187 虎人の地 ②
ゲンとサツキはドラゴンに一番乗りするために全力で飛んでいた。
そこに油断はなく覚醒した龍化のスキルを最大に引き上げる。
元々小さくなれるなら大きくもなれるのが変身のスキルである。
そして訓練により龍化のスキルを向上させたため、最初の時に比べると遥かに巨大な姿へと変われるようになっていた。
そのサイズは既に60メートルを超えており敵のドラゴンよりも大きい。
その分、力も増しており既にベヒモスを上回っていた。
前回のベヒモス戦でも出来たがパーティ戦であった事と地下である事を考えてあの程度の大きさに抑えて戦っていたのだ。
どうやら二人にも独り占めにしてはいけないという良識的な思考が存在したようである。
しかし、今回の戦場は地上でありフィールドも広い。
さらに相手が強大とあれば手加減の必要はないだろう。
そして飛んでいると突然前方から、巨大な威圧が発せられた。
「これは急がねば間に合わんかもしれんのう。」
「そうね。到着した時に相手が死んでたら少しお仕置が必要ね。」
サツキはお仕置と言っているが彼女に手加減したお仕置などと言うものが出来るはずがない。
それは当然、ユウの心配する結果へと直結しているだろう。
まさに、ここでユウの懸念は的中していたと言う事だ。
そして二人は当然、全力で向かっており、それ程の巨体が高速飛行をしていて急に止まれるはずはない。
しかも今回は先に到着した者が相手をする事になっている。
それは即ち僅差であればある程それを判定するのはどちらが先に触れたかという事だ。
その結果二人はブレーキの壊れたトラックでチキンレースをするかの様にドラゴンに飛びつき、そのまま遠くへと道連れにしたという事であった。
そこには勿論、町への配慮などまるで含まれていない。
しかし、そこに大きな誤算が存在した。
それは人にもある事だが、二人は必死になるあまりその事を忘れてしまっていた。
(この衝撃・・・あ・・・死んだ。)
ドラゴンの心の声はあまりにも儚く、一瞬の事であった為に言葉にすら出なかった。
ドラゴンとは生まれながらに生物最硬の鱗に覆われ、高い霊力を纏っている。
しかも龍王であるドラドに守られ誰も歯向かう者は存在しない。
その様な者が戦闘技術を磨くはずもないのだ。
その結果、ドラゴンとは殆どの存在が人間でいえば闘いの素人であり同格以上の二人からのタックルとはまさにトラックにぶつかられた一般人なのである。
おそらくこれが異世界に住む何者かの影響によるものなら、この瞬間に異世界召喚をされていただろう。
しかし、そんな事は一切なく、そこの事に気が付いたのは二人が速度を緩めてドラゴンから離れた直後であった。
「どうやら儂の方が一瞬だけ早かった様じゃのう。」
「仕方ないわね。今回は任せるわ。」
そして二人が離れるとドラゴンは目の前で自由落下を始めそれはどう見ても意識が無い様にしか見えない。
それを呆然と見つめて意識が回復したのはドラゴンが地面に体を横たえた時だった。
「お、おい、お前。まさかこの程度で気を失うはずはないじゃろ。」
「フフフ・・・きっと死んだふりよ。攻撃を仕掛ければ避ける筈。」
しかし、それが冗談ではない事は二人は当然ながら分かっていた。
その程度は出来なければ達人とは言われる事はない。
二人は分かっていながらも慎重にドラゴンの横に下りるとその頭を小突いた。
「反応がない。まるで屍の様じゃ。」
次に胸に耳を当てて鼓動を確認する。
二人は当然分かってはいるが顔を見合わせて「まさかな(ね)」と言い合いながら行ったそれで現実を直視できない程に驚愕する。
「心臓が止まってるわ。これは本当の屍ね。」
「この程度で死んでしまうとは情けない・・・。」
二人はドラゴンの顔を見るとその目は白目を剥いており舌はダラリと口からはみ出ている。
呼吸も止まっており、見様によってはあまりにも酷い死に顔だ。
そして、二人の額からはタラリと一滴の汗が流れ落ちる。
流石の二人もライラの身内を殺さない様に配慮するつもりだったがそれがいきなり崩れたからだ。
しかし二人の思考回路はこの直後、変なベクトルへと進んで行った。
