7.西部視察へ
そんなオイゲンを避け続ける日々を送っていたティナだったが、気付けばあっという間に西部視察出発の日となった。
入念に練られたスケジュールの元、速さよりも安全さを優先された日程はなんと10日。内8日は移動時間だ。つまりオイゲンとの関わりがその期間、増えると言う事だ。
ティナはリリアナ付きの侍女、オイゲンは王太子直属の銀狼騎士団副団長。普段、関わりが無かろうと今回の視察では多少なりとも関わりが出来る筈。オイゲンはこれを好機にとっても些細な事から小さな事まで関わってくるに違いない。
そんな事を予感してティナは一人溜息を吐いた。
「何?もう何かあった?」
「何もないわよ、あったら怖いわ」
何処から見られていたのか、ニヤニヤしながらマリアが話しかけてくる。ティナは見られた事に苦笑いをしながらマリアの両手にある鞄を一つ持った。
「それ、ドレス?荷車に乗せる?それともこっちの馬車に一緒乗せようか?」
「荷車で良いかな。あと三つくらいドレスの鞄あるし」
そう言ってマリアは後ろから続く侍女達に目配せし、王家の紋が入った荷車の前に居る従者に渡した。汚れだけは絶対につけてはならないので、と念押しをし、ティナ達は侍女用の馬車へと向かう。
今回の視察では馬車は四台用意されている。一台は王太子夫妻、王家の紋が金で装飾された明らかに王族が乗っていますと主張する馬車。残りの三台はそれよりは簡素だが、普通の馬車よりは豪華な作りのものだ。それにはティナ達リリアナ付きの侍女や王太子付きの侍従、宰相補佐等の王太子の側近が乗っている。
ティナは自分達の馬車にリリアナが休憩の時に使いそうな細々とした物を準備していると、ふと背後から声を掛けられた。
「ティナ嬢」
その声に聞き覚えがあったティナは振り向き、ゆっくりと礼をする。
「アルヴィン騎士団長殿」
そこに居たのは銀狼騎士団の団長であるアルヴィンだ。人好きのする笑顔で思わず顔が緩む。
「今回の視察は視察にしては長丁場だ。宜しく頼む」
ニカッとゴツゴツとした大きな手を差し出されたが、ティナは二回目な事もあり迷わずその手を握る。やはりカサカサとしており、保湿をしたくなった。これは職業病なのしれない。
グッと力強く握られ、その力に少しビクリとする。男の人には普通なのかも知れないが、ティナには少し痛いくらいだ。だが騒ぐ程でもないのでアルヴィンの顔を見ながら微笑む。暗に離して欲しいと目で訴えてみたが、どうやらアルヴィンには効かない様だ。
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
目に力を入れ、だが口元は朗らかに返事をする。悪意の無い表情に毒気を抜かれ、次第に目元も緩んでしまった。
「そういえばティナ嬢はうちのオイゲンと仲が良いのか?」
顔面が緩んだのも束の間、手を離したアルヴィンが楽しそうに聞いてきた。
一体何処がどうなって仲が良いと認識したのか。ティナはその言葉にポカンと口を開いて、戸惑いの声を出す。
「仲が、良い……ですか?」
全く仲良くは無い。あちらからの好意は知らないが、ティナはオイゲンが話し掛けてくるのをほぼ無視している。絡まれない様に遠回りをしたり、姿を見たらダッシュで隠れたり。なのでおおっぴらに二人で話した事は無いに等しい。ティナが覚えている限り二回くらいだ。
それなのに何が『仲が良い』なのか。全くその言葉の意味が分からない。
「オイゲンがやたらティナ嬢の事を気にするんだよ。今回の視察もティナ嬢の馬車は何処だとか言っててな。お前は銀狼騎士団だろって言ったんだが、話半分だ」
「それはそれは……」
「で、仲良いんだろう?」
まさかそんな事を話しているとは思いもしなかったティナは顔が引き攣っていくのを感じた。
その話を聞けば確かに勘違いもしよう。
だが、アルヴィンがそんな満面の笑みで問う程では無く、全くと言って良いくらい仲は良くない。何度も言うがティナが避けている。
この話を聞くとやはり好意は持たれているのだろうが、自分の名前を自分の知らないところで出されて印象操作されるのは少し思うところがある。
ティナは引き攣った顔を隠す様に口元を手で覆った。
「顔見知り程度だと自分は認識しているのですが」
そうアルヴィンの顔色を探る様に口を開く。あまり変な事を言ったらオイゲンへの上司の評価が大変な事になってしまう。勿論、悪い方に。別に彼を貶めたい訳では無いティナは言葉を選びながら朗らかな声を出した。
「でも、そんな風に親しく思ってくれているのは嬉しいですね」
正直、どう答えるのが正解なのかは分からない。その場凌ぎの言葉で適当に答えればアルヴィンは満足そうに笑った。
「そうか。今日から関わる事も多くなるだろうから仲良くしてやってくれ」
「……そうですね」
まさかの申し出だったが、断る訳にもいかずティナは少し間を置いて返事をした。
やはり関わる事が多くなるのか。出来れば関わりたくないが、そうも行かなそうである。遠い目をしていると目の前のアルヴィンが何かに気付いたのか急に手を挙げた。
「噂をすればオイゲンだ。おーい!オイゲン!」
アルヴィンは善意からなのか、嬉しそうにオイゲンを呼んだ。
(嘘でしょ!呼んでる!なんで!なんで呼ぶ!)
