第四十四話 : 冬の嵐
『もしもし、わたし、メリーさん』
着信音に反応してスマホの画面をタップすれば、聞き慣れた少女の可愛らしい声。
『今度、スキーに連れてくの。ゲレンデに妖精が舞い降りるの』
おや、妖精とは。メリーさんは、自分のこと良く分かってるじゃないか。
『エッジを利かせたジャックナイフをお見せするの』
……うん? まて、それは、どう捉えたらいいんだ?
いや、お見舞いするじゃないから、スノボで突撃はしないのだろう。たぶん。
『また、電話するの』
がちゃ、つー、つー、つー。
今回はまた、急な話だな……。
つまりその、連絡取って集合しろってことな?
分かったよ。お任せあれ。
※※※
土曜。なぜか泊まりがけのスキー三昧に決まってしまい、宿泊施設も押さえる羽目になったが、まあ、いいだろう。
今日もまた、全員……メリーさん、桜井さん、雫嬢、双葉嬢、碓氷さん、朧と俺の、計七人……で集まることができた。
碓氷さんなんかは、結構無理に時間を作ったのではと思ったりしたが、本当に大丈夫だそうで、楽しそうにしていた。
全員、スキーウェアに着替えた後、朧を除くみんなは初心者コースから少しずつやっていくそうな。
運動神経が壊滅級の雫嬢だけでなく、双葉嬢や碓氷さんもほぼ初心者らしく、面倒見のいい桜井さんが指導役を買って出てくれた。
さっそく、桜井先生、とか、美咲先生、などと呼ばれて照れていたけれど、そんな姿もかわ……おっと、どうしたよ? メリーさん?
手袋でぽすぽすされても痛くはないが……。
そんなに膨れないでくれよ。どうしたんだい?
「ゲレンデに、妖精が、舞い降りたの!」
うんうん。スキーウェア姿もかわええよ。頭撫でてあげよう。
手袋を外してきれいな金髪を撫でてあげれば、猫みたいに目を細めて気持ち良さそうにしているメリーさん。
私も撫でてーとみんな寄ってきたので、順番に撫でていき、最後まで待った桜井さんは、頬も撫でて、「引率、よろしく頼むよ」と耳元で囁けば、湯気が出そうなくらい顔を真っ赤にしていた。
……いかん。やりすぎたか?
いいなぁ……。と呟いたのは、誰だったか。
俺は自由にしてていいというので、中級者コースから慣らしていこうかとリフト乗り場へ向かおうと目を離せば、後ろからチャラい男のやらしい声と、嫌がる女性の声が聞こえてくるわけで。
ヘイボーイズ。俺の可愛い子達になんの用だい?
……ことと次第によっちゃ……。
おや? どうしたのかね? ボーイズ? 話し合おうじゃないか。
ハハハ、尻尾巻いて逃げるってこんな感じだな。
……で、大丈夫かな?
「す、すみません……」
腕を掴まれて半泣きだった碓氷さんの頭をなでなで。
ゲレンデに来てさっそく絡まれたので、みんな不安そうだ。
仕方がないので、一緒に滑ることにしよう。と言えば、みんなほっとしていた。
おっと、どうした? メリーさん?
スキー板着けた状態で背中に飛び付いたら、危ないだろ?
……朧? あいつは、一人でスノボ乗りこなしてたぞ。
すげーよな。車がスノボへと変化したのを見たときは、さすがに驚いたよ。
でもそのおかげか、とても鮮やかな滑りだったな。
……上級者コースを滑り下りるのではなく、スノボで登っていくのは、どう考えてもおかしいと思うが、な。
※※※
今は、すぐに上達したメリーさんが初心者コースつまらないの。と仰せになったので、中級者コースでのんびりと滑っているところだ。
午後になり、日も傾き掛けて気温も下がってきた。
ナイターもやっているとのことだが、初心者が多い中では、夜は滑るよりも温泉入ったり部屋でくつろぐ方が良さそうだし、そろそろ切り上げようか? とみんなに声を掛けようとした時だった。
……不意に、ゾクリと寒気がした。
強い視線を感じ、急いで振り返る。その視線の先には、立ち入り禁止のロープで仕切られた木立。林、と呼べるほどには広く、深いだろうか。
その、林の中に、白色透明な、手足の付いた雪ダルマのようなナニかが居た。
ふわふわと、粉雪のように舞う姿は幻想的で、木漏れ日に照らされて芸術的な美しさも感じる。
……それと同時に、本能的な恐怖も。
今日はもうやめて、戻ろう。そう、みんなに声を掛けようとした、その瞬間。
透明な雪ダルマと、目が合った。そして、
『ヒーーーーーホーーーーーっ!!』
視界を真っ白に染めるほどの猛吹雪? まるで、雪の壁のようなナニかが突如発生し、悲鳴のような、歓声のような、強過ぎる風の音に耳をやられ、ダンプカーに轢かれたような衝撃と共に、意識もどこかへ吹き飛んでしまった。
※※※
※※
※
(…………もし)
(…………もしもし?)
