異譚11 好ましくない来訪者
春花の勉強は黒奈が教えようと思っていた。これでも、勉強は出来る方だ。とはいえ、中学生だった時分などもう二十年も前の事。春花と一緒に勉強をし直そうと思っていた、のだけれど……。
「キヒヒ。アリス、分からないところがあったら、ちゃんと猫に聞くんだよ?」
「うん……」
かりかりとテキストにペンを走らせる春花と、春花とテキストを挟むように陣取るチェシャ猫。
なんとチェシャ猫は勉強が出来るようで、教師さながらに春花に教鞭を振るっている。
チェシャ猫の教えが完璧過ぎて、黒奈はまるで出番が無い。
ぼけっとしながら春花の勉強を見守る黒奈。
そうして、午前中の座学が終わればお昼ご飯である。
「春花ちゃん、今日は何が食べたい?」
「…………」
黒奈に訊ねられた春花は、視線を巡らせて食べたい料理を考える。
けれど、元々食に対しての欲求が薄い春花は、特に食べたいものは思い浮かばない。
「な、なんでも……」
「なんでもかぁ……」
なんでもが一番困る。なんて定番の台詞は言わない。冗談でも、言ってしまえば春花は傷付いてしまうだろうから。
しかし、困ったように小首を傾げる黒奈を見て、春花は申し訳無さそうに視線を下げる。
これでフォローをする方が春花が傷付いてしまうので、黒奈はコミカルに身体を揺らしながら冷蔵庫を開ける。
「何が良いかな~。何作ろうかな~」
食材はいくらか買ってあるので、冷蔵庫の中にはそこそこ食材が充実している。
「よしっ! じゃあ、今日はオムライス作ろう! ケチャップで絵を描いてあげるね~」
黒奈の一存で、今日のお昼ご飯はオムライスに決定した。
早速食材を取り出して、二人で料理を作っていく。
まな板を二つ用意し、テーブルの上に置く。
水で洗った玉ねぎを半分に切って、外の皮を向く。
玉ねぎをみじん切りにした後、ニンジンとピーマンもみじん切りにしていく。
「前から思ってたけど、春花ちゃん手際良いわね」
記憶喪失前にずっと料理をしていたのだろう。手際も良く、調理器具の扱いも慣れたものである。
「ぁ……ぅ……」
褒められて照れているのか、春花は視線を上げる事無く黙々と料理を続ける。
「キヒヒ。アリスは料理上手さ。良い御婿さんになれるよ」
「そうね。今の時代、男の人も料理出来なくちゃね~。それに、そうじゃなくても、一緒に料理出来るのも楽しいからね~」
とんとんとんと包丁捌きは軽快になる。
二人は慣れた手つきでオムライスを作っていく。
綺麗にオムライスを作った二人は、対面に座ってオムライスを食べる。
「キヒヒ。アリス、猫にもちょうだい」
「……はい」
一口分をスプーンに乗せ、春花はチェシャ猫に食べさせる。
「キヒヒ。美味しい」
明らかにチェシャ猫の口にスプーンが入っているけれど、春花は気にした様子も無く続きを食べる。
「チェシャ猫……変なの食べて無いわよね?」
流石に、猫と粘膜接触は不衛生だろうと思ったけれど、チェシャ猫は普通の猫では無い。流石に虫を食べたりはしていないだろうと思いたい。
「キヒヒ。大丈夫さ。猫は美食家なのさ。美味しい物しか食べて無いよ」
「そう。なら、大丈夫、かしら……?」
「キヒヒ。そうとも」
春花は黒奈が何を危惧しているのか分かっていないのか、二人の会話を聞いても小首を傾げるばかりである。
楽しいお昼を過ごした後は、少し休んでから訓練をする事にした。
春花のみ魔法少女へと変身してから、訓練室へと向かった。
訓練室に入れば、黒奈も魔法少女へと変身する。
黒薔薇と茨の装飾が施されたブレスレットが淡く光り輝き、黒奈の身体を包み込む。
身体を茨が縛り付け、幾つもの黒薔薇が咲き誇る。
