15.捕まりました
息を切らし、肩を上下しながら銀狼騎士団の訓練場に乱入したティナの姿に周りの団員達は呆気に取られる。普段、あまり乱れた姿を見せない侍女の姿は驚き以外何でもない。両手に握られたスカートの両脇には既に皺が出来ている。綺麗に纏められている筈の髪も後毛が出ていた。頬も化粧のそれとは違い、真っ赤に紅潮している。強い意志を孕んだ群青色の瞳は真っ直ぐに一人の人間を見ていた。
ティナの視線の先にいる人間、オイゲン・ベルツは驚いた顔のまま固まっている。だがその瞳もティナを見続けていた。
「ティナ……」
静まり返った訓練場に風の音とオイゲンの声、そしてティナの靴音と衣擦れの音が響く。
団員達はティナとオイゲンを視線で追った。
一体何が起こっているのだろうか。皆思う事は一緒だった。ここ最近、副団長であるオイゲンの様子がおかしい事は団員皆わかっていた事だった。先日の西部視察の件が尾を引いているのだろう、そう思っていた。何故なら此処に居る団員達も先日の一件については大いに反省をしていたからだ。だからこそ役職のあるオイゲンであればもっと上から詰められ、思う事もあるのだろうと思っていた。だがもしかしたらそれは違うのかも知れない。
数々の浮名を流してきた副団長の修羅場らしきこの場。団員達は物音一つ立てずに固唾を飲んで見守っていた。
「オイゲン・ベルツ、あなた何がしたいの?」
オイゲンの目の前に立ったティナは足を肩幅程に開き、声を上げた。声は明らかに怒りを孕んでいる。その声にオイゲンは驚いていた瞳をいつもの表情に戻し、肩をすくめる。小馬鹿にされた動きにティナは片眉を上げた。
「それはこっちが言いたい。訓練中だぞ、何しに来た」
「今まで私が仕事中でもお構い無しに来た人に言われたくないわね」
「そうだな、だがお前は俺からずっと逃げてただろうが」
「そうね」
ギスギスとしたやり取りをしていると誰かが呼んだのか、医務室で会ったばかりのアルヴィンが慌ててやってきた。
「ティナ嬢、俺がさっき言ったからって直ぐに来なくても」
「別にアルヴィン騎士団長に言われたから来た訳では」
「お前何言ったんだ」
「あー!良いから二人は執務室で話して来い!此処では訓練の邪魔だ!」
この場の最高責任者であるアルヴィンに言われたら移動せざる得ない。
オイゲンとティナはお互い無言で執務室まで向かった。
初めて入った騎士団の執務室は書類で溢れ、実務的に効率が悪そうに見える。だが、今はそんな事を考えている場合では無い。ティナは早々に書類の山から視線を外し、目を細めた。
「父に謝ったそうね」
部屋に入って開口一番、ティナはそう言った。オイゲンは戸惑う事も否定する事もなく頷く。
「ああ」
短い返事にティナは胸を掻きむしりたい衝動にかられた。だから何故そんな事をしたのか!それを知りたかった。わざわざ同僚の父親に謝罪する必要など無い。避けているなら尚更だ。勘違いをさせる行為以外何ものでも無い。
父に自分の存在を認識させて、逃げ続けるオイゲン。ティナはその行動の理由をただ知りたかった。
「私を避けている癖に親に挨拶をするなんて、チグハグだと思わない?」
「そうか?顔に傷をつけたんだ、普通だろ」
半笑いな顔は実に苛つく。ティナは自分の頬を指差した。
「もう直ぐ消えるわ」
まだ赤みはあるが、消えると今日医師に言われた。だから問題は無い。
オイゲンはジッと傷を見て、瞳を僅かに伏せた。彼にしては守れなかった証拠にしか過ぎないので、見るのは辛いのかも知れない。ティナは傷を隠す様に手で覆う。
傷付いた顔をしたオイゲンを見たら怒りが少し萎んできたティナは小さく息を吐いてから床に視線を落とした。
「ねぇ」
その声は静かな執務室であっても聞き取りづらい声だった。オイゲンは聞き返そうとしたがその前にティナがぽつりと言葉を零す。
「何で避けるの」
視線を床に落としたまま、消えそうな声での疑問にオイゲンは真顔になった。表情から感情は見えない。だがティナの視線はいまだ床の為、オイゲンの事など見えていない。だから思いのまま言葉を続けた。
「避ける癖に何で見てくるの」
一度口にするとスラスラと感情が口から出てくる。
ティナはオイゲンの視線を感じる度に振り返っていた。でも振り返っても姿は無く、その度に悲しみが蓄積されていった。自分の視界の何処かに居る筈の男を探して、でも居なくて。いつの間にやら黒髪の男を目で追う様になった。それがオイゲンでなくても黒髪に目が行くのだ。黒髪を見る度にオイゲンを思い出し、辛さが増した。何度も自分に言い聞かせ、オイゲンを忘れようとする度に感じる視線。
