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5.思い出にさせない男


「アルヴィン騎士団長殿、そちらの方は」


 無礼な程見てくるので、気まずくなったティナはアルヴィンに声を掛ける。メルキアと戯れていたアルヴィンは『ああ!』と忘れていたと言わんばかりの声を出した。


「これは副団長のオイゲン・ベルツだ。今回の視察にこいつも同行予定だ」


 名前を呼ばれた男は一歩前へ出ると、騎士らしく胸に拳を置いて礼をする。高身長な見た目通り、その声はよく通る低音だった。


「オイゲン・ベルツと申します。以後お見知り置きを」


 礼と共に伏せられた瞳が一瞬鈍く光った。その瞳に何処となく既視感を覚え、ティナはその感覚を不思議に思いながらも挨拶を返す。


「初めまして、ティナ・クラントンと申します。西部視察の際は宜しくお願い致します」

「あぁ」


 少し無愛想に返事をされ、心の中で軽く悪態をつく。

そんな返事をするのなら何故、あんな凝視をしていたのか。


(もしかして服になんか付いてる?)


 ティナはバレない程度に自分の服を見る。特に何も無さそうだ。もしかして顔に何か付いているのかも知れない。そう考え始めたら居ても立っても居られず、ティナは三人に辞去をする。


「では私はお先に失礼致しますね」


 もう挨拶は済んだ。これ以上此処に留まる必要もない。早く鏡を見たいティナは礼をし、一歩足を後ろに引いた。


「ああ、こちらだけで話していて申し訳ない。では西部視察では宜しく」

「此方こそ、よろしくお願い致します」


 ニコリと微笑み、三人に背中を向けようとしたティナだったが、不意に名前を呼ばれた。


「ティナ嬢、お送りしましょう」

「え?」

「アルヴィン、少しティナ嬢を送ってくる。先に帰っててくれ」

「んあ?ああ、わかった。じゃあティナ嬢また」


 突然の申し出に呆けるティナをよそに、アルヴィンは爽やかにそう言うとメルキアと騎士舎へ向かって歩いていった。

 初対面の男と残されたティナは暫し呆然としたが、折角の申し出を断るのもおかしい事だと考え、オイゲンへの礼を口にする。


「ベルツ卿、ありがとうございます」


 王太子妃宮に帰るだけなので護衛など必要無いが、送ってくれると言うならば送って貰おう。オイゲンは礼を言ったティナの事をじっと見ると小さくため息を吐いた。


(ん?)


 何故溜息を吐かれたのか。先程と少し雰囲気が変わった事に気付いたティナは不思議に思いながらオイゲンの名前を口にした。


「ベルツ卿、どうされました?」

「ベルツ卿ねぇ」


(ん、もしかして)


 ニヤリと笑う瞳は何だか見覚えがあった。そして、その低く腹に響く声も。


「ベルツ卿、まさか……」


 ティナはこの不穏な空気に、ある可能性を一つ感じ、顔を真っ青にする。


「はじめまして、か」


 オイゲンは青褪めるティナとは対照的に笑った。だが、その瞳は全く笑っておらず、思わずティナは一歩下がる。


(これは、やはりこの人が)


 胸が早鐘を打ち、その早さに口から心臓が飛び出そう。アワアワと動く口はもうティナには制御出来ない。

 逃げるティナにオイゲンは肉食獣が獲物を見つけた様な顔で近付いてくる。じわじわと逃げ場を奪われ、混乱から口が震えてきた。


「べべべべベルツ卿?」


 オイゲンは追い詰める様にティナを壁に寄せると、そのまま顔の横に手を置いた。抜け出せない檻の様な格好にティナは瞬きを激しくし、視線を泳がせた。

 そんな様子にオイゲンは喉を軽く鳴らすと肘を曲げ、ティナの耳元に顔を寄せる。耳に掛かる吐息にぞわりと鳥肌が立ち、ティナは思わず小さく悲鳴あげた。


「ひぇッ」

「ああ、朝起きたらいなくて寂しかったよ」


 そう言うと自分の頬をティナの頬に擦り付け、軽く耳に舌を這わせた。ぬらりと生暖かい舌が耳の輪郭をなぞり、そのまま首まで落ちていく。

 ティナは変な声が出そうになるのを千切れそうな理性を束ね、咄嗟に両手で口を塞いだ。


(なにこれ!)


 首元に落とされる唇はティナの事などお構いなしに弄んでいく。


 顔はあまり覚えていなかったが、恐ろしい事にこれに覚えがあった。そう、あの時の男もしつこかった。それはもう楽しそうにティナの反応を見てしつこくしつこく、これでもかという程……


 今もそう、オイゲンはティナをギラついた瞳で捕らえると嬉しそうに反応を確認しながら、唇を下へ下へ落としていく。


「ティナ」


 時折聞こえる低音からなる自身の名に、肌がぞくりとする。


(やばい、やばいぞ。これはやばい、外だし、いや、それ以上にこの行為がやばい)


 首から上だけ襲われているこの状況をどう打破したら良いのか。ぐるぐる巡る乱れた思考にティナはただ一つ『この男を倒す』という事に集中する事にした。


 このまま流されたら何処までいくのかわからない。オイゲンは今も顔を埋めているし、壁にあった手は既に腰に回されている。


「ゃあっ……めて…っ!」


 ティナは力一杯、両手でオイゲンの胸を押すが、びくともしない。やはり騎士と侍女では腕力が違いすぎる。


(少しは力を緩めなさいよ!)


