◆第90話・幕間◆ 『魔の手』
時は、12月31日――新年の前日に巻き戻る。
この頃、とあるクラスの女子たちの間で妙な噂が広がっていた。その噂というものは、学校あるあると括ってしまっても問題ない類いのもの。ただ、その噂の影には何やら不穏なものが隠れているように感じられた。
「ねぇ、知ってる? さっきすっごくビックリなニュース聞いちゃった」
「ニュース? なにそれ」
誰もその噂を疑ってはいない。少しずつ広まる噂は、波紋を広げていく。今日もまた、誰かの口によって、情報は広まった。
「――北条くんと朝比奈さん、最近付き合い始めたらしいよ。この間二人でデートしてるとこが見つかったらしいの!」
「え、本当? でも北条くんって星宮さんのことが好きって話だった気がするけど......」
所詮、噂でしかない。そしてその噂は、本当に『偽り』だ。
***
「殺しちゃった。まあ、正確には『死んじゃった』が正解かな」
「は?」
雪の降る夕暮れ、とある公園で二人の男女が会話をしていた。人懐っこい爽やかな笑みを浮かべる不気味な男子と、青ざめた顔をするツインテールの女子。とてもじゃないが、和んだ雰囲気とは言い難い。
「殺したって......バカじゃないの北条くん! さ、さすがに冗談だよね?」
「さすがの俺もこんな悪趣味な冗談はしないよ。殺すつもりはなかったんだけど、まさかあんなうまくいくとはね。少し計算外だったかな」
「は......はぁ?」
男子の――北条康弘の変わらぬ笑みが、目の前の女子――朝比奈美結を照らす。言っている内容と表情の差が、余計彼の不気味さを際立てていた。
「私、そこまでしろなんて言ってない! というか、普通に考えて人殺しはありえないでしょ!?」
「手段は任せるって言ったのは朝比奈さんだろ? なら、どんな結果でも受け入れるべきじゃない? 俺は、君の復讐を手伝った」
「......っ。もっと他にやり方があったでしょ!」
「うんあったよ。沢山あるやり方の内、選ばれたのが今回の結果だよ」
悪びれもせず、口調一つ変えずに言葉を交わす北条。表情こそは笑みだが、その裏に張りついているものはどす黒い。そして北条は、今の会話の真意を語る。
「――天馬の母親。俺がガードレールのない崖際の狭い道路に誘導させて、そこで俺が天馬の母親の進行方向に飛び出す。俺に驚いた天馬の母親は急カーブを切ってバランスを崩して、崖からそのまま落下していった。正直うまくいくとは期待していなかったけど、上出来すぎるな」
ひきつった邪悪な笑みと共に、『すべての黒幕』は最悪の事実を口にした。
「なんたって親だ。今ごろ、胸が張り裂けそうなほどに悲しんでるだろうな。誰よりも長く過ごして、頼ってきた存在の死。並大抵の人間じゃ、そう簡単に事実を受け止めきれない」
誰に聞かせているわけでもなく、北条は冷えついた表情で持論を語る。彼が今脳内で考えていることは誰も理解することはできない。一体彼の瞳にはどこまで映されているのか。北条の底知れなさが、朝比奈の背筋を凍らせる。
「......大事なこと聞くけど、北条くんのやったこと、誰にもバレてないよね? バレてないっていうか、バレないよね?」
「俺がそんなミス犯すとでも? ただの運転ミスに見せるよう、軽く細工をしておいた。まさか俺のせいとは、誰も気づかないさ」
「......そう言われて安心しちゃうの、なんか腹立つ」
何も安心できるところはないが、北条の言葉に感覚マヒした朝比奈は胸を撫で下ろす。とはいっても、不気味なオーラを放つ北条の言葉には妙な説得力があった。それも含めて、朝比奈は北条に対して腹を立ててしまう。
「それで朝比奈さん、頼まれた復讐は完了したけど、満足?」
「やりすぎなのよ......でも、まぁいい。天馬庵にはめちゃくちゃ恥かかされたんだから、これくらい......当然、よ」
朝比奈の脳裏に蘇るのは、とある秋の日のこと。忘れもしない、北条が星宮に公開告白をした、あの翌日。
北条に好かれた星宮に嫉妬した朝比奈は、星宮をいじめていた。しかし、その計画は思うようにはいかず、最終的には庵の存在によって、朝比奈は星宮の目の前で大恥をかくことになったのだ。
