156 逃亡
時間は少しさ遡りここはロシアのとある道路上。
そこに一台の車が東へと向かい、かなりのスピードで走っていた。
車内に乗っているのは先日ユウをこの国に連れて来たダニールとその妻のマイヤに娘のアリーナである。
彼らはこの国から脱出するために急いで東の港町へと向かっていた。
現在国内では飛行機による飛行が禁止され、空からの脱出は出来ない。
更に鉄道は軍が厳しいチェックを行っており国境も同様である。
感染者を国外に出さない為という名目で現在この国では軍による厳しい統制が行われていた。
「あなた大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。もうじき港に到着する。そうすれば手配してある漁船に乗って国を脱出できる。」
この国は今回の事件を完全に隠蔽するために国内で発生したバンパイアを皆殺しにする決定を下している。
それはこの車に乗っている軍用無線から得た情報であり信憑性も高い。
その為ダニールはあれから何日も一睡もせずに運転し続けている。
「あなた、もしもの時は私達を見捨てれば・・・。」
「ダメだ!そんな事をするくらいなら俺は戦う。お前達を見捨てる事は絶対にしない。」
ダニールはもう何度目か分からない問答をしながら目的の町に到着を果たした。
そして予約しておいた船に行くとガラの悪い男が数人、船の上でこちらを見下ろしている。
するとその中の一人が前に出てこちらに手を伸ばしてきた。。
「金は先払いだ。お前も訳アリなら分かるだろ。それにあんたのその目は軍人だな。それが逃げるって事はあれだろう。」
その男は詳しくは言わないが現状を知り、こちらの事情まで把握している様だ。
ダニールは無言で約束の金の倍払い船に乗り込んでいく。
「へッ、分かってるじゃねえか。世渡りは上手いみたいだな。こっちへ来な。」
そして男に連れられ3人は船の奥へと進んで行った。
船内に入るとそこにはいくつもの箱が置かれ、その内の三つの蓋が開けられているのが目に入った。
男は首をしゃくると「入れ」と命令をする。
「それぞれ一つに一人だ。到着まで2日はかかる。準備ができ次第出発するからな。」
ダニールたちは指示に従うしかなく深く考える時間のないままに箱に入って行く。
そしてしばらくするとエンジン音が鳴り響き船は港を出て行った。
ここはエンジンルームの近くなのか匂いがキツく、音もうるさい。
周りの様子が分からずダニールは暗闇と言う環境とこれまで溜まった疲労のためにうとうととし始めた。
しかし、そんな時だからこそ。
その極限状態で彼のスキルが花開く時が来た。
(何か嫌な予感がする。)
この時ダニールは直感を習得し、更に危険察知も同時に習得した。
それに続くように精神耐性と集中を習得し完全に眠気が吹き飛んだ。
そして、探知を使い周囲を確認すると驚くべきことに気が付いた。
「な、いつの間に俺の上にだけこんなに荷物が詰まれているんだ!」
ダニールの箱は天井付近まで荷物で蓋をされており、通常の手段では開ける事が不可能にされていた。
それに比べマイヤとアリーナの箱の上には荷物は置かれておらず簡単に開けれるようになっている。
ダニールは今の状況に焦りを感じるがスキルのおかげで即座に冷静さを取り戻す。
すると探知に反応があり部屋の外から大勢の男たちがやって来るのが分かる。
先程までは何も聞こえなかったダニールは集中のおかげでなんとか声を聞き取ることが出来た。
「船長も酷いことするぜ。あれきっとあの男の家族だろ。」
「ハッ、そんなこと気にしてたらこの船でやって行けねーぞ。それに娘の方は確実に初物だろうな。まずは船長からってルールを無視しても俺が味わいたいぜ。」
「そんな事したら明日にはロープに括られて鮫の餌にされるぞ。」
