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番外編.オイゲンの4年間 前編


 オイゲン・ベルツは伯爵家の長男である。領地は中央に近い東部。辺境の地とはまた違う、険しい山々が聳え立つ地にある。この山で銀が取れる事が分かったのが20年前、オイゲンが5歳の時である。


 それまで貴族の中では裕福とは言えない家であったが、鉱山の出現でベルツ伯爵家は驚く程潤った。そしてそれを元手に街道の整備を進め、今やベルツ伯爵領はちょっとした人気避暑地である。

 涼やかな湖に白樺の森、街には銀細工のアクセサリーショップが何店も並ぶ。それぞれタイプが違うアクセサリーショップなので客層が被る事は無く、うまく共存している。


 そんなベルツ伯爵家に生まれたオイゲンは森に出る獣を討伐するのが幼い頃から趣味だった。オイゲンが初めて武器を持ったのは3歳の頃。木の棒だ。庭に落ちていた木の棒をぶんぶんと振り回し、父親の脛を殴った。別に悪意があった訳ではない。振り回していたら当たっただけの事。痛みで転がる父をオイゲンは不思議に思いながら見ていたのを覚えている。恐らくオイゲンの最古の記憶だ。


 そんなオイゲンが騎士になりたいと思ったのはおかしい事ではないだろう。伯爵位を受け継ぎ、この地を治める事は分かっていたがどうしても騎士になりたかったオイゲンは父に無理を言って騎士学校への入学を認めて貰った。


「まあ、そんなに気にしないでいいよ。私は長生きする予定だからね。私が死ぬまでは好きに生きなさい、程々にね」


 特段、父である伯爵は気にしてなさそうではあったが頼むオイゲンはそうでは無かった。本来なら成人後、父の仕事を手伝う事となっていたからだ。約束を反故する事に対しての罪悪感があった。


 騎士学校に入学したオイゲンは罪悪感からか訓練を人一倍重ね、同学年では負け知らずとなる。一瞬驕りそうになったが、それを打ち砕いてくれたのは2年先輩のアルヴィンだった。それはもう見事なまでの腕前でオイゲンを負かしたのだ。構えたと同時に地面に横たわる自分。ポカンとしていると楽しそうな顔のアルヴィンが覗き込んできた。


「お前も卒業したら騎士団に入るだろう?」


 屈託のない顔で言われ、オイゲンは何も考えられず頷く。そうしてオイゲンの卒業後の進路が決まったのだ。


 成績も良かったお陰かオイゲンはすんなり騎士団へ入団が決まった。アルヴィンと同じ『銀狼騎士団』だ。幾つもある騎士団の中で同じ団に入れるとは思ってもみず、驚いたが気心知れているアルヴィンが居る事は心強かった。


 そしてオイゲンが驚いたのは騎士という職業のモテ方だ。男子校に居たので色恋とは無縁だったが、至る所でキャーキャー言われる。訓練をしていてもそうだ、貴族令嬢や侍女達が誰かが剣を振るうたびに黄色い悲鳴をあげていた。


 オイゲンが悲鳴を上げられる側となるのにそう時間は掛からなかった。黒い髪と少し暗い碧眼。涼やかな目元に形の良い薄い唇。一見冷たそうに見えるが、意外と笑う事へのギャップに次々と淑女達はやられていく。女慣れしていなかったオイゲンはあれよあれよと言う間に女を知り『こんなもんか』と思うようになった。




 そんなオイゲンが騎士団に入って3年、21歳の年。まさかの出来事が起こる。


 それはいつもと変わらぬ街の警備巡回中、ふと目に入ったカフェの窓際。少しだらけた気持ちで何の気なしに見たオイゲンに衝撃が走った。


 そう、オイゲンは人生初の一目惚れをしたのだ。一目惚れされた経験は数あれど、自分がした経験は無かった。今後もする筈無いと何処かで思っていた出来事にオイゲンは只々衝撃を受けた。