(……もし、あなた様、聞こえておいででしょうか?)
……う? 声が聞こえる? 誰だ……?
(……もし? 聞こえておりますね? さあ、目を開けてくださいな)
優しげな女性の声に目を覚ますと、視界は水色。
日の光が雪や氷を透過したような、幻想的な美しい蒼。
……それは同時に、氷の棺に閉じ込められたかのような、恐ろしく寒々しい光景。
ふと、頭に違和感を感じて視線を上げれば、雪のような白に水色のグラデーションのかかった着物姿の、知らない女性に膝枕されていた。
(……どちらさま?)
まだ薄ぼんやりとした頭で、そんなことを思い浮かべれば、
『人間は、雪女と呼ぶ精霊の一種でございますよ』
との返事が。
(……雪女? 精霊?)
言われたことがよく理解できず、問い返せば、
『はい』
と、淑やかな微笑みと共に、艶やかに頷かれた。
それは、とても魅力的な笑顔。
まさに、人外の妖艶さに思えた。
(ここは?)
何も情報がなく、雪女を自称する着物姿の女性は、問わなければ何も言ってこない。
寒いし体は痛いが、仕方なく女性に問えば、
『私、雪柰の領域の中でございます』
との返事が。
(むしろ、疑問が増えたが……。まあいいや。雪柰さん、俺、帰りたいんだが)
『ここは、外界とは遮断されておりますゆえ、帰ることは叶いません』
(どうして?)
『あなた様は、今、突然の雪崩に一人巻き込まれ、命の危機に瀕しております。それゆえ、私がこちらにお招きし、延命を図っております』
(……なんと。いや、なら、雪崩に巻き込まれたのは俺一人なんだな)
延命と聞いてドキリとしたが、ある意味、ほっとした。
巻き添えは、さすがに要らない。
『あなた様、私とここで過ごすと誓いなされませ。さすれば、冬の精霊と成り永遠の刻を過ごせましょう。あなた様には、その素養がおありのようです』
(……ん、いや、悪いけどさ、そうもいかないんだ)
女性に向かって、そっと手を伸ばす。
硝子細工のように細く繊細な両手に優しく包まれた手は、凍り付くような冷たさと、わずかな暖かさという両極端な感覚を覚えた。
『あなた様、どうか、ここで悠久の刻を共に過ごすと宣言してくださいませ。さすれば、今まさに消えようとする命の火も、問題なくなりましょう』
(……ん、悪いけどさ、待ってる人が、待たせてる人たちがいるんだ。帰らなきゃ)
『わたくしと共に、春に融けるように去り、冬にまたここへ訪れましょう。待たせている方々も、長き刻を経てもなお、縁が繋がっていたのなら、その子や孫たちに逢えることもありましょう』
ふぅ、と、ため息一つ。
案じてくれているのはさすがに分かるが、同時に、完全に理解されてはいないということも分かった。
(……正直、身体中痛いし、耳鳴りが止まないし、寒いし、痛いところが妙に熱いしで、しんどいんだ。
それも、雪柰さんと共に在ると宣言すれば、精霊に成れば、解決するのかな?)