もう何もかもが限界だったのだと思う。
ティナは俯いたまま、両手で顔を覆った。くぐもった声は他人にも分かる程震えていた。
「ここ最近、ずっとあなたの事を考えているの。おかしいでしょ?ずっとよ?あんなに避けていたのに、いざあなたに避けられ始めたら何だか……」
オイゲンに避けられて辛いのか、自分を好きだという男が消えて辛いのか分からない。ただ後者だとしたら最悪だ。でもオイゲンの事を寝ても覚めても考えている。
あの夜の事も、会議後の事も、視察での事も、馬車での事も四六時中思い出され、自分を呼ぶ低めの声が忘れられないのだ。
全身で自分に好意を伝えてきたオイゲン。青碧色の深い瞳に逃れきれない熱を宿し、ティナを呼び、愛を囁く。その期間はほんの一ヶ月程だったが、強烈に脳と体にこびりついた。このこびりつきはきっともう落ちやしない。
自分の身勝手さとぐちゃぐちゃな感情の中、ティナが言葉を無くしているとフッと笑い声が聞こえてきた。オイゲンはティナの覆っている両手を掴むとそれを顔から剥がす。目の前に見えるオイゲンは見た事が無い程晴れやかな笑みを浮かべていた。嬉しそうな、楽しそうな、そんな顔。
「ティナ」
オイゲンは隠しきれない喜びをそのままにティナを抱き締めた。
「それは俺が好きだと言ってるんだな」
楽しそうな弾む声にティナは目を見開いた。
確かに聞き様によってはそう聞こえるかもしれない。だけど断言は出来なかった。
「……分からないの。自分も同じ事をしていた癖にあなたにやられるのは嫌だって思って……ただ私の性格が悪いだけの可能性が高くて」
オイゲンの胸の中、戸惑いながらそう答えれば抱く腕に力を込められる。
「お前は俺が好きなんだよ」
耳元で聞こえた声に、胸が高鳴った。囁く様な、ティナにしか聞こえない声。耳に唇が付きそうな程近くで言われた言葉に脳が痺れたが、それでもティナは何かを言おうと口を開いた。だが言葉を発する前に唇に柔らかさを感じ、何も言えなくなってしまった。
突然のキスはティナの言葉を食べる為。一瞬の出来事に目を瞬かせていると額を合わせられた。
「お前は俺が好きだ、それで納得しろ」
優しい声色に心がずぶずぶと沈んでいく心地がする。だからだろうか。不安がまだ拭えないティナは瞼を伏せた。
「ちょろい女だと思わない?また同じ様な事が起きたら」
何たって彼と会って間も無いのに好きだと言われて好意を抱いてしまった。もし、また同じ事が起きたらその人を好きになってしまうのだろうか。その時、隣にオイゲンが居たりしても。それが怖かった。自分が自分の考える以上に愛に弱くて性格が悪かったりしたら?
自分はその時、また身勝手に考えてしまうのだろうか。
不安そうなティナの顔をオイゲンは両手で包み込むと瞼に唇を落とした。大きな手は頬の傷にそっと触れ、そこにも唇を落とす。
「心変わりをさせないくらい愛するから」
顔に落ちてくる沢山の口付けにティナは抵抗出来なかった。だってそれがとても温かく感じたから。心地よかったから。
「好きだ、ティナ。後悔させない」
最後に口付けが落とされたのは唇だった。啄む様に何度も落とされる唇に胸に巣食う不安が溶かされていく。
この人で良いのだ、そう思えた。
思えば、オイゲンとの触れ合いは最初から不快感が無かった。驚く事はあったが、不快感は皆無だった。
(なんだ、そうか。そうなんだ、私)
漸く理解した心、ティナは強請る様にオイゲンの首に腕を回す。全てを理解したオイゲンは深いキスをした。二人が混ざり合う様な、蕩けてしまう様な、そんなキスだった。
どのくらいそれをしていたのか。ゆっくりと名残惜しそうに唇を離したオイゲンは気が抜けた様にティナの肩に頭を乗せた。
「ああ」
空気の様な声が聞こえ、ティナは肩に乗っている頭を撫でた。しっかりと固められているのか硬い髪質だ。
「やっとだ」
心からの声だと思った。何の意図も含まれていない、そのままの意味の言葉に彼の苦労が垣間見えた。
オイゲンもオイゲンなりに頑張って口説いていたのだ。実はあの間違いの一夜の前から、あの手この手を使ってティナに認識して貰おうと頑張っていたのだ。勿論、これはティナには今のところ秘密である。
「さてティナ、いつ結婚式をする?」
ティナの肩から頭を外し、オイゲンが覗き込む様にティナを見る。その瞳に嬉しそうな自分の姿が映っているのが見えて、ティナは笑った。
「冬が良いわ。湿気が少ないから」
もう結婚しないなんて言わない。だって何だか家族って素敵じゃない?