 その人物を見た瞬間、時間が止まり目が離せなくなる。動けない。瞬きさえもしたくない。


 カフェに居た自分よりも幾つか下そうな金髪の女。楽しそうに本を読んでいる姿に胸が高鳴った。左胸にある筈の心臓の音が耳の中で響き、呼吸の仕方さえ忘れそうになる。


―――あ、すげぇ好きだ


 こうして名も知らぬ女に恋に落ちたオイゲンはまず、巡回のルートに必ずカフェを入れた。女は決まったカフェに通い詰めるたちでは無かった様で、最初に会ったカフェにはおらず、二回目以降は幾つものカフェを巡る。

 そうすると段々彼女がカフェをローテーションしている事が分かってきた。そして席は窓際。巡回中に眺めるには絶好の場所である。


 彼女はどうやら本以外にも街中の人間観察も好きな様だった。流れていく人波をぼーっと眺め、時に一人に注目して観察していた。特に見ていたのは親子連れ。仲が良さそうな親子を見る度に切なげに目を細めていた。


 そんな日々を続けていたある日、人間観察をしていた彼女と目が合った。吸い込まれそうな青い青い群青色のまあるい瞳、それとカチリと目が合った。瞬間、全身の血液が沸騰する程の激情が体を巡る。いや、もしかしたら体から漏れてしまっているかもしれない。それ程の感情だった。


 彼女が自分を認識した、その事実に自分の人生が新たに始まった気さえした。


 目が合った彼女は宝石の様な瞳を見開いた後、誤魔化す様にはにかんだ。


(駄目だ、彼女が欲しい)


 緩くウェーブした金髪を彼女がサラリと耳に掛ける。その見えた耳にも欲情した。


 全部欲しい。


 もう既に自分から目線を逸らした彼女だったが、オイゲンは場所を移動してその彼女を見続けた。仕事なんてもう忘れた。その日は彼女だけ見ていたかった。


 月日は流れ、カフェの窓際に居る彼女を見つめるだけだったオイゲンに事件が起こる。


 彼女がカフェに来なくなったのだ。


 思えば制服を着ていたので卒業をしたのかも知れない。そう考えたら足元から何かが崩れる様な感覚に襲われた。名前も知らない、接点もない。彼女がカフェに居なければ縁など消える関係。いや、関係も何も無い、一方的な感情だ。


(どうやって見つけりゃ良い?どうしたら……)



 彼女を見なくなって数日、オイゲンに辞令が下り巡回の業務から外された。先日あった大捕物の実績を認められ、役職を与えられたのだ。そもそもその大捕物も彼女を見つけられない苛々解消の為にやった事。まさかの副産物に驚いた。だが同時に邪魔だとも感じた。


 彼女を見つけたいオイゲンにとっては足枷の様だと思ったのだ。しかし蹴るにしても理由がない。素直に受け入れるしかなかった。


 役職を与えられたオイゲンは無駄に忙しくなる。主に事務作業が増えたのだ。前の様に動き回れれば彼女を探せるのだが、事務作業だとそうはいかない。恋した彼女を探したい気持ちを苛つきながら押し込め、書類一枚一枚に目を通していく。物理的に折ったペンは両手で収まり切らない数だろう。


 そんな書類の海に殺されそうな日々を送っていたある日、オイゲンは経理課に足を運んでいた。どうやらこちらの書類に不備があった様で、取りに来いと言われたのだ。朝から書類に囲まれ、息が詰まっていたオイゲンはこれ幸いと息抜きと称して向かう。


 ノックをして入室をすると殺伐とした空間に先客の姿が見えた。見覚えのある金髪だなとオイゲンは思ったが、後ろ姿であった為それ以上は何も思わずオイゲンは目当ての人物に声を掛ける。


「シエル、書類を貰いにきた。どの事を言ってるんだ」


 オイゲンの声に意識をつられたのだろう。先客がチラリとオイゲンを見た。その瞬間、オイゲンに激震が走る。


―――彼女だ!


 驚いた顔のまま、彼女を見ていると彼女は首を傾げた。そしてもう用は終わったのだろう。軽い足取りで退室をしていく。


「失礼しました」


 声までも可愛らしく、鼓膜でいつまでもその声を反響させる。


―――彼女だ!


