141 眷族
ヘザーは俺の傍に来ると腕を切って血を流した。
そしてそれをアリーナの口に流し込み様子を窺う。
「俺の血でも良かったんじゃないか?」
「ユウの血だとこの子、一滴飲んだだけで破裂しちゃうわよ。安全に中級にするなら私みたいな上級以上のバンパイアの血を飲むのが一番なのよ。」
俺は早まって自分の血を飲ませなかったことに胸の中だけでホッとする。
すると俺の手の中でアリーナに変化が現れた。
「グ、ゲ・・ゴガ・・・ギャアアアアーーーー。」
アリーナは急に叫び始めると手足を滅茶苦茶に動かし始める。
その動きはまるで関節を無視している程に動き、俺の耳にも骨が折れ関節が砕ける音が聞こえて来た。
「失敗か!?」
「いいえ、変化が始まってるのよ。この子は小さいから体も急激に成長してるの。これに耐えられたら中級に上がるはずよ。」
そしてしばらくするとアリーナは動かなくなった。
しかし、その姿は先程までと違い身長が30センチは伸び、着ていた服が体に張り付く程に成長している。
その顔も先ほどまでの幼い子供から少女と呼べるほどに変化していた。
すると彼女は瞼を開けると目だけで周囲を見回した。
「あれ、あなた達は誰ですか?」
どうやら中級への進化は無事に完了したようだ。
目には先ほどまで無かった理性が宿り落ち着きも感じられる。
しかし、周囲に漂う血の匂いに反応したのか再び牙が突き出し匂いの元を無意識に探している様だ。
するとアリーナは自ら口を押えて歯を食いしばった。
「う・・ううう・・。」
どうやら吸血衝動と理性が鬩ぎ合っている様だ。
苦しそうだが中級でこれなら見込みがあるかもしれない。
するとヘザーは今度は何かの瓶を2つ取り出して蓋を開けた。
それには赤い液体が入っており、どうやらメガロドンと大蛇の血のようだ。
「これを飲みなさい。」
するとアリーナは首を横に振り必死に飲むことを否定する。
しかし、次第に衝動が理性を上回り始め目の色が赤く変わっていく。
そしてその手は次第に緩み、求める様にヘザーの持つ瓶に伸ばされた。
そして二つの瓶を掴むと恍惚とした表情で口に流し込み、嬉しそうに喉の奥へと導いて行く。
するとその直後に再び大きな変化が生まれる。
急激な成長が始まり体からは筋肉が切れるような音と骨が折れる様な音が聞こえて来た。
そして俺は彼女から手を離すと剣を手にして結果を見守った。
これで、もし正気を失い襲い掛かって来るなら容赦なく切り殺す必要がある。
アリーナは体中を雪と泥で汚しながら成長と進化の激痛に苦しみ、人間ではありえない動きで暴れ回っている。
まるでいつか見たホラー映画みたいな光景だが、それも時間と共に収まりを見せ始める。
そして落ち着いた所を見計らい、俺は気絶しているアリーナに触れて覚醒を促した。
「起きろアリーナ。」
魔石になっていない時点で生きているのは確定しているので後は理性があるかどうかだ。
するとアリーナに反応があり、ゆっくりと目を開け静かに黒い空を見詰めている。
しかしその目は最初に見た時の赤ではなく、ヘザーと同じ黒に変わっているようだ。
そして意識をはっきりさせると体を起こし周囲を見渡した。
その顔立ちは先ほど見た母親に似ておりタレ目の穏やかな顔つきをしている。
すると父親であるダニールに気が付き穏やかな笑顔を浮かべた。
「お父様お帰りなさい。なんだかすごく怖い夢を見てたみたいです。あの皆さんは誰ですか?」
何故か会った時と明らかに口調は変わっているが記憶はしっかりあるようだ。
体は完全に大人に変わり、服を破り大きな胸が突き出している。
するとヘザーが再び血入りの瓶を持って彼女に近づいた。
「あの、美味しそうですけど下げてもらっても良いですか?」
「要らないの?」
「今はそんな物よりもお母様のボルシチが食べたいです。」
どうやら理性が吸血衝動を上回っている様でヘザーが差し出した血を手で押し退けて飲もうとはしない。
これなら問題なく普通の生活が出来るだろう。
するとヘザーは毛布を取り出すと彼女にかけて抱きしめた。
「良かったわね。変わってしまったところは沢山あるけどそれは後で教えてあげるわ。」
「・・・はい。アナタの血が色々と教えてくれました。もう私は人間では無いのですね。」
「そうだけど大事なのは心でしょ。さっきの血を断った時の気持ちを忘れなければアナタは人間よ。」
「はい。」
そう言って互いに離れるとアリーナはダニールに視線を移した。
すると俺達の中で最も心配をしていたダニールがアリーナに駆け寄り力強く抱きしめ目からは涙を流している。
それに対しアリーナも父親を優しく抱きしめ返すと苦笑を浮かべた。
力加減を間違えると確実に殺してしまうのでしばらくは体の性能に慣れる訓練も必要だろう。
「お父様、そんなに涙を流すと目が凍ってしまいますよ。」
「そんな事はどうでも良い。それに娘の無事を喜ばない父親が何処に居るんだ!」