「サツキよ。ライラもまさか肉親かもしれん者が儂らのタックルで死んだと聞けばショックを受けるのではないか?」
「そうね。激戦の末に仕方なく殺してしまった事にした方が良いわよね。」
まさに二人の思考は突発的に殺人を犯してしまった者に酷似していた。
すなわち偽装工作をする事にしたのである。
「そうなると首を切り落とすのは良くないじゃろう。腕と足をいっとくか。」
「それよりもブレスで全身を満遍なく痛め付けましょう。その方が最後に打ち合って仕方なく死んだ演出になると思うわ。」
「それじゃー!」
そして二人は飛び上るとブレスを放ちその全身を滅多打ちにした。
それなら先に蘇生を試みた方が良いのではという思考は二人にはない。
この事をユウに言えば、もしかするともう少し穏便な結果が得られたかもしれない。
そして、全身にブレスで衝撃を受けたドラゴンは、その生命力のおかげで偶然にも息を吹き返した。
「ガハッ!ゴホ!」
「よ~し計画通りじゃ!」
「流石は龍だけはあるわね!」
二人は冷や汗を掻きながらそんな事を言って再び地面に降り立った。
そこには先程まで偽装工作をしようとした二人は既に居ない。
そして龍の顔を覗き込みながら優しさすら感じる声音で声を掛けた。
「大丈夫かの?」
「え、ええ。大丈夫です。それであなた方は誰でしょうか?それよりも・・・私は誰なのでしょうか?」
「「・・・・・。」」
その直後二人は巨体に似合わない軽やかな動きで少し離れると小声でヒソヒソ話を始めた。
「どうやら心臓が止まっていた時間が長すぎたようじゃな。」
「でも、体は丈夫そうだから放置してても何時か勝手に回復するんじゃない。曲がりなりにも霊獣でしょ。」
「それなら決まりじゃな。」
「「放置で行こう。」」
そして二人は責任を放棄して再びドラゴンへと歩み寄った。
その目はとても澄み切っており、先ほどあの様な決断を下した者達とは思えない程だ。
詐欺師とはこの様な者たちの事を言うのかもしれない。
「大丈夫かお主。何か覚えている事はあるかの?」
しかし、油断のない2人は確認だけは怠らない。
いつも誠実に見える者でも、保身に逃げれば人は変わるものである。
「それが、・・・ああ駄目だ。思い出そうとすると頭痛が・・・。」
「そんなに無理に思い出す必要はないのよ。きっと少しすれば良くなるから。そうだ。人の姿にはなれるの?」
「人・・・、人とは何でしょうか?」
「こういう姿の事よ。」
そしてサツキは変身を解いて服を着ると顔を出した。
それを見てドラゴンは納得しスキルの力を使って人の姿に変わる。
どうやら記憶がなくてもスキルは使用可能の様だ。
どうもこのドラゴンは雌だったようで顔立ちはライラに似ておらず、身長は160後半。
ドラゴンの時と同じ赤い髪をしており顔も大人びている。
少し目元のきつめで褐色の肌をした大人の女性だ。
それを確認したゲンも姿を人へと戻るとその横に並び軽く声を掛けた。
「まずは近くに虎人の町がある。そこでちょっと話をしようかの。」
「分かりました。」
そう言って3人は飛び上ると町へと向かって行った。
しかし、記憶喪失の彼女も最初は危なそうに飛んでいたがすぐに何かを思い出したように安定して飛び始める。
これなら記憶が戻る日も近いかもしれない。
そして3人はユウの所まで戻ると平然と顔を向け合い事情を話した。
これがユウとリリが甘い時間を過ごしていた間に起きた、二人の苦い記憶である。
「そうですか。殴ったら戻るんじゃないですか?」
俺としては記憶を失くしたからと言って許すつもりは無い。
記憶がないから罪が消えると言うなら、それは子供でも通用しない理論だ。
しかし、何も思い出せないというのは名前も分からない。
仕方なくコイツの事は二人に見張ってもらって町に下りてもらう事にした。
リリもコイツと何かを話していたので名前を知っているかもしれない。
「それじゃ、ゲンさん、サツキさん頼みましたよ。」
「任せておけ。」
「他の娘達と合流したらすぐに戻って来てね。」
そうは言ってもクオーツはかなり近い所まで来ている。
