異譚39 黒薔薇散華
落ちていた意識がゆったりと浮上する。
現状を把握できずに意識を失う前の事を思い出す。
閃光、衝撃、熱。
「よ゛っ……う゛あ゛っ、喉焼けだ……ぁぁ……よく生きてたな、私……」
意識を失う直前の事を鮮明に思い出し、あれだけの衝撃と熱波を受けて生きている自分に感心する。
だが、呑気に感心している場合ではない。あれが異譚支配者である事は確実だ。早く起き上がって、倒さなくては――
「う゛……ぁ? あぁ……もう駄目かぁ……」
起き上がろうとして、自身がもう戦えない事に気付く。
自身の身体は、上半身を除いて全てが焼失していた。その上半身も両腕は炭化する程に燃えており、もはや身体を起き上がらせる事すら出来ない。
ブラックローズは気付いていないけれど、顔も身体も所々が炭化する程に酷い火傷を負っている。今生きているだけでも奇跡と言える状態だ。
だが、こうなってしまえば助からない。最早回復魔法でも回復不可能な損傷だ。後は死に逝くだけ。そもそも、常人であれば腹から下が亡くなった時点で死亡している。今生きていられるのは、ひとえに火傷で止血されているのと、魔法少女が常人よりも頑丈だからだ。
ブラックローズは咄嗟に防御態勢を取れたけれど、他の三人はそうもいかないだろう。三人共倒れてしまっていたので、そのまま焼かれて死んでいるはずだ。
「……白奈……アリスちゃ……げほっ、おぇっ……!!」
言葉の途中で血反吐を吐く。焼けた喉で無理に声を出したからだろう。
二人が心配だ。けれど、この身体ではもう助けに行く事は出来ない。
そもそも、生きているかどうかすら怪しい。消耗しており、至近距離だったとはいえ、魔法少女が一撃で瀕死になる攻撃だ。あの威力であれば、熱波は異譚中に広がった事だろう。
ブラックローズにはアリスと白奈の状況が分からない。一緒に居るのかも、まだ合流していないのかも、生きているのか死んでいるのかも分からないのだ。
心配だけれど何も出来ない。二人の事を知るすべがブラックローズにはもう無い。
絶対に死ねないのに、帰ったらちゃんと話をしようと言ったのに、もう一度ちゃんと家族として暮らしたいのに、ブラックローズにはもう次が無い。
「キヒヒ。良かった、まだ生きてた」
「――っ」
事態を諦観していたその時、聞き慣れた声が直ぐ傍から聞こえてくる。
視線をやれば、そこにはもふもふな生物――チェシャ猫が鎮座していた。
これは異譚が終わった後に知る事になるのだが、熱波の影響で異譚の範囲が倍以上に急激に膨れ上がってしまっていた。熱波は常人に耐えられる熱量では無く、異譚に飲み込まれた時点で常人は全て死に絶えている。
魔力の宿った炎が揺らめき、かつ倍以上に膨れ上がった異譚の中を、チェシャ猫は微かなブラックローズの魔力を頼りに探し出したのだ。
今の二人に必要な言葉を持っているのはブラックローズだけだったから。
チェシャ猫はブラックローズの様子を見ると、短く告げる。
「二人は生きてるよ。何か、伝える事はあるかい?」
ブラックローズはもう長くない。それこそ、次の瞬間には消えてしまいそうな程か細い命だ。奇跡的に生きている内に、手早く言葉を聞き届けなければいけない。
ブラックローズもそれを覚っているのだろう。微かな笑みを浮かべながら、ゆっくりと口を動かす。
「一言一句、間違えないでよね……。白奈、ごめんなさい。私のせいで、白奈の幸せまで奪ってしまった。本当に、駄目な母親よね……。でもね、こんな駄目な母親でも、自信を持って言える事があるの」
途中、苦しそうに顔を顰めながらも、ブラックローズは焼け爛れた喉で必至に言葉を紡ぐ。
「……愛してる。私は……家族を愛してるわ。それだけは、自信を持って言える。今も、これからも、ずっと、ずっと愛してるわ」
ブラックローズは咳き込みながら血反吐を吐く。
もう長くは無い。意識も朦朧としてきた。視界も霞んでいる。
本当はもっともっと言いたい事がある。家族の事、将来の事、白奈の色んな先の事。ごめんなさいも愛してるも百回言っても足りないくらいだ。
けれど、それと同じくらい、アリスに伝えなければいけない言葉があるのだ。
「アリスちゃん……アリスちゃんはね……」
ブラックローズは視線をチェシャ猫から空へと向ける。
煙が上がり、暗幕が閉じた、不気味で気味の悪い空。
「アリスちゃんは、もっと自由で良いの。恐怖で自分を縛り付けないで……もっと、もっと感情を解き放って良いの。自分の感情を怖がらないで。自分を押し殺したりしないで……。感情を押し殺せば楽だよね。分かるよ……私も同じだったから。でもね、それは自分を削るだけ……その先には、何も無いんだよ」
削れば削る程、自分が無くなっていく。生きているはずなのに、自分が死んでいく。
「アリスちゃんは……アリスちゃんのために泣いて良い。笑って良い。怒って良い。……感情を、言葉にして……」
唇がゆっくりと動かなくなっていく。肺から空気を送り出せない。
それでも、ブラックローズは最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ。
「ねぇアリスちゃん……大好きだよ。私の子供に、したいく……らい……大好き。アリスちゃんは、どう……? 私と、白奈と、家族に……なって……くれる……?」
返事が聞けない事が悔やまれる。一緒に過ごせない事が悔やまれる。こんな別れ方しか出来なかった事が悔やまれる。
まだ生きたい未来が在った。まだ一緒に居たい人達が居た。まだ過ごしたい世界が在った。
ああ、まだ全然未練たらたらだ。
後悔も心配もある。
あんな化け物じみた異譚支配者を任せてしまう事に申し訳無さもある。
それでも、もう自分はこの世界から退場なのだ。
涙がこぼれる。
最後の最後で、自分勝手を通したのにこのざまだ。本当に、幸せを選べない自分に呆れてしまう。
走馬灯のようにこれまでの事が頭を過ぎる。いや、これは紛れも無く走馬灯だろう。なにせ、嫌な事も楽しかった事も混ぜこぜになって思い起こされるのだから。
ブラックローズは笑みを浮かべる。楽しい事ばかりの人生では無かったけれど、それでも、確かな幸福の中で生きていた。それをぬくもりと知れただけでも自分がこの世界を生きて来た価値はあったと思える。
「愛してる、よ……私の、可愛い……子供、達…………」
零れ落ちた涙が地面に落ちる。
ブラックローズの目から光が消える。
「しっかり、伝えるよ。黒奈。それと、アリスの事、本当にありがとう」
ぺこりと頭を下げるチェシャ猫。
「後は、任せておくれ」
頭を下げたチェシャ猫は次の瞬間には姿を消す。
残された亡骸は炎に包まれる。
たった一人に看取られ、黒奈の人生は幕を閉じた。