その瞬間、ダニールは憤怒の表情で銃を抜いた。
その怒りはスキルの効果を上回り殺意が心を満たしていく。
「俺の家族を傷つけると言うなら皆殺しにしてやる。」
しかし、ダニールは手に持つ銃と相手の人数を見て顔を歪めた。
あちらは10人はおり、残っている銃弾は6発。
しかも自分と相手の間には太い木の板がある。
一発で殺せる可能性が低く、もしそうするなら確実に頭を狙う必要があった。
そして男たちが部屋に入って来るのを感じダニールは銃を構える。
男達はマイヤとアリーナの入る箱を囲み壊すように開け始めた。
どうやら強度もあちらの方が脆い素材を使っていたようで簡単に開けられている。
そして彼女達が普通の女性なら突然の事に足がすくみ恐怖に暴れる事も出来ないだろう。
しかし、彼女たちは既に普通の人間ですらない。
そのため、ダニールは今にも唇をかみ切りそうな程に歯を食いしばりチャンスの瞬間を待った。
これは軍で受けた訓練の賜物か、それとも家族への信頼の証か。
そしてとうとうその瞬間が訪れた。
「へへへ、さあこっちに来い。」
「きゃーーー!」
「いや!離して!」
そしてその声が聞こえた瞬間にダニールは二人を掴む男に引き金を引き弾を打ち出した。
「ガアッ!」
「いってーーー!」
すると叫び声が上がるがその声からして一撃で殺す事は出来なかったようだ。
しかし、命中と同時に二人から意識が逸れ、同時に蹂躙が開始された。
「ぎゃああーーー!なんだこいつら!」
「に、人間じゃあねえ!」
「う、撃て。こんなのまともに相手にできるか!」
「だ、誰か助けてく・・・。」
ダニールは牽制に残り4発の銃弾を放ち家族を信じて静かに待ち続ける。
そして少しすると悲鳴は止まり、ダニールの上の箱が退かされ蓋が開けられた。
しかし、それを覗き込んだマイヤとアリーナの顔が悲しみに染まる。
箱の側面にはダニールが銃で打ち抜いた穴とそれ以外にも複数の穴が開いていた。
先程の船員に銃を乱射している者がいたのでその弾が命中したのだろう。
しかも、その内の一発がダニールの胸に命中してしまったようだ。
心臓ではないにしろ肺を撃ち抜かれている為、呼吸と共に血を吐き出している。
それに彼女たちには医療の知識が無くかなりの重傷なため魔法での回復にも時間がかかる。
それでもと二人は急いで白魔法で回復に当たった。
「あなた、頑張って!」
「お父様死なないで!やっとここまで来たのに・・・。」
1人で無理なら2人でと言う事でマイヤとアリーナによる必死の治療が行われる。
しかし、先程の騒動を聞きつけた者たちがこちらへと向かって来ているようだ。
このままではどちらかが迎撃に向かわなければならないだろう。
しかし、そうなるとダニールは出血多量で死んでしまうかもしれない。
そんな彼女らの思考をうるさいエンジン音が掻き乱し焦りのみが募っていく。
するとダニールは薄眼を開けてマイヤに声を掛けた。
「マイヤ・・・。」
「何、アナタ?」
「俺の・・血を吸え・・・。みんな・・が・生き残る・・には、それしか・・・ない。」
この状況の中でダニールはただ一人、冷静に状況を分析し答えを導き出した。
しかし、これは以前から彼も考えていた事でもある。
今後も魔物になった二人は老いる事なく長い時間を生き続けるだろう。
そんな中で自分は次第に老いて家族を残して死んでいく事になる。
それは奇しくもユウが抱える悩みと同じものだった。
ダニールはこのピンチを決意に変えてマイヤに自分の思いを伝える。
「俺も・・・お前達と・・同じ時・・を・生き・・たいんだ。」
「あなた・・・、分かったわ!」
その瞬間マイヤの決意が固まった。
彼女は牙を剥くとダニールに口付けをし、その口を移動させその首に噛みついた。
するとダニールは痛みに顔を歪めるどころか、満足そうな表情でそれを受け入れる。