それから朝比奈は庵のことを恨み、復讐の機会を伺おうとしていた。しかし、朝比奈は庵に弱味を握られている。それは庵が『星宮に対するいじめの様子を記録した音声』を所持していること。それを手に持つ庵は、いつでも先生に訴えて、朝比奈を追い詰めることができるのだ。
復讐の機会は伺うが、そのタイミングは来ないものだと半ば諦めかけていた。そんな中、朝比奈の前に現れた人物が――、
「......北条くん」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
名を呼んだ朝比奈を北条が不思議そうに見つめるが、朝比奈は溜め息をつきながらごまかした。何もかもを見通していそうなこの男とは、余計な話をすることはなるべく控えたいところである。
「それで朝比奈さん。俺は君の復讐を手伝った。ギブアンドテイクだ。俺は君に申し分のないギブをしたんだから、素晴らしいテイクを期待してもいいかな?」
「......まぁ、交換条件だったしね。やれることはやるわよ」
「良い返事だね」
無論、北条もただで朝比奈の復讐を手伝っているわけではない。二人は利害の一致があって、このように手を組んでいる。だが、北条が朝比奈に求めるテイクは、そうそう簡単にこなせるものではない。
「......星宮の弱味を握れ。無いなら作れ、でしょ」
朝比奈の狙いは庵。北条の狙いは――星宮。
庵への復讐が終わった今、次なる標的は星宮へと移る。北条が出した指示だけでは、朝比奈にはまだ何を狙っているのか分からない。彼の最終的な目的はまだ誰にも明かされていないのだ。
ただ、朝比奈が北条の指示を完遂したとき、何かが始まることは確かだろう。それがどれくらい恐ろしいものなのか、朝比奈には想像もつかない。
「そういえば一つ言っておくけど、朝比奈さんが俺の指示を終えても、まだ君には役に立ってもらう」
「は? そんなの聞いてないし」
「うん言ってない。何か文句ある?」
「――」
爽やかな笑顔なのに、目が笑っていない。再び背筋を凍らせた朝比奈は、喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
「......ないわよ。手伝えばいいんでしょ」
「それでいいんだよ。何も、難しい事をお願いするわけじゃないから。なんなら、朝比奈さんの得意分野なんじゃないかな」
「そんなこと言われても分かんないわよ」
「それもそうだね。まぁ、次の指示は今の指示を朝比奈さんがクリアしてから言うよ」
「精神的にも肉体的にも楽なの期待してる」
平気で人殺し紛いのことをする北条のことだから、期待するだけ無駄。そうとは分かっていても、めんどくさい事には巻き込まれたくないと思う。だが北条からギブを受けた以上、朝比奈にはテイクを返す義務があるのだ。
「......そういえば、最近私と北条くんが付き合ってるみたいな噂が流れてるんだけど」
「ああ、そうらしいね。最近は外でもよく会うし、誰かに見られてても無理はないんじゃない。でも実際には違うんだから気にする必要ないよ」
「そうじゃなくてさ......私が嫌なのよ。もう私は北条くんのこと好きじゃないし、新しい恋を始めるのに邪魔なの」
「......へぇ驚いた。俺に諦めつけて、前向くのか」
「なんかその言い方腹立つ。でも、そういうこと。ていうか、北条くんの本性知ったら誰だって冷めるでしょ」
「はは。手厳しいな」
そんな会話をして、北条はぐっと伸びをする。底の見えない、不気味な笑みを浮かべていた。
「さて、もう少ししたら三学期か」
「......そうね」
「ははっ。超楽しみだな」
気味の悪い笑い声が聞こえる。朝比奈が横を見れば、北条は顔を覆うように手を当て、その指の隙間からギロリと瞳を楽しそうに輝かせている。その不気味さは、朝比奈が思わず「う」と声を漏らしてしまうほどだ。
「――俺が沢山愛してやるよ、星宮さん」
今、この瞬間だけは本性をさらけだす。こうして、最恐の存在は――黒幕は本格的に動き出した。
手段を選ばない最悪の魔の手は、既に直ぐ近くまで忍び寄っている。
北条?朝比奈?誰?ってなった方は第一章を見てもらえれば幸いです。
なんでこいつら仲良くなってんだ?と、疑問を持たれた方。いずれ詳しい背景を書くのでお待ちください。




