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8.サバク伯爵領グラドリル


 西部までの道程はゆるやかに進んだ。その王家を主張し過ぎる馬車は通過するだけの街でも多くの歓声に包まれ、いつもは殆ど人がいないであろう長閑な沿道にも人が溢れていた。


 それ程まで王家は人気があるという事だろう。今の国王は既に即位から25年経っている。その治世は穏やかに民の暮らしを向上させ、守る事に重きを置いているので民達の満足度は上がるばかりだ。

 先王の時代は隣国との関係も緊張感のあるものだったが、現王が即位後徹底的な和平政策へ踏み出した為、隣国との関係も今や良好である。その他にも大きな問題が起きそうな時は先手を打ち、厄介事を最小限に抑えているというのも王の、そして重鎮達の手腕の賜物なのだろう。


 緩やかに進む馬車の細く開けたカーテンからティナは窓の外を見る。その風景はもう何年も帰っていない実家、クラントン侯爵領の田園風景と何処か重なった。


 夕方にはその地の領主の屋敷へ、そして幾度かの休憩を挟み、出発から四日目、漸く着いた西部グラドリル。

 麦の生産が盛んに行われているこの地は例年であれば既に黄金に輝く麦の収穫が行われているが、今年は続く悪天候で殆どの麦が駄目になってしまっていた。


 そもそもグラドリルの不幸は昨年から始まっている。


 昨年、大雨による水害に襲われたこの地は、土砂崩れや地盤沈下により地形が変わり今までと同じ畑で麦を育てられなくなった。それでも水害の少なかった場所を開墾し、例年の半数以下の収穫量になろうとも栽培を再開していたが、今年の長雨。昨年の川が氾濫する様な大雨では無いが、しとしとと何日間も雨が降り続いた結果、成長期の麦はことごとく病気にかかり、収穫出来なくなってしまったのだ。

 二年連続の不作、これに麦の生産が主な産業であるこの地は大きく落ち込んだ。国は救済措置として税の一部免除等を行ったが、根本的な解決には当然ならず、国への不満がグラドリルでは高まっているらしい。


 そんな中での王太子夫妻の視察。不満をこれ以上溢れさせず『国はグラドリルを見捨ててはいない』と思わせるのがこの訪問の主な目的なのだが、うまく行くのだろうか。王太子夫妻の人気も高いが、今この地は沈んでいる。煌びやかな馬車での訪問は逆に不満が高まりはしないか。

 何も起こらなければいい、ティナの心に僅かな不安が影を落とした。


「殿下、妃殿下、よくおいで下さいました」


 顎に灰色の髭を蓄えた老齢の紳士が恭しく馬車から降りた王太子夫妻へ礼をする。年齢の割にしっかりとした動きは彼が元は騎士であったからだろうか。鋭い眼光も現役時代と変わりは無いのかも知れない。

 歳の頃は60を過ぎたこの男、リシャール・サバクはこの地を治める伯爵である。長年勤めていた騎士団長の座を15年以上前に辞した後は領地へ引っ込み、領地開発へ勤しんでいた。


「サバク卿、お元気そうで良かった」


 王太子であるサイラスはリシャールへ手を伸ばし握手をする。


「殿下もお元気そうで。最後にあったのは5年程前でしょうか。随分と立派になられた。泣きべそをかきながら剣の稽古をしていた頃が懐かしゅうございます」

「泣きべそなんて何年前の話だ。私が子供の頃の話だろう?」


 意地悪い顔で笑うリシャールにサイラスは困った様に笑った。自分の幼い頃の話をされ、少し気恥ずかしそうにリリアナをチラリと見る。リリアナはそんな二人を楽しそうに見ていた。