そのアルヴィンの行動に青ざめながら驚くティナ。横からやってくるオイゲンらしき人物の影がティナにかかる。それでもティナはその人物を直視する事は無い。
ティナはアルヴィンへ不自然に視線をやったまま、二人の会話を聞いた。
「今、ちょうどお前の話をしていたんだ」
「俺の話を?どんなだ」
「いや、仲が良いのかって聞いていただけだ。どうやらお前の一方通行みたいだな」
「ああ」
話の流れが少し怪しい感じになる。これはもしかしたら結婚云々とか言い出すのか?とティナは胸が悪い意味で高鳴った。
(いや、言う訳ないか。恋愛系の話って人に話しずらいし。そもそも上司と本人が居る前で言う訳無いよね)
願望も混ざり、祈る様な気持ちで会話を見守る。もうこの二人から抜け出したいと思ったが、変なところで抜けるのもアルヴィンに失礼な気がして中々行動に移せない。
背中にダラダラと冷や汗がつたる。
ティナはアルヴィンに視線をやったまま、一歩横へズレた。勿論、オイゲンが居ない方にだ。すると、不意に肩を掴まれる。その突然の接触による驚きからティナは肩を揺らすと、思わず避けていた彼を見てしまった。見上げた彼は暗めの碧眼でじっとティナを見ていた。その瞳に確かな熱を感じて、ティナは自然と息を呑む。瞳の中に自分が見えた。
「求婚中だ」
ティナを見て、次にアルヴィンを見たオイゲンは至極真面目な顔でそう言った。
それに驚いたのはアルヴィンだ。最初は『ほー』と気のない返事をしていたが、段々と真顔になり瞬きを激しくする。事態を飲み込めて来た時にはティナとオイゲンの顔を交互に見ており、目をまん丸に広げていた。
「……………えっ!!!」
その驚きの声に近くにいた人達が振り返る。ティナは慌てて口元に人差し指を当て『シィーー』とやったが、興奮冷めやらぬアルヴィンは声量そのままでオイゲンの名を呼んだ。
「オイゲンお前!!」
「何だ」
「アルヴィン騎士団長殿!」
会話を止めたいティナは二人の視界の邪魔をする様に右手を挙げる。出た声はやはり焦った声をしていたが、これ以上オイゲンが何かを言う前に話を終わらせたい為、気にしない。令嬢らしからぬかもしれないが、そんなの今更だ。
「え!あ!ん?」
アルヴィンはティナの声に間の抜けた声を出した。頭が上手く働かないのだろう。そんなアルヴィンをティナは早口で捲し立てた。
「もう出発の時間が近いです!準備をした方が宜しいのでは!あ!殿下が馬車からお呼びしている様ですよ!」
ティナの勢いに押されたアルヴィンは大きな体をあわあわさせて、何度も頷く。
「あ!そうだな!ではティナ嬢また!」
「ええ!また!」
慌てるアルヴィンの背中を手を振って見送ったティナはゆっくりとその手を止める。そして下から睨みつける様にオイゲンを見た。
「ベルツ卿も行かれた方が宜しいのでは?」
先程までの慌てた声とは打って変わって冷たい声に、オイゲンは表情を変える事なくティナを呼んだ。
「ティナ」
オイゲンはティナが怒る事は分かっていたのだろう。それでもアルヴィンの前で言ったのは牽制の意味もあった。寧ろそれしか無い。
二人が話している姿を見て、自分でも引く程嫉妬した。こんなに邪気にされているのに募っていく想いは一体何を原動力にしているのだろう。オイゲンは怒っているティナも可愛いと思える心境まで来てしまった。
一方のティナの心は氷点下に近い。オイゲンとの進展させるつもりの無い関係をアルヴィンに知られてしまったからだ。別にアルヴィンだからどうとか言う話では無く、これから10日間も行動を共にするのに変な目で見られてしまう事が嫌なのだ。少しの行動が変なフィルター越しで見られ、無粋な勘繰りをされるのは絶対嫌だ。
―――なのにも関わらず、この男は。
ティナはスーッと表情の無い顔のまま、立ち去ろうと一歩を踏み出した。だが、それは腕を掴まれ、阻止される。
「ティナ、俺は」
「ごきげんよう」
何かを言おうとするオイゲンを一蹴し、掴まれた腕を勢いよく外した。ティナは振り返る事無く与えられた馬車に乗り込み、仏頂面のまま座席へ体を沈める。
マリアは馬車の中から今までの様子を見ていたのか、目が合うと苦笑した。慰めてくれ、と甘えた目でマリアを見るとツンツンと何故か外を指差される。その意味が分かり、そろりとその指の先を見れば表情を変えずにオイゲンが真っ直ぐにこちらを見ていた。その瞳はやはり熱いままだった。