数分以内には戻って来れるだろう。
そして、思っていた通り俺がみんなと合流後、町に到着したのは二人と別れて7分ほど経ってからだった。
その程度の時間では症状に変化はなく、リリも指示を出し終えて丁度戻ってきたところだ。
しかし、やはり匂いで分かるのかリリの顔には警戒が宿り俺の背中に隠れている。
その様子を見てリアとワカバから何故か鋭い視線を向けられるが何も思い当たる節はない。
そして事情を説明したところリリはコイツが何者なのかを教えてくれた。
「コイツは龍王の長女で名をシータって言ってた。」
「何でここに来たか聞いたか?」
「龍王が怪我をしたのは私達の責任だって言ってて、何故かユウにも恨みがあるみたいなこと言ってた。龍王が弱ってるのはユウが何かしたからだって。だから獣人を皆殺しにした次はユウの所に行って殺すって言ってた。」
どうやら龍王かリバイアサンが誤解を招く様な事を吹聴したようだ。
あの時は俺と家族と世界樹を守るために龍王の力を吸いつくしたが一番の原因はその後にリバイアサンが滅多打ちにした事だ。
そう考えると言い触らしたのは龍王の可能性が高い。
(アイツは大陸内で自分の子供が暴れ周ているのを知らないのか?)
しかし、ライラの年齢ですら100を超えている。
その兄や姉が幼い子供であるはずはない。
現にライラは世間知らずではあったが常識をある程度知る立派な人格をしていた。
出会った時に養ってくれと言わなければもっと早くに気付けただろう。
「待って下さい。私がそんな非道な事をするためにここに来たと本当に言ったのですか?」
「私は嘘なんてついてない。それに私の知るドラゴンはその殆どが自分達の事しか考えてない。さっきもユウが助けてくれないときっと死んでた。」
リリは目に涙を浮かべると俺の腕を強く抱き締めて来る。
それにリリが言っている事も正しいだろう。
マップで映ったシータの反応は既に赤く表示されていた。
あれは俺かその身内に敵意がある事を示している。
リリはライラの事を知らないので嘘はつけないしコイツがブレスを町に放ったのも事実だ。
あれを冗談でしたと言うには威力があり過ぎた。
リリとしても自分の命と仲間の命の両方が危険に晒されたのだ。
今までの横暴な振る舞いもあり簡単に許す事は出来ないだろう。
「ありがとうリリ。ここは俺が話を付けておくからホロと一緒に虎人の解放を頼む。準備は出来てるか?」
「う、うん。ユウがそう言うならそうする。すぐに戻って来るからね。」
そう言ってリリはホロを連れて被害者たちの許へと向かって行った。
しかし、話を付けておくと言ってもどうすれば良いか悩むところだ。
ただ言える事はシータをここには置いてはおけないだろう。
コイツはここを滅ぼそうとした実行犯として虎人とリリ達から恨まれ恐れられている。
殺される程の弱い存在ではないが良い結果にはならないだろう。
そして話によればフェニックスのグレンの所とマウンテン・タートルであるタクトの所もダメだ。
あちらの両方も過去にだが被害を受けている。
連れて行けば俺達の頼みだから聞いてくれそうだが、それは無理をしての事になるだろう。
こんな事で負担を掛けさせたくはないし獣人たちの事も考慮すれば頼まないのが一番だ。
そうなるとこの大陸でコイツが受け入れられる可能性があるのは一つだけだ。
それはヒイラギ達のいる東のエリアだろう。
あそこはリバイアサンの縄張りだが管理はドラドがしていると言っていた。
そのため目立った被害は無いらしいのであそこなら何とか受け入れてくれるかもしれない。
他の種族も俺達が言ってておけば、それくらいは目溢しをしてくれるだろう。
しかし、それも本人がどうするかにもよる。
この状態で再び仲間の元に戻りたいのならこちらとしては楽が出来るのだが。
「それで、お前はこれからどうするんだ。記憶を失ったまま仲間の許に戻るか?」
「私は・・・今は帰りたくありません。私の中の何かが今戻るのは危険だと言っています。」
確かに人と龍の間に生まれたライラを排除しようとする奴らだ。
負けて帰って来た者を優しく出迎えるとはとても思えない。