「・・・ありがとうございます。まだ私を娘と思っていてくれて。」
「お前が何になったとしても一生俺の娘である事に変わりはない!もし周りが魔物だと言って石を投げるなら、俺が剣と盾になってお前を守ってやる。」
「はい。私はお父様の娘に生まれて幸せです。でも、問題はまだ解決していません。」
アリーナはそう言って自分の家に視線を向けた。
その先にはもう一人家族が残っており、皿の血を飲み終えて獲物を探して動き出している。。
その為、俺は中に入り今度は母親のマイヤを捕まえて連れて来た。
俺達はアリーナ同様にヘザーの血を飲ませ進化を促し様子を見る。
そして意識を取り戻したマイヤは周囲を見回しダニールの手で視線を止めた。
「血・・・血を頂戴!お願いよアナタ。喉が乾いて仕方ないの!」
どうやらマイヤにはアリーナほどの理性がない様だ。
ライラの鑑定で中級になっている事は確認が出来ているがこのままでは上級になっても望みはないかもしれない。
しかし、試す価値は低いがやってみなければわからない。
ヘザーは同じように2種類の血入りの瓶を渡しマイヤに飲ませた。
すると先ほどと同じように激しく苦しみ始め地面で暴れ始めた。
アリーナと違い体の成長は無いが代わりに両手で頭を抱えると激しく地面に打ち付けている。
しかし、持ち前の再生能力で傷はすぐに修復され次第に動きが落ち着いてくるとあるところでピタリと動かなくなる。
そしてゆっくりと立ち上がると俺達に顔を向けた。
だがその目はアリーナと違い魔物と同じ赤い光を放っているのでマイヤの理性は消えてしまった様だ。
彼女は俺達を見ると牙を伸ばし潰れた様な声を上げながら襲い掛かって来た。
「血!血を寄こせーーー!」
しかし俺は即座に剣を振りその四肢を切り離して首を掴んだ。
いくら再生能力に優れたバンパイアでも元がなければ再生は難しい。
欠損した部分を合わせればすぐに引っ付くがこれでしばらくは身動きは取れないだろう。
「ダニール。」
「・・・分かっている。」
そして俺が心臓に突きを放とうとした時に後ろからアリーナが叫んだ。
「お母様を、ママを助けて。お願い・・・お願いします。」
その瞬間、俺はもう一人意見を聞くべき者が居る事を思い出した。
それに言葉こそ違うがその声は両親が死ぬ前に心の中で何度も叫んだものと同じだ。
あの時は誰も答えてはくれず、誰も助けてくれなかったが今の俺にこの声を無視する事は出来そうにない。
「オリジンは何か良い手は無いか?」
「そうね。殺す前にあなたの血を試してみたら。」
そう言われて俺は「それもそうだな」と軽い気持ちで試す事にした。
どうせ殺すなら最後の手段として試しても良いだろう。
それに刺されて死んでも破裂して死んでも結果は一緒だ。
そして俺は指を噛んで血を流すと一滴だけマイヤの口に入れた。
「血、血ち血血チ血血ち血チ血・・・ギャアアアアーーーー」
すると俺の血を飲んだマイヤは壊れたレコーダーの様に言葉を繰り返し絶叫を上げた。
その苦しみ方は今までの比ではなく体全体がまるで別の生き物の様に蠢いている。
『ユウさん、このままでは爆散します。』
(どうにかなるか?)
『やってみます。』
『フェイト・チェンジ発動・・・失敗しました。』
『フェイト・チェンジのレベルが2に上昇しました。』
『絆が足りません。』
『スキル検索。・・・・・・発見。』
『スキルポイントを使い眷属を習得しました。』
『スキルポイントを使い眷属のレベルを10に上昇させます。』
『眷族を発動し、この者を強制的に眷属にします。・・・成功しました。』
『再度フェイト・チェンジ発動・・・成功しました。』
『フェイト・チェンジのレベルが3に上昇しました。』
『スキルを通して眷属に水の精霊力を注入。』
『眷族の意識をサルベージします。・・・成功しました。』
『精神、肉体、共に安定。』
『ユウさん、肉体を接合してください。』
俺はスピカに言われるままに手足を傷に合わせて繋いでいく。
すると傷は塞がり、先ほどまで蠢いていた体も落ち着きを取り戻し始める。
そして俺は再びマイヤを地面に寝かせると様子を窺った。
もし再び同じような事があればダニールの意見を聞く事無く始末する。
アリーナには恨まれるが俺達には既に助ける手段はない。
そして少しするとマイヤは目を覚まし辺りを見回した。
その目はいまだに赤いが光りは放っておらず、理性を感じさせる。
「マイヤ・・・。」
そしてダニールは一歩一歩を確認するように、ゆっくりとマイヤに歩み寄って行く。
すると彼女は立ち上がると素早く駆け寄ってダニールを力強く抱きしめた。
そしてその目からは涙が流れ彼女の頬を濡らしながら落ちると、氷となって地面に転がった。
「ダニール!私怖かったの!アリーナを守ろうと必死に戦ったけどダメで。もう会えないと思ったわ。でもちゃんと助けに帰って来てくれたのね!」