「サイラス様は小さい時は泣き虫でらしたのね。確かに初めて会った時も泣いてらした気がするわ」

「それは無い」

「そうだったかしら?」


 真実は分からない。楽しそうに微笑むリリアナにサイラスは『泣いてない』と再度はっきりと告げる。その様子をティナはリリアナの数歩後方で見ていた。


 表情なく立っているティナの背中にはビジビシと痛いくらいの視線が注がれており、内心ティナは溜息を吐きそうになる。視線の主は見なくても分かる。オイゲンだ。


 オイゲンはこの移動中も休憩の度にティナの視界に現れ、何かと絡もうとしてきた。王太子の護衛はどうしたと言いたいところだったが、銀狼騎士団 副団長のオイゲンには今回決まった護衛位置は無く、フリーの配置であった為それを言う事も出来ない。だが、フリーだからと言って好き勝手に動くのもどうかと思うが。

 オイゲンが現れる度、マリアが楽しそうにティナを見て小声で『旦那が来てるわよ』と茶化す。旦那でも何でも無い、ただのストーカーに近しい存在だ。その度にティナは違うからと訂正をしていた。


 王太子夫妻とサバク伯爵の挨拶が終わり、ティナ達はリリアナの荷物を伯爵邸へ運び込む。本日は此処に泊るのだ。せっせと両手に鞄を抱えているとオイゲンが横から現れた。


「俺が持とう」

「……いえ、これが私の仕事ですので」

「じゃあ一つだけ貸せ」


 オイゲンはそう言うと大きい方の荷物をティナから強引に奪い、ティナを追い越して行った。


「あ……」


 荷物を取られたティナは呆気に取られたが、もう手元に無いものをどうこうするつもりはないので大人しくオイゲンの背中を追う。広く逞しい背中は、服を着ていても無駄な肉がない鍛えられた肉体だという事が分かる。

お尻もキュッと上がっており、足も鍛えられ上げ、とても太い。

 歩きながらボーッとオイゲンを見ていたティナはふとあの夜の事を思い出す。


 彫刻の様な造形の鍛え上げられた体は熱くティナを求めていた。これ以上ない程貪られ、何度もティナを確認する様に見ていた瞳は怖いくらい欲望に濡れていたが、触れる手はとても優しかった。


 無意識に思い出した情景にハッとしたティナは途端に顔を赤らめた。仕事中に思い出す事ではない。ふるふると首を左右に振り、深呼吸をする。


(いけない、いけないわ)


 自分の意識を仕事に集中させ、ティナは雑念を払う様に歩行速度を速めた。


 荷物を与えられた部屋へ運び込み、一息ついたティナは手伝ってくれたオイゲンに形ばかりの礼をする。


「ありがとうございました。お陰で助かりました」

「いや、下心があってしただけだからな、礼はいらん」

「……でしょうね」


 はっきりと言うオイゲンにティナは呆れ顔になる。


「そういう訳だ。後で時間を作れ。話がしたい」

「私は無いのですが」

「俺はある。話なんてどちらか一方にあれば良いんだよ。お互いになきゃ話が出来ないなんてそんな馬鹿な話ないだろ」


 そう正論を言われればティナは何も言えなくなってしまう。姿勢の良いオイゲンをじっと見て、ティナは不服そうに頷いた。


「分かりました。多分夜になってしまうのですが良いですか」

「ティナが良いのであれば夜でも構わない。俺は話せればいつでも良いからな」

「じゃあ20時に庭園の端で」

「わかった」


 話す内容は何となく分かる気がする。逃げても良いなら逃げたいが、オイゲンは逃げても追い掛けて来るので大人しく話を聞くしかない。今までだってそうだ。何度も何度もティナを追いかけてきた。


 約束を取り付けたオイゲンは満足そうにした後、念押しの様に『絶対来いよ、逃げるなよ』と言い、この場から去って行く。その足取りは心なしか軽そうだ。


「流石、私と結婚したいと言うだけはある。わかってるじゃない」


 オイゲンの対ティナへの対応に一人感心をする。


 ティナはオイゲンを見送った後、部屋へ戻るリリアナの為にお茶の準備に取り掛かる。慣れない部屋の作りに困惑をしながらも、いつもと変わらない手順で準備をする。

 少し騒ついていた心が少しずつ落ち着いていくのが分かった。




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