を行う。
最悪はここで諦めてもギルドの仕事は完遂できるが折角の最終ステージなのでなるべく討伐しておきたい。
それに美味そうな魔物なら狩らないと言う判断は無いだろう。
しかし、俺は道を進んでいる内に危険察知が反応し始めた。
オメガの時にも反応が無かったので本当に久しぶりだ。
そして、部屋の外から中を覗くと2対4本の腕を持つ男が立っていた。
しかも今までとは明らかに違い、このフロアは異常なまでに清浄な気配に満たされている。
まるでここだけが別の世界であるようだ。
敢えて例えるなら精霊の住処が最も近いかもしれない。
そして、鑑定しようとした時に俺の肩をトキミさんが強く掴んだ。
「止めときな。あれは魔物なんて優しい存在じゃないよ。」
「あれが何なのか知っているんですか?」
しかし、トキミさんの顔を見るとそこには大量の汗が浮かんでいた。
その事から彼女は何かを知っている様だ。
そして、それはその横にいるゲンさんとサツキさんも同様なようで、二人も額を汗で濡らしている。
俺達は少し通路を引き返すとトキミさんが事情を話し始めた。
「あれは神だよ。何でここに居るのか知らないけどねえ。もし、害が無いようならここは何もせずに帰った方が良い。」
「それは困るな。それだと約束が果たせないじゃないか。」
その瞬間、俺達は声のした方向へと視線を向けた。
すると先ほどまで部屋に居た相手が俺達のすぐ傍まで来ている。
しかもその距離は5メートルにも満たず、恐らくは転移を使って現れたのだろう。
「その通りだよ。君はなかなか鋭いみたいだ。それにあの子が言っていた通り心の声が駄々洩れだね。何かの能力で隠そうとはしてるみたいだけどまったく使いこなせてないみたいだ。」
男はそう言って手を口元に当てると朗らかに笑った。
今の所は殺気が感じられないが警戒は解けない。
何せ相手は神でこちらの考えが読める。
それに誰に聞いたか分からないが俺の事を知っていてあそこで待っていたようだ。
しかも約束と言っていたので用があるのは俺か、それとも俺達全員か。
「心がこんなにオープンなのに馬鹿じゃなさそうだ。用のあるのは君『達』全員だよ。」
その瞬間、後ろの空間が歪み家に居るはずの全員が現れた。
当然、その中にはチヒロたちも含まれている。
どうやら強制的に転移で呼び寄せたようだ。
みんな混乱はしているが目の前の状況からすぐに戦闘態勢へと移る。
その様子を見て男は再び笑みを浮かべた。
「本当に面白い。でも、ここは狭いからあちらに戻ろう。もちろん、逃げられないのは分かってるよね。」
「ああ、少し強引だがその招待を受けようじゃないか。」
そして、俺達は再び先ほどの部屋に戻って行った。
するとそこには先程は無かった花をモチーフにした様な椅子があり男はそこに腰を下ろす。
そして俺達に視線を向けるとそのまま話を始めた。
「それでは話の続きをしよう。君たちも良ければ座りたまえ。」
「それじゃあお言葉に甘えて。」
俺は適当に椅子を並べると皆を座れせていく。
どのみち相手の方が格上なので構えていても仕方ない。
座っても良いと言うなら立っていても疲れるので有難く座らせてもらう。
ついでにお茶とお菓子も出して準備万端だ。
最後の晩餐になるかもしれないがどんな話でもバチ来いだ。
しかし、男は俺の行動を見て苦笑を浮かべ呆れている様に見える。
座って良いと言われたのにこの反応は何故だろうか?
「普通は神の前で座って良いと言われてもそこまでする者は居ないよ。それにそのお茶と食べ物は美味しそうじゃないか。」
「欲しいなら欲しいとストレートに言わないと俺は心が読めないから伝わらないぞ。」
「なら、欲しい。」
それならと俺は男の横にも台を設置するとその上にお茶とお菓子を用意する。
お茶に少し悩んだが花茶と、宗教的に誰でも食べられそうな芋ケンピを準備した。
一応食べられないものが無いか聞いておく。
「特には無いよ。そう言った物は人間が勝手に決めたルールであって神である私には関係ない。」
「なら、どんな物でも良いと言う事か。」
俺は台の上に幾つものケーキやクッキーなどを並べておく。
日本の神話では神はお酒も好きと言う事なのでワインや焼酎も置いておいた。
そうなるとやはり食べ物も必要だろう。
何でも食べれるのならベヒモスのローストビーフも並べておこう。
これなら牛でも豚でもないから宗教にも引っ掛からない。
少し大きめの台を出したがあれやこれやと並べているとあっという間に埋め尽くされてしまった。
その様子を見て男は大声で笑い始めてしまい俺は首を傾げて返す。
「君は変わった人間だな。敵かもしれない初対面の私にここまでの事をするとは。それともタダのお人良しか?」
「それは俺じゃなくて相手が決める事だ。俺は自分がしたい様に行動しているだけだからな。それは相手が神でも変わらない。」
「私を人と同列だと?」
その瞬間、首を絞められたような威圧が纏わり着くが俺の考えは変わらない。
同列ではなく俺がしたい様にしているだけだ。
敢えて言えば俺は犬になら人よりも優しく出来る自信がある。
「まあ良い。変人の考えは理解できん。」
「変人ではなくタダの犬好きだ。」
「は~・・・それよりも話を続けよう。」
そう言って男は台の上のお菓子を摘み口に入れた。
「うっま。なんだこれは。これも・・、これも美味い。お前達はいつもこんな物を食べているのか!?」
何やらトキミさんの時を思い出すがあえて触れないでおこう。
ただ、男が満足するまで食べるのを止めなかったのでその後1時間ほど話は中断した。
その為、俺達も仕方なく昼食を食べる事にする。
すると当然の様に男もそれに混ざって来きたので話は更に先延ばしとなった。