そして自分の中で何かが作り変えられているのを感じるが心配させまいと顔には出さない。
しかし、死の間際でも生を諦めなかった彼のスキルが急激に成長していく。
そのスキルは精神耐性であり外部、内部を問わず自己の精神を守り、正常に保つスキルである。
それが急激に成長したダニールは精神は人のままに、バンパイアへと変異していく。
その事を知らない二人は心配そうにダニールを見詰め、成り行きを見守っている。
そして完全にバンパイアへと変わったダニールは突然目を開けて立ち上がった。
「あ、あなた・・・?」
マイヤは娘を庇いながらダニールに声を掛ける。
それに対しダニールは優しく笑いかけ箱から出るとそのまま外へと走って行った。
「俺の家族は俺が守る!」
その言葉を聞き二人は涙を流して互いに抱き合い喜びに震えた。
今のダニールは上級バンパイアであるマイヤの手によって変えられたために中級バンパイアとなっている。
そのためスキルの成長が間に合い人の心を失わずに済んだとても珍しい例だ。
そして、その驚異的な再生能力と力で船内を蹂躙し、最後に船長の前に立った。
「こ、この化け物め!」
そんな罵倒を船長はダニールに浴びせるが、彼からすれば家族を害し悲しませようとしたこの男は害獣にしか見えない。
そのため、ダニールは爪を伸ばすと容赦なく船長を切り裂き、死んだのを確認し海へと投げ捨てた。
ダニールは周囲を見回しその惨状を目にするが心に曇りは無い。
今までこんなに落ち着いた事が無いと言えるほどに心は穏やかだった。
周囲から血の匂いはするが衝動も全く感じない。
奇しくもダニールは安全にバンパイア化する術を偶然にも発見した。
そしてダニールは船室に戻るとそこで待つ二人の家族を優しく抱きしめた。
気持ちは落ち着いているがその目からは自然と涙が溢れ出して来る。
「マイヤ、アリーナ。無事で良かった。」
「それはこっちのセリフよ。でもこれでまた夫婦一緒ね。」
「お父様ありがとう。とても格好良かった。」
その後、彼らは進路を日本に変更し進んで行った。
しかし、ここで一つの誤算が生まれる。
船員の一人が自分達の行いを棚に上げ、命欲しさにSOSを発信していたのだ。
その為、彼らは次の日には軍に追われる事になってしまう。
そして後方から迫る軍艦にダニールは焦りを浮かべエンジンが悲鳴を上げるのも気にせずに吹かし続けた。
逃げていても既に相手の射程には余裕で入っているためいつ攻撃を受けるか分からない。
今はこの船に人間は一人も乗っておらず、自分達はバンパイアだ。
そのため、あの船に乗る者は誰も助けてはくれないだろう。
そしてダニールすら諦めかけた時、窓の外から声を掛けられた。
「久しぶりだなダニール。」
「ユウ!何でお前がここにいるんだ?」
「そんな事はどうでもいい。もしお前が助かりたいなら日本にはお前達を受け入れる準備がある。ただ、こちらの条件を聞くならだ。」
ダニールはユウの顔を鋭い目で見ると一瞬悩むが直感が従えと叫んでいる。
彼はそれに従い頷きを返した。
「分かった。ただ俺だけじゃなく家族の安全も保障してくれるんだろうな。」
「当たり前だ。家族は大事にしないとな。」
そして返事を聞くとユウは船から少し離れた海面に声を掛けた。
「やっても良いぞ。でも、沈めない様にな。」
それと同時に巨大な生物が動きだし、後方の軍艦に向かって行った。
そして少しすると船の後方で水柱が上がり速度が次第に減速し始める。
どうやらスクリューを破損させたようだがここはまだロシア領である。
相手は遠慮する事なく砲撃を開始し、すぐ横では水柱があがった。
一撃でもくらえばこんな船では木っ端微塵にされてしまうだろう。
しかも、最先端の制御装置はこちらを的確に狙撃してくる。
