第三十七話:ささやき声
朝のミーティング中に声をかけてきたのは、最近マスクを外さない彼女さんの関口さんと同居する物件をお探し中の、係長。
ウォーキングから始めて、既に何キロか痩せているらしく、以前より見た目からして少し細く見える。社内での評価も、少しずつ上向いていて、少なくとも陰口はぐっと減った。
……だが、ね。
「きみ、悪いが今日中の案件を抱えたものが急な病欠をしたのだよ。代わりに行ってきなさい。詳細はこちらに」
陰口は減ったのだが、利益に直結しない案件を、均等に振り分けて処理させている点は、その……。
「……ちっ、自分でやれよこのデブ……」
……はぁ、また。
舌打ちしたのは俺じゃなくて同僚。別に、仲の良いやつではないが。
というか、同じ部署の同僚に、仲の良いやつなどいないが。
いくら効率的とはいえ、他の営業の穴埋めを真面目に出勤しているやつに振るのは、どうなんだろ?
いやまあ、振られる仕事、分かりやすく纏まっているから、別にいいんだけどな。間違うことないくらい丁寧に纏まっているから。
……その仕事振り、もっと早く発揮してたら、昇進してたんじゃない?
それで、俺に振られたのは……。
……電車で二駅離れた小さな町工場。手作業で部品作らせると、ここらでは指折りの技術があるところだそうな。
……うん、どうあっても外せない案件だな。しかも、他の案件も納期がギリギリとか、取引先の予定が未定とか、出来るだけ急いで! と注釈付きとか。
で、俺に振られた案件の注釈は、
『営業が必ず現地で規格と数量を確認すること!』
だった。
……うーん、病欠した彼、ストレスで体調不良とかじゃなけりゃいいんだが。
※※※
普段通りの営業回りして、夕方電車に揺られて例の町工場に。
少ない従業員で何とかしているらしく、人が少ない割に工場自体は立派……や、外見からしてさびの目立つ年季の入った工場だった。
「こんにちは。夕方の忙しい時間にすみません」
事務所の方にひと声かければ、疲れたような、若い女性の声。
「お疲れさまです。すみません。こんな時間を指定してしまって……。申し訳、ありません……」
おっと、この女性は……。
気取られないように顔を確認。……やっぱり、以前工事現場で熱中症で倒れた誘導員の女性じゃないか。
……や、その、なかなか美人さんではあるんだが、幸薄そうで疲れきったような表情は、なんとも近寄りがたいものを感じるな。
それに、左肩に、出来の悪い小鬼モドキの人形? を乗せているとか、ナンセンスなんだが。
……その時、ちり、と、肌がひりつく感じ。
(……ちっ、こいつは……)
「……あれ? いつもの人と、違います……?」
「申し訳ない。担当は本日病欠でして。代わりに私が」
名刺を渡しながら、電話で別の相手とやり取りした事を彼女ともう一度。
……しかし、なんでそんなにほっとした顔をするんですかねぇ?
よもや、ヤツはこちらの女性になにか迷惑でも?
だとしても、面と向かって聞くことも、な。
作業服姿の女性と一緒に商品を確認して梱包したのち、工場の敷地内を猛スピードで突っ込んできた配送担当の軽ワゴンに任せて本日の業務は終了。
……安全運転しろや。
現地解散。お疲れさまです。
係長に電話報告すれば、直帰してよしとのこと。なら、遠慮はせんよ。
……と、その前に。
「失礼」
出来るだけ自然を装って、女性の左肩に乗っている、出来の悪い小鬼モドキを掴む。そして、
(滅殺!)
豆腐を掴むような感触で、躊躇なく握り潰した。そして、肩を軽く払ってやる。
その際、指が髪に触れてしまって、ビクッと震えていた。ああ、失敗。
「ああ、これは失礼。なにかゴミのようなものが付いているように見えたので」
「あ……それは、その……お恥ずかしい……」
「いえいえ、気のせいでしたので」
やめてください。顔を赤らめるとか、ほんとやめてください。
今でさえも持て余しているってのに。
さて、仕事も終わったし、夜も更けた。
帰ろうか。我がボロアパートへ。
……これから、駅まで歩いて、それから電車……?