 ボカスカと何度も胸を叩くが気にも止められない。それどころか嬉しそうに声を出している。意味が分からない。


「ティナ…っ」


 何故こんなにも盛っているのか。発情期なのか?こんなところでやられてしまうの?と頭がグルグルと回る。意味分からない。何故こんな事に?いや、そもそもは自分が酒で過ちを犯してしまったからなのだが。


 ティナの中で何かがプチリと千切れた。


「やぁぁめろってばぁぁぁあ!」


 ティナは羞恥心、怒り、情けなさを爆発させ、拳を力一杯、オイゲンの顔に打ち込んだ。ドシャン、と意外に詰まった音が鳴り、オイゲンは漸くティナから顔を離す。

 顔を殴られれば流石の騎士も驚いたのか、切長の目を見開き、殴られた方の頬を触っていた。


 肩を上下しながら見ていれば、ツー…っと鼻血も垂れてきた。これは予想外の出来事だったが、ティナは謝る気など更々ない。寧ろ謝られるべきだ、と唾液塗れになった首や耳ら辺をハンカチで拭き、顔を顰めた。


「お馬鹿さんなの?猿なの?発情期なの?一回ヤればいつでも出来るって?アホなの?え、アホなの?」


 淑女などクソ食らえな口調で捲し立てるれば、鼻を押さえながらオイゲンは上を向く。


「一か月以上してないんだぞ。そりゃあヤりたくなるもんだろう」


 少し鼻声になった声の割に、可愛くない言動にティナはもう一発殴ってやろうかと拳を固めた。


「ヤりたくならない!ほぼ知らない人とどうしてヤりたくなるのよ!」

「あんなに愛し合ったのにか?」


 上を向いていて表情は見えないが、恐らく悪い顔をしている事は想像出来る。ティナは拳を打ち込もうと左足を一歩引いて殴りかかった。

 だが、当然のように避けられ空振りした拳は虚しい音だけ出した。


「あんなにって一回だけじゃない!お酒の失敗として闇にもう少しで葬れたのに!今まで騎士団に行っても会わなかったのに何で今更!」

「俺はお前の事見てたけどな」


 平然と言うオイゲンにティナは自分自身の肩を抱いた。


「え、ストーカー?」


 恐怖と嫌悪感でドン引きしたティナだったが、オイゲンはオイゲンで驚きで目を丸くしている。


「いや、普通に騎士団詰所ですれ違ってただろう?……もしかして気付かなかったのか?」

「………」


 怪訝そうに言われ、無表情になるティナ。

 すれ違っていた事とそれに気付かなかった事に自分自身で呆れた。


「いくら酒に酔ってたからと言って忘れるものか?」


 同じく呆れたのだろう。オイゲンは馬鹿にした様に目を細めた。それにティナは苦々しく思い、眉間に皺を寄せる。


「……三日位は覚えてたわよ。でも段々と薄れてきて黒髪だったなーくらいに」


 苦し紛れな言葉に、オイゲンは深い溜息を吐いて、自身の後頭部を掻いた。


「じゃあ、いくらアイコンタクトを送っても気付かない訳だ」

「ん?」

「俺はあの一回で終わらせるつもりはないぞ」


 はっきり言われた言葉にティナは首を一度傾げ、腕を組む。眉間に寄せた皺はそのまま、言葉を反芻し一つの答えを出した。


「…大人のオトモダチって事?お断りします」

「ハァ?何でそうなる?」

「そういう事じゃないの?」


 一回で終わらせるつもりが無いとはそういう事ではないのか?オイゲンの真意が分からず、ティナは不服そうに片眉を上げた。


 オイゲンはその顔を何故か楽しそうに見て、弾む様な声を出した。


「本気って事だよ」


 じっとティナを見つめ、一旦は距離をとっていた位置から直ぐにティナを絡め取る事が出来る距離まで近付く。間近のティナは驚きから口を半開きにし、目を見開いたかと思うと一瞬視線を泳がせた。


 んん?と堅い顔で首を傾げ、開いていた口を真一文字に結び、口元に手をやり思案している姿にオイゲンは自然と笑みが溢れ、その笑みのまま口を開く。


「ティナ、結婚してくれないか?」

「え、無理です」


 バッサリと真顔で切り捨てられた言葉は、地面へと無惨に落とされる。悲しいかな、空は真夏の様な青空が広がっていた。




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