風があり波が味方してくれるので今のところ命中していないがこのままでは時間の問題だ。
もしミサイルが発射されればこの船に防ぐ手段はない。
すると再びユウがダニールに近寄り声を掛けた。
「お前は気にせずそのまま進め。後方は俺が守ってやる。」
「信じているぞ。」
「その調子だ。」
その言葉の通り、直撃コースだった砲弾はユウによって切り裂かれコースを外れて行く。
そして更に後方で水柱が上がりしばらくすると攻撃は飛んでこなくなる。
するとユウが船上に降り立ったのでダニールは彼の許へと向かって行った。
「助けてくれて感謝する。」
「いや、こちらにも事情があるからな。それよりも、もうじき日本の領海だ。しっかり操船しろよ。今年は流氷も多いらしいからな。」
「分かった。良ければマイヤ達にも会ってやってくれ。」
そう言ってダニールは再び船室へと戻って行った。
するとそれと同時にマイヤとアリーナが船内から顔を出してこちらへとやって来る。
「ユウさんありがとう!本当に来てくれたんだね!」
「お前らはヘザーの血で進化してるからな。まあ、従妹みたいなもんだ。それにマイヤにあれだけ呼ばれると来るしかないだろ。」
ユウは抱き付いてきたアリーナを軽く剥がしながら来た理由を告げる。
アリーナはそれに不満顔だがユウがすぐに頭を撫でてくれたためその表情を笑顔に変えた。
それを見てマイヤは朗らかに笑いを零す。
まるで先ほどのピンチが嘘の様な和やか空間である。
ちなみにマイヤは眷族としてユウと繋がっているので、言葉をやり取り出来る程ではないが助けを呼ぶ程度は出来る。
そしてマイヤは軍艦に発見された時から必死に助けを求めた。
主であるユウに届くとは知らなかったが願えば誰かに届くという漠然とした思いに駆られての行動である。
そしてこのタイミングに来れたのもユウが北海道のダンジョンに対処していたからだ。
もし、これが地元からなら間に合わなかったかもしれない。
そして日本が彼らを受け入れるのには大きな理由がある。
それは彼らが寒さに耐性があるからだ。
現在対処中のダンジョンは寒冷地にあるため、しっかりとした準備をしなければ自衛隊も派遣できない。
その為、今回の冬は誰かが間引きをしなければならないのだが、その人員として彼らに白羽の矢が立ったのだ。
そして、自分の願いを聞き届けてくれた主にマイヤは深々と頭を下げる。
どうやら日本風に合わせてくれるようだが抱擁でお礼を表現されたらダニールから睨まれてしまうからだろう。
「ユウ様、この度はありがとうございました。」
「気にしなくても良い。ダニールにも言ったがこちらにも理由がある。それをお前らがクリアしてくれれば問題はない。」
するとその時、船の横に竜の姿のヴェリルが顔を出した。
そして流氷が増えて来たためか、船の前に移動し護る様に進み始める。
すると流氷は避ける様に道を開くが船が通り過ぎると道は塞がって行った。
海が割れるほどではないがまるでモーゼの十戒のワンシーンの様だ。
リバイアサンなら本当に海を割りそうだが、あちらはこちらとは格が違うので比較はしない方が良いだろう。
そしてしばらく進むと陸が次第に見え始め彼らは下船していった。
すると船が勝手に沖に向かい始め少し離れると同時にユウも空に飛びあがる。
そして今回は周りへの被害は最小限にしたオール・エナジー・ブレスで船を完全に消し去った。
証拠を残しておくと後で問題になる可能性があるからだ。
少なくともユウは逃亡幇助をしており、ヴェリルは相手の軍艦を破損させている。
流氷と海水が少し魔素に変換されたがこれでそう簡単にはバレることはない。
今回は事前にオリジンにも許可を取ってあるのでこれ位は平気である。
そしてその後は車で移動しダンジョンの前で全員と合流するのだった。