「も、もちろんだ・・・たとえ数万キロの彼方からでも・・駆け付けると言っただろ。」
どうやら彼女の記憶は血を吸われた直後から消えてしまっているようだ
理性を失った状態で血だけを求めていたのでそれも仕方ないだろう。
しかし、二人にとってはそれが幸せかもしれない。
先程二人が飲んでいたのは明らかに誰かの血だ。
すなわち家の中か近くに血を搾り取られた者の死体が転がっている。
しかも既に死んでいた者を運んで来たとしても自分達で血を搾り取って皿に盛りつけたはずだ。
体はバンパイアでも今の心は人間なので知れば苦しむ事になるだろう。
しかしダニールは当然ながら心も体も人間だ。
その為、マイヤに抱き付かれた数秒後に聞こえてはいけない音が響き渡る。
『バキ!ベキ!ボキ!』
「がは・・・!」
「あら、あなたどうしたの、あなた?・・・ダニーーール!」
どうやらダニールはマイヤの抱擁に耐えられなかったようだ。
せっかくの感動の再会だというのに彼は白目を剥いて意識を失っている。
それに、このマイヤと言う人物はかなり天然が入っている様だ。
するとアリーナも涙を流しながら駆け寄ると力が増しているのを忘れ、ダニールを巻き込んでマイヤに抱き付いた。
『バキバキバキ!』
(あれ以上やるとダニールが死ぬな。)
「お母様。無事でよかった。」
「・・・え?」
しかし、マイヤの記憶の中のアリーナは幼い少女だ。
その為、娘を見ても誰だか分からないのだろう。
しかし、面影や言動から何か気付いたようだ。
「あなたは・・・もしかしてアリーナなの?」
「そうよお母様。私大きくなったけどアリーナよ。」
二人はダニールを挟んだまま感動の時を噛み締めている。
しかし、そんな中でダニールがとうとう吐血した。
「あ、あなたーーー!」
「お父様ーーー!」
本当に似た者親子だな。
それを見てライラはやれやれと治療に向かいアリシアは秘薬を取り出している。
そして急いで治療を行う事でダニールは一命を取り留めた。
「フー、ヴァルハラでヴァルキュリア達が手を振ってるのが見えたぜ。」
そう言って意識を取り戻したダニールは額を拭った。
まあ、あれだけ軽快に潰されれば仕方ないだろう。
死ななかったのが奇跡に思える。
しかし、死にかけてしまったがその顔には先ほどまでなかった余裕が見てとれた。
それでも彼にはあまり時間は残されていない。
この国では既にバンパイアが暴れ過ぎてしまったからだ。
この状況であの二人を庇って生活するのは不可能だろう。
それに彼にはやるべき事がある。
「ダニール。お前とはここから分かれて行動する。それとなるべく早くこの国を離れろ。」
ダニールは国の状況を日本のロシア大使館に報告する義務がある。
そうしなければ残してきたドナトがこの状況を公表してしまうからだ。
ゲンさんは知っているが今のところは俺達を信じて情報を流していないはず。
「分かっているさ。それと今回の事は本当に感謝する。」
「おじさん。」『ギロリ』
「ゆ、ユウさん、ありがとうございました。」
「ユウ様、この度はありがとうございます。」
ちなみにマイヤは俺の名前に様を付ける。
眷族になった事でそう呼ばないと落ち着かないのだというので仕方なく認めた。
しかし、彼女は眷族だが別に俺の傍に置こうと思ってそうした訳ではない。
完全な不可抗力なので眷属のまま自由に行動するように言ってある。
解放も出来るが何が起きるか分からないので一応そのままと言う事になった。
そして、それらの話はダニールが寝ている間にしたので彼は知らない。
知らない方が幸せな事もあるからだ。
もし必要になればマイヤが自分で話すだろう。
「それじゃあ、元気でな。道中気を付けろよ。」
(主にダニールを殺さない様に・・・。)
「はい。それではまた会いましょう。」
「またねユウさん。」
「再会を楽しみにしてるぞー。」
「ん?」
(何か別れの挨拶に聞こえないな。まあいいか。)
そして俺達は最後の目的地へと向かって行った。
そこには多くのバンパイアが集結している。
町ではほとんど見かけなかったがどうやらそこに集まっているらしい。
それにロシアでは一般人のレベルが低いか魔物を倒した事の無い者が殆どのようだ。
恐らく発生した魔物は軍隊が処理していたのだろう。
ディスニア王国に行った時も町を行く一般人のレベルが低かった事からここでも同じことが起きていたようだ。
あちらは冒険者で、こちらは軍隊という違いはあるが、これは少し考える必要がある。
今後の事を考えると一般人でもある程度は戦えないとここの様に被害の拡大が止められないかもしれない。
ただしそれは理想論なので実現は難しいが、それに向けて動く事で少しは改善される可能性もある。
そして、目的地に到着した俺達は車から下りて歩き出した。
ここが今回の事件の中心。
この中に数百人ものバンパイアが俺達の到着を待ち構えている。