 驚きのままオイゲンは口元に手をやる。すると自然と顔がにやけ出す。その姿を見て、漸く書類を持ってきたシエルが不審そうに顔を歪めた。


「何だ、気持ち悪いな。どうしたんだ?」

「シエル」

「なに」

「さっきの子は誰だ」

「さっきの?ああ、新人さんだよ。ティナ・クラントン。クラントン侯爵家の三女だよ」

「部署は」

「リリアナ様付きの侍女だってさ」


 そこからオイゲンは如何にティナを手に入れるかを考え始めた。仕事ではほぼ絡みは無さそうだ。白鷲騎士団であれば王太子妃の騎士団な為接点は作れただろうが、銀狼騎士団では正直難しい。しかもティナは新人だ。余計接点を作るのは難しいだろう。


 オイゲンは考えた末、とりあえず自分の名前がティナに届く様にわざとナンパ者の噂を流した。侍女達はこういう色恋の話が好きだ。仲間達から自分の名前を聞いて興味を持って貰おうと思ったのだ。悪印象を与えても良い、それを逆転させるだけの自信はある。

 だが、ティナはそんな噂好きではなかったらしい。全くと言って良い程、興味を持たれなかった。今日こそは今日こそはと毎日、ティナが騎士団を覗きに来るのを待ったが全く来ない。その頃になるとアルヴィンがオイゲンの行動を不思議そうに見る様になった。


「最近、どうしたんだ?何かおかしくないか」

「そうか?」

「ああ、お前の噂もそうだし、何だってそんなにギャラリーの方を見るんだよ。もしかして女好きの噂は本当か?」

「色々あるんだ、俺にも」


 アルヴィンにバレると色々と追及がうるさそうなので適当にあしらう。アルヴィンは若干不審そうな顔をしたが気付かないふりをした。


 そんな毎日を送り、気付けば3年。まさか何も進展しないとは思わなかった。それにオイゲンも自分がこんなにも長く人を恋しく思うとは思っていなかった。


 しかもティナはその3年の間に恋人が出来ていた。それも一人ではない。二人だ。どちらも短期間だったが、ティナに恋人が出来る度に死にそうになった。



 だが3年、ついに接点を持つ事が出来た。しかも接点と言うには激しすぎるもの。彼女の人生に食い込んだと言っても過言ではない事をした。


 本当はそんな事をする気は無かった。酒に酔ったティナを見つけた時、周りの獣達の視線があまりにも危険で帰る彼女達の護衛も兼ねて後を着いて行った。流石に女子寮に入るのは勇気が入ったが、ティナが部屋に入るのまで確認したかった為気配を消して後を追う。


 部屋の前で鞄をひっくり返して鍵を探すティナの姿を見た時、鍵が見つからなければ良いのにと思った。そうすれば一緒に居られるかもしれないと。

 そう考えたらもう話しかけないという手はなかった。自分の部屋で酒を飲まないか?と声掛けるとティナは満面の笑みを浮かべ、頷いた。


(いや、何だこの生物。可愛すぎるだろ)


 そのままの勢いで手を繋ぎ、部屋へ連れ込んだ。

 好きだった。ずっと何年も。あのカフェで見た時から何年経っただろう。名前も知らなかった恋する人が隣で笑っているのに感動した。しかもベタベタと小さな手で触ってくる。


 だからああなったのは仕方が無いと思わないか?


 彼女が初めてで無いのは分かっていたが、手慣れている訳でもなさそうな反応に満足した。でろでろに甘やかして、自分を彼女に擦り込む。もう自分しか選択肢は無いのだと体から分からせようと頑張った。オイゲン自身はティナの体温を感じられるだけで幸せだったので、ティナの反応を見ながら探り探り甘やかす。


 幸せだった。


 だがオイゲンが目を覚ますとティナは消えていた。幸せすぎてティナが寝てからも暫く寝顔を見ていた為、朝起きれなかったのが敗因だろう。

 何故かベッドの溝にパンツだけが残されていた。


(履かずに帰ったのか……?)


 オイゲンはぐしゃぐしゃになったパンツを溝から取ると洗濯物の山に置いた。


「次来た時に返せばいいよな」


 呑気にそんな事を考えていたが、そんな日が来る事は無かった。


 オイゲンは思っていたのだ。酔っていたとは言え、寝たので少なからず意識されているだろうと。体もあんなに甘やかしたのだ、忘れる筈は無いと。だが現実はそんなに甘くはなかった。


 ティナはすっかり忘れたのである。




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