異譚85 アフーム=ザー
炎の手足を駆使して冷たい炎と戦うロデスコを、呆然と見つめるエイボン。
「あり得ない……手足を失ったんだぞ? なのに、どうして直ぐに立ち向かえる……?」
エイボンが呆然とするのも当然だろう。手足を失って平常心を保てる者は居ない。居たとすれば、驚異的な回復能力を持つ者か心なんて持たない者くらいだろう。
狼狽し、嘆き、自身の失った自由を思って泣き喚く事だろう。そして呆然自失となり、全てを諦める。殊更、死の危険が多い異譚では尚更だろう。
エイボンは幾つもの異譚を見て来た。ロデスコと同じような状況に陥った魔法少女も居た。その魔法少女は泣き喚くだけでロデスコのように戦線復帰する事は無かった。そして、この先の人生に絶望をしながら魔法少女を引退した。
それほどまでの出来事なのだ。にもかかわらず、ロデスコは即座に戦線復帰を選んだ。選んだだけでは無く、魔法を手足同然に操る順応力も見せた。極めつけには、今では笑みすら浮かべている。それも、純粋無垢な満面の笑みである。
笑みを浮かべ、縦横無尽に宙を舞う流星は冷たい太陽を圧倒する。
「キヒヒ。計画が狂ったね、エイボン」
唐突に聞こえてくる声に、呆然としていたエイボンの意識が現実に引き戻される。
「チェシャ猫……」
いつの間にか自身の横に座る一匹の猫。
三日月のようににんまりと笑みを浮かべるチェシャ猫を見て、エイボンは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「何の用だい?」
「キヒヒ。計画の失敗を笑いに来たのさ」
「相も変わらず嫌な猫だ……」
「キヒヒ。君に良い顔をする必要なんて無いからね」
「まさかとは思うが、あれは君の仕業じゃないだろうね?」
「キヒヒ。まさか。彼女の精神は彼女自身のものさ。猫らなんかが介入できるもんじゃないよ」
「ならどうしてあの精神性になる! 両手両足を失って、その上で本来の実力の半分を出している冷たい太陽に立ち向かおうと思える!」
「キヒヒ。さぁね。所詮は傍観者でしかない猫らに、彼女のマインドを理解する事は出来ないよ。それに、失態の一手を演じたのは確実に君自身さ」
「それは……どういう意味かな?」
「キヒヒ。どうもうこうも無いさ。魔導士エイボンよ」
怒気と困惑入り交じる表情のエイボンに、チェシャ猫はもったいぶった間を作り、満面の笑みで言う。
「人間を、嘗めるなと言う事さ」
チェシャ猫とエイボンが相対しているその間も、ロデスコとアフーム=ザーは激しい戦闘を繰り広げていた。
エイボンの言う通り、冷たい太陽――アフーム=ザーは本来の力の半分程の出力でロデスコと戦っている。
アフーム=ザー程の神性であれば、多少の力の流入だけで異譚侵度Sの出力を出す事が出来る。むしろ、それが限界とも言える。
アフーム=ザーの力が強力すぎて、アフーム=ザーの力を流し込まれた素体は顕現時点で既に容量一杯なのである。それ以上の力を使おうとすれば、素体は限界を超えて魔力暴走状態に陥る。
結果、異譚支配者として身体の維持が出来ず、数分、長くとも十分程で自壊する。
現在のアフーム=ザーがまさにその状態であり、本来の力の半分の出力を出せているとは言え、後数分で自壊する。放っておいても、アフーム=ザーは消滅して異譚は終わる。
異譚が終わるという事はつまり、アフーム=ザーの負けと言う事になる。それでも、アフーム=ザーが消滅する前に異譚を覆う暗幕は完全に消滅し、その余波を直接町に広げる事だろう。
それに、アフーム=ザーを圧倒しているロデスコではあるけれど、もう一度あの強烈な爆発をされれば無事では済まない。今のロデスコであれば自身の身を護る事は可能だろうけれど、町や生き残っている者達を護る事が出来ない。
戦闘の最中、ロデスコはアシェンプテル達の居た廃墟が無事である事を確認出来ていた。灰被りの城を使って何とか耐え忍んだのだろうと当たりをつけ、思考を直ぐにアフーム=ザーに戻した。
ロデスコの勝利条件はアフーム=ザーを倒す事だけでは無い。多くの命を護る事だ。
「今なら、アンタの気持ちが分かるわ。くっそ怖いわね、コレ」
あの日、望んで英雄となったアリス。はからずも、あの日のアリスと同じ状況。
アリスの気苦労は分かっていたつもりだった。それでも、結局同じ立場になるまでは本当に分かっていた訳では無かった。
自分が護らなければ、異譚の外の人まで被害が及ぶ。いつもと同じ事だけれど、今はただ一人。
ヴルトゥームの時も、海上都市も、アトラク=ナクアの時も、皆が居てくれた。一人で戦っている訳では無かった。無責任な気持ちも無かったし、アトラク=ナクアの時は世界どころか地球の終わりも目前であった。今とは比にならない危険度だった。
それでも、誰かが一緒に戦ってくれた。いつも、アリスが居てくれた。
それがどれだけ有難かったか、どれだけ頼りがいがあったか、今になって実感する。
アリスはきっと、ずっとこんな気持ちで戦ってきたのだ。あの日から、この恐怖に耐えながら戦ってきたのだ。
ただ一人、英雄のみが知る恐怖と戦ってきたのだ。
「アンタ、凄いわやっぱ。うん……凄い偉い。それに、凄い強いわ」
こんな恐怖を、こんな秘密を、ずっと抱え続けて来た。ただ一人で人々の命運を握る事の恐怖に、ずっと耐えて来たのだ。
「けど、今日からはアタシも同じ」
火力が上がる。ロデスコの炎は情熱と共に温度を上げる。
「アンタと同じ英雄になるわ。あの日の憧れなんかの為じゃない。アタシの意地の為でもない。心の底から愛してるアンタを、絶っっっっっっ対に一人になんかさせない!! その為に、アタシはコイツに勝つ!! 勝って生きて帰って、アンタにこの想いをぶつけるわ!!」
情熱的な告白と共に、更に温度が上がる。その熱気だけで、アフーム=ザーの冷気を纏う炎を弾く程に。
その姿に、アフーム=ザーは幻視する。かつて見えた父の姿を。
その姿を見て、様々な感情が湧き上がる。困惑、驚愕、憤怒、畏怖、恐怖、それらを押し退けて沸き上がる一番の感情、それは歓喜。
その感情を認めた直後、アフーム=ザーも火勢を増す。
互いに理解する。互いが一撃で終わらせようとしている事に。
そして、これが、正真正銘最後の攻防であると。