シータは記憶がないなりにそれを感覚で分かっているようだ。
つくづく腐った奴らだと反吐が出る。
家族とはもっと暖かくて互いに助け合うものだろう。
物語によっては弱い者同士の馴れ合いと言う者もいるが俺は馴れ合いでも大いに結構な事だと思う。
人は一人で生きるに非ず。
完璧な存在でない人間が生きて行くなら互いに心を支え合える存在が必要だ。
俺はそれを互いに理解してくれる家族に求めても良いと考えている。
だから逆に助けを求める家族を突き放すのは家族と呼んではいけない。
それは最も近しい他人である。
「なら着いて来い。もしかしたらお前を受け入れてくれる所があるかもしれない。」
「本当ですか?」
「でも絶対じゃあないからな。ダメな時は以前までの自分の行いが悪かったと思って仲間の所に帰れ。」
少し厳しい様だがこれも自業自得だ。
俺にはコイツを助ける義理も無ければそんな気もない。
連れて行くのもここに置いて去った場合、リリ達が困る事になるからだ。
そして、しばらく待っていると解放に向かったホロとリリが戻って来た。
もっと時間が掛かるかと思っていたがこれ程の時間で戻って来たと言う事はホロの力はそれだけ強力なのだろう。
もしこれであの獣王がスキルを進化させてしまっていたらと考えるとゾっとする。
恐らくはこの大陸の半分以上は奴に支配されえていただろう。
下手をしたらドラゴンにも喧嘩を売って他の霊獣や獣人たちが滅びる可能性もあった。
現に俺達が止めなければそうなっていてもおかしくはない状況になっていた。
まあ、過ぎた事を考えても仕方ないのでこれからの事を考えるのが一番だ。
「それじゃあ早速で悪いけど帰るか。」
「もう行ってしまうの?」
「ああ、もう少しで夜だがコイツも居るからな。」
「そう・・・。」
そして俺は今のままでは迷惑になると考えて皆にも声を掛ける。
虎人の場合、今までと違って人数の規模も桁が2つほど違う。
これからやる事も多いだろうし俺達がここに居ては気を使わせてしまう。
それに4000人をこの短時間で解放できると言う事はその逆も可能だと気付かれては虎人達がどんな行動に出るか分からない。
それでなくても俺達はシータという爆弾を抱えているので長居をしない方が良いだろう。
ワカバには経験をさせると言う事だったが遠くからでもドラゴンの脅威を感じられただけでも十分な収穫のはずだ。
「普通なら一泊させてもらう予定だったが迷惑は掛けたくないからな。」
「う~仕方ないです。あの・・・また会えますか?」
するとリリは期待の籠った目でこちらを見詰めて来るがその期待には応えられない。
ドラゴンの生息地であるこちらの大陸には余程の事が無い限りは来ないつもりだからだ。
それにホロの事もあるので互いの為にも接触は避けた方が良いだろう。
リリまで洗脳されたと噂が立てばここに彼女の居場所が無くなってしまうかもしれない。
そう考えて結論だけを口にして俺に懐きかけているリリをあえて遠ざけておく事にした。
「もうこの大陸には来ないかもしれない。だから今は仲間を大事にしてやれ。」
「そんな・・・。でも分かった。それとさよならは言わないから。」
「そうか。」
リリは目に涙を浮かべて決意を固めた顔になり、俺を見詰めて来る。
後ろでは素早く帰路の準備が進んでおり、ワカバとリアの動きが何時になく素早い様だ。
「ユウ、早く行きましょ。」
「そうですよ。早く帰ってお母様に相談しないと。」
そして何故か二人が急かして来るので俺は最後にリリの頭を軽く撫でてから声を掛けた。
「それじゃあな。」
「あ・・・。また・・・会いた・・会いましょう。」
(ん?言い間違いか?)
俺は泣いているリリを残してみんなの所に戻るとそのまま飛び去った。
リリは最後まで俺達を見送ってくれている様で小さくだがずっと手を振ってくれていた。
「リバ様はまだこの大陸に残ってるはず。あの人ならユウが何処に住んでるか知ってる・・・。来ないなら会いに行けばいい。」
リリは決意を固めると再び仲間の許へと戻って行った。
しかしこの決意が彼女を無謀で危険な行動へと駆り立てる事になる。