ティナとオイゲンは目を合わして笑って、そしてまたキスをした。窓の外にアルヴィンが居るのも知らずに。
実はオイゲンがティナに好意を抱いたのはティナが女学生時代。2年前なんて嘘だ、もっとずっと前からティナに好意を抱いている。
オイゲンはカフェで読書をしている彼女の姿に一目惚れしたのだ。
当時、オイゲンは既に騎士団に所属しており、巡回の業務にあたっていた。その際にティナを見つけたのだ。観葉植物の多いカフェの窓際で楽しそうに本を読む顔にどうしようもなく惹かれ、それから4年。漸くオイゲンはティナを手に入れた。同僚になった3年間、実は色々と手を回して居たのだが全く気付かれず、あの過ちの一夜。オイゲンにとっては最後の賭けの一夜だった。
本当を言うと手を出すのは恋人になってからと思っていたのだが、数年恋焦がれたティナが横に居るのに耐えられず、手順を間違えたのだ。
そこからは押しの一手の日々だ。逃げまくるティナを如何に捕まえるかを考え、西部視察期間に落とすと決めた。オイゲンにとってティナしか結婚相手は考えられなかったのだ。
だがそんな西部視察での襲撃。ティナを見続けていて反応が遅れたオイゲンは自分の愚かさに気付き、己を戒める為にティナから離れた。だがそれは少しの間だけと考えていたのだが、離れている間切なげな視線をティナが寄越しているのに気付き、オイゲンは閃いた。
―――押して駄目なら引いてみろという言葉があったな
こうしてオイゲンはティナを悩ます事に成功したのだ。
ティナは普通に仕事をしていると思っていたのかも知れないが、実はよくオイゲンの視界に現れていた。じっとオイゲンを見て、肩を落として帰っていく、そんな姿を何度も見て何度追いかけたくなっただろう。だが我慢した。それをするのは時期尚早だと思ったからだ。
オイゲンは確実にティナを捕まえる為にアルヴィンにティナの事を相談した。人の良いアルヴィンの事だ、きっとティナにそれとなく言うには違いない。そうすればティナは自分の心がまだティナにある事を理解するだろう。
嬉しい誤算だったのはティナの父親であるクラントン侯爵の登城だ。父親に印象付ける為に、怪我の事を謝罪した。これは嘘ではない、本心からの謝罪だった。クラントン侯爵は突然の声掛けだったのにも関わらず、全てを許してくれた。
まさかその日の内にティナが騎士団に乱入してくるとはまさか思わなかったが、真っ直ぐに自分を見てくれる群青色の瞳が嬉しかった。それがどんな感情であれ、だ。
「オイゲン、本当に家に着いてくるの?」
旅行鞄を持った、普段着のティナが帽子を押さえながら隣にいるオイゲンを見る。オイゲンも同じく大きめの鞄を持っていた。
「準備したのに今更そんな事言うのか?酷くねぇか」
そう言う割には笑顔なオイゲンに、ティナは少し恥ずかしそうに視線を外した。
「だって、なんか。あからさまに結婚しますって感じで」
恥ずかしいじゃない?と頬を染めたティナを見て、オイゲンは満足そうに笑った。
「ティナ」
「何?」
名を呼ばれオイゲンを見た瞬間、ティナの頬にキスが落とされた。一瞬だったが、わざとらしくリップ音を響かせた男はティナの手から落ちそうになる鞄を奪う。
「何故恥ずかしがるんだ?その通りだろうが」
頬を抑えたまま呆けるティナにオイゲンは意地悪く笑うと、用意した馬車に荷物を詰め込んだ。そして、ティナの前に手を出す。
「奥さん、参りましょうか」
わざとらしいキザな表情にティナはしょうがないと微笑む。だがその顔は不思議と幸せそうに見えた。
オイゲンのエスコートの元、馬車に乗り込んだティナ。当然の様にオイゲンはティナの隣に腰を下ろす。
窓から見える景色はまだ王都だが、これから懐かしい緑溢れる風景に変わって行くのだろう。
押してダメなら引いてみろと作戦を変えたオイゲンの策に見事にハマったティナ。
手のひらで転がされたと気付く日は恐らく無いのだろう。でもきっと気付いたところでもう怒りはしない。だってティナはこれから5人の子供に恵まれ、2年後に生まれる王太子妃リリアナの息子の乳母となり忙しい日々を過ごすのだ。そんな小さな事に怒りはしない。
それにオイゲンの愛はティナが思っているよりも大きく、重く、それなりに幸せとなるのだ。転がされた結果が幸せであれば問題は無いだろう。
「結婚、するなんて思ってもみなかったな」
ティナの呟きにオイゲンが『おい』と驚いた様に笑った。それにつられてティナも笑う。
こんな日々がずっと続けば良い。ティナはそう思いながら実家までの道を馬車に揺られる。窓の外の風景は既に見知った懐かしい景色を映していた。
最後までご覧頂きありがとうございました。
少し長めですみません。
本当はオイゲン目線の4年間を書こうと思ったのですが、それを入れると更に長くなると思い、カットしました。機会があれば書くかもしれません。
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ありがとうございました。