『えぇ、そうですとも。どうかお早く。このままでは、人の子のままでは、氷雪の妖精のイタズラで魂まで凍り付いてしまいます。あなた様、どうか、そのお命、この雪柰に預けてくださいませ』
(……ん、悪いけどさ、やっぱりそうもいかないよ。きみがとても心配してくれているってのはよく分かった。俺もたぶん、このままだと危険だということも)
『なればこそ、です!』
雪柰さんは、宝石のような涙をこぼしながらも、俺のことを死なせまいとしてくれているようだ。
……だけど、だけどさ。
…………ぶつっ。
スピーカーに、スイッチが入った時のような音がスマホから鳴り響き、
『もしもし、わたし、メリーさん』
(……ほら)
『今、お前の後ろを獲ったの』
(……悪いんだけど、待ってる人がいるからさ)
『絶対に、絶対に! 逃がしたりなんかしないのっ!! たとえそこが、地獄でも! 冥府でも! 魔界でも! 異界でも!どこであろうと、逃がさないの!! 絶対に!!』
(ほら、きみには悪いけどさ、泣かせたくない人たちがいるから)
『ええ、ええ、聞こえておりますとも。可愛らしい少女の、魂を震わせるほどの熱い叫びが。羨ましいお方。どうか、誇ってくださいまし。あなた様を想っている方々の、この、想いの強さを』
(そりゃどうも。日々感じているよ。だからさ、俺はそこに帰るんだよ。ごめんよ、泣かないでくれ。ありがとう。さよなら)
『ええ、さようなら。今度こちらへ来たときは、帰しませんからね?』
『だから、戻ってくるのっ!!』
※※※
※※
※
目を覚ませば、病院のベッドの上。
目を開けたと同時に、全身にヤバいくらいの痛みが走り、声も出せずに悶絶する。
(うぉぉ……。この痛みで死にそうだ……。だが)
しかし、痛みを覚えるということは、生きていることに他ならないわけで。
だからといって、指だけならまだしも、動こうとする度に激痛が走り、ナースコール探すのもできやしない。
そこでふと、ベッドに、腕を枕代わりにして眠る人が居ることに気付いた。
穏やかな気持ちで、その少女のきれいな金髪を撫でる。
その最中であれば、不思議と痛みは感じなかった。
やがて、少女が体を起こし、寝ぼけ眼をこすれば、見るまに大きな目を見開いて、
「目を、覚ましたのーーーっ!?」
飛び付いて、抱き付いた際の激痛で、声も出せずに意識をここではないどこかへ飛ばす羽目になった。
・俺 : 主人公。男性。
……備考 : 職業・総合商社の営業。優良物件。
ハーレム願望は無かったはず。もう自信無い。
帰りを待っている人が居る。こんなに嬉しいことは、他に知らない。
・メリーさん : 金髪碧眼の、少女の姿の……怪異?
……備考 : もうすっかりマダムの家の子。
ビックリして飛び付いたら、気絶して狼狽えた。
その後、珍しく桜井さんとマダムから、こっぴどく叱られた。
ごめんなさいしても、許してくれないの……。
・桜井 美咲 : 同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
あの人が急に視界から消えて、心臓が止まるような想いをした。
もう、こんな想いはしたくないから……。
・源本 雫 : 主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
ナニカの気配には、気付いていた。けれど、気のせいと思っていて、多いに後悔した。
この身を引き裂かれそうなほどの苦しみを味わい、同時に、それほど想っていることも自覚した。
・木ノ下 双葉 : 無口で無表情で無愛想な、現役女子高生。
……備考:父は総合商社の営業課長(やや天然)。母は専業主婦(天然)。
雫と一緒に、何も出来ない自分を恥じた。
失うことの恐怖と、それ以上の想いも自覚した。
・碓氷 幸恵 : 幸薄い誘導員。実家は歴史ある町工場。
……備考:誘導員は退職、工場の事務に専念。
泣くばかりで、何もできなかった。何かしたいと強く想い、みんなと相談中。
・朧 輪子 : 明るい笑顔を絶やさないタクシードライバーの女性。
……備考:先祖に人化した妖怪を持つ、先祖返り。
自身の能力なら、突如雪崩が発生した中でも、唯一救出できたはずだったが……。
突然の事態に、気がついた時は手遅れ。
何もできなかった自分を責めたが、『次』が無いようにみんなと相談中。
西のマダム : 高級住宅街に住む、セレブな女性。既婚者。
……備考:メリーさんを迎え入れ、たくさんの犬と旦那と一緒に過ごしている。
犬はたまに増える。犬じゃないのもたまに増える。
今回はさすがに、甘い顔をすることはできなかった。
可愛い子のために、心を鬼にして叱りました。
・ジャックフロスト : 雪ダルマに手足が生えたような、可愛らしい姿の氷雪の妖精。
……備考 : 冬の訪れと共に発生する妖精の一種。
可愛らしい外見とは裏腹に、恐ろしいほどの冷気を操り、戯れに人を凍死させる危険な存在。
雪や氷の美しさと、冬の厳しい寒さが形になった存在。
『ヒーホー』の掛け声は、強風の際に聞こえる、人の声にも思える高い音から。
某ゲームでは、非常に有名。
・雪女 : 着物姿の美しい女性。
……備考 : 雪に閉ざされる冬の日の夜、独身男性の家を訪ねてくる。
その男性と結ばれ、子を成し、春には子を置いてどこかへ去ってしまう。
しかし、次の冬にはまた男性のところへ戻ってくるという。
また、別の話では、吹雪の中に突如姿を見せる着物姿の女性。しかしこちらは、女性の元へと進む男性を、凍死させる恐ろしい存在。
それは、冬の厳しい寒さと雪が見せた幻か。子の事に触れるエピソードは、聞いたことがない。
その正体は、妖怪か、あるいは精霊の類いか。
※このエピソードは、青井 有希 さんの要請により、書き上げることが約束されました。