……どうすっかな?
そんなこと考えていれば、スマホに着信アリだよ。
Σb(`・ω・´)
……それは、親指立ててるのかな? ……まさか、中指じゃないよな?
『(……もぐもぐ……ごっくん)もしもし、わたし、メリーさん』
お食事中かい? メリーさんや?
『浴衣に着替えて、庭で満月を見ているの』
おや、それは風流だねぇ。月を見ながら夕食かい?
『満月を見ながらのお団子は、また格別なの! (……はぐっ、もぐもぐ……)』
『(メリーさんはいつもなんでも美味しそうに食べるね)』
『(ええ。作り甲斐があるわ)』
『(食事に関しては、きみはほんとになんでも作れるね)』
『(ええ。これでも、若い頃は色々な国の料理を、食べて、作ってきたもの)』
『(おや? きみは今でも若々しいよ? いくつになったのかな?)』
『(……もう、あなた。女性に年は聞くものではありませんよ?)』
『(ははは。……おお、よしよし。お前も団子食べるか?)』
『(あなた、味をつけてないものが、ここに。こちらをあげてくださいな)』
『(ママさーん、お団子おかわりなのー。……あ、さんぺー先輩、みたらし団子は食べちゃダメなのー!)』
……メリーさんは色気より食い気、だな。うん、平和そうだ。
『また電話するの。(……あー! くろすけ先輩! ごま団子は食べちゃダメなのー! 先輩方は、こっち、味付けなしの三色団子なの!)』
はむっ。もぐ、もぐ、もぐ、ごくん。
……ははっ。電話切った音が、団子食べてる音になってら。
俺も、腹減ったなぁ……。
見上げてみれば、朧月夜のように、霞がかった夜空に、それでも強く輝く満月が浮かんでいた。
・俺 : 主人公。男性。
……備考 : 職業・総合商社の営業。優良物件。
ハーレム願望はありません。
十五夜に浴衣着て団子。風流だねぇ……。
ああ、腹減った。
・メリーさん : 金髪碧眼の、少女の姿の……怪異?
……備考 : もうすっかりマダムの家の子。
晩ごはん後のお団子、とっても美味しいの!
・桜井さん : 同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
あの人は、もう夕食を食べたのでしょうか?
……作りにいった方がいいのかな?
・源本 雫 : 主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
満月をバックに、ぶどうジュースをいただく。……雰囲気で酔いそうになってしまったわ……。
・木ノ下 双葉 : 無口で無表情で無愛想な、現役女子高生。
……備考:父は総合商社の営業課長(やや天然)。母は専業主婦(天然)。
庭で、余ったからと父がもらった線香花火をやっていたら、なんだか無性に泣きたくなった。
・碓氷 幸恵 : 幸薄い誘導員。実家は歴史ある町工場。
……備考:昼は誘導員、夕方からは工場の事務を兼業。
指が髪に当たっただけなのに、ドキドキしました……。
・西のマダム : 生まれも育ちも上流階級。
……備考 : 東から西まで、世界中の美食を味わった。
今はもっぱら、作る方。
物理的に不可能なもの以外、マジでなんでも手作りできる。
・西野氏 : 超一流の資産家。マダムの旦那さん。
……備考 : マダムに胃袋を掴まれている。超幸せ。メリーさんが可愛い。超幸せ。
マダムの手料理を食べ続けているせいか、病気一つしない。
囁鬼 : 耳元でネガティブなことをささやく鬼……モドキ。
……備考 : 健康な者の心を蝕む、悪鬼の類い。
取り憑いたものの耳元で、たまにささやく。この、たまにというのが実に効果的で、取り憑かれた者の気が緩んだときなどにささやかれるものだから、質が悪い。
囁き声は、自分の声のように聞こえ、ネガティブな思いをより強く感じることとなる。