咲き誇った黒薔薇が一斉に散り乱れ、黒薔薇の花吹雪の中から一人の魔法少女が姿を現す。
黒のゴシックロリータだけれど、何処か洗練された機能美が伺える衣裳。ふんわりし過ぎず、さりとて細すぎず。可愛らしさは損なわずに、しかし、甘さは控えめとなっている。
花の英雄。魔法少女ブラックローズ。約二十年ぶりになる変身である。
「えへへ。久し振りの変身って、ちょっと照れるね」
照れたように笑うブラックローズ。しかし、アリスは特にリアクションを返す事無く、ブラックローズを眺める。
ぼーっとしているアリスを見ていると、心なしか春花の面影が薄いように感じる。
外見的な話ではなく、雰囲気や行動。立ち方や視線がいつもの春花とは大きく違うのだ。
「キヒヒ。恰好良いじゃないか。ね、アリス」
「うん」
ブラックローズの疑念を余所に、チェシャ猫は呑気に感想を述べる。
「ありがとう。さ、それじゃあ魔法の訓練を開始しましょう。魔法は反復練習よ。何度も魔法を行使して身体に魔法を発動する感覚を叩きこむの」
言って、ブラックローズは自身の拳に黒薔薇の魔力を込め、勢いよく突き出す。
黒薔薇の花びらが散り、表撃が空を伝いアリスの頬を撫ぜる。
「私の場合、近接格闘が主体だから、魔力を込めながら近接戦を行う訓練をしこたまやって来たわ。簡単そうに見えるけど、相手の行動を認識しながら、迎撃の最適解を導き出して、魔力を込めて魔法の準備をして、的確なタイミングで相手に叩きこむ。これを一から順にじゃ無くて同時に行わなければいけないの」
「キヒヒ。すんごいマルチタスクだね。出来そうかい、アリス?」
「分かんない……」
チェシャ猫の問いに正直に答えるアリス。
「最初は出来なくても問題無いわ。そのための反復練習なんだから。それにね、魔法少女は独りで戦う訳じゃ無い。チーム単位で戦うのが主流よ。アリスちゃんは遠距離戦が得意だろうから、近接戦を誰かに任せて後ろから援護する形になると思うわ」
とは言うけれど、アリスが他の誰かと一緒に戦えるとは思えない。実力的にもそうだけれど、精神的にもだ。
アリスはブラックローズを同類だと認識しているのか、辛うじて普通に接する事が出来ている。とはいえ、まだまだ会話に花を咲かせる程に心を開いてくれている訳では無い。
アリスがご飯を食べられるようになる切っ掛けを作った事で、少しだけ心を開いてくれている状態だ。
現状、チームとして組むのであれば現実的な相手はブラックローズだけだろう。
「もし仮に、次に異譚が発生したら、アリスちゃんと組むのは私一人だよ。それに、最初は避難誘導と雑魚の処理だけだから、あんまり危険は無いよ」
とはいえ、異譚生命体も危険な事には変わりない。油断していればやられるのはこちらの方だ。
「じゃあ、魔法を使って攻撃の練習しようか。的を用意するから、ちょっと待っててね」
「キヒヒ。大丈夫さ。アリス」
「うん……」
こくりと頷き、アリスは右手を前に出す。
そうすれば、アリス達より離れた位置に五つの人型の的が出現する。
「ほんとになんでも出来るのね……」
「キヒヒ。殆どなんでも、さ。万能だけど、全能じゃ無いんだ」
「へぇ、そうなのね。じゃあ、今日は魔法の練習と、出来る事と出来ない事を教えて――」
貰えるかしら。そう言おうとした時、訓練室の扉が音を立てて乱暴に開かれる。
見やれば、そこには不機嫌そうな顔をした一人の少女が立っていた。
「テメェか、童話の新入りは。後輩の癖にオレに挨拶もしに来ねぇなんて、良い度胸してんじゃねぇか」
その少女が誰だかは分からないけれど、言葉の端々で彼女が何者かを察する事が出来る。
そして、彼女の来訪が好ましいものでは無い事も、容易に想像する事が出来た。




