◆第88話◆ 『正義と正義のぶつかり合い』
「琥珀ちゃん......!」
息切れしながら現れた星宮の姿に、愛利は大きく目を見開いていた。真っ直ぐこちらへと――いや、庵の方へと向かってくる星宮に、愛利はいつの間にか庵の胸ぐらを放してしまう。
「天馬くんっ。大丈夫ですか!?」
「なんとか大丈夫、かな。だから、心配しなくていいよ」
「嘘、ついてませんよね? 何か嫌なこと言われたり、されたりしませんでしたか?」
「だから大丈夫だって。嘘ついてないから」
地べたに座り込み、だいぶ疲弊した様子を顔に張りつける庵。星宮は心配そうにマリンブルー色の瞳を震わせて、己の拳を握りしめた。
まさか、知らない間に庵がピンチになっているなんて思いもしなかった。危うく、昨日ようやく立ち直るスタートラインに立った庵が、また転んでしまうはめになるとこだ。
愛利と何を話していたかは分からないが、内容によっては今の庵には劇薬となりかねない。
「ごめんなさい。私が天馬くんから目を離したから......」
「星宮に非はないだろ」
「私が、無理言って天馬くんにお願いした初詣です。だから、悪いのは私です」
「......どういう理論だよ」
めちゃくちゃな暴論に庵は言葉を失うが、もう一人、庵以上に頭を困惑させている人物がいた。それは、完全に置いてきぼりにされてしまっている愛利。
「ちょ、ちょっと琥珀ちゃん!」
慌てた様子で割り込む愛利。名前を呼ばれ、星宮がゆっくりと振り向く。愛利の困惑した表情に対して、星宮は若干涙目で愛利を威圧するような表情をしていた。尚、怖いというより可愛い。
「......なんですか」
「えっ、いや、なんでそんな庵先輩と仲良くしてるの。普通に考えて、おかしいじゃん」
仲良くという表現はやや語弊があるような気もするが、混乱した愛利の語彙力ではこれが精一杯だった。
「天馬くんと仲良くして、何がおかしいんですか」
「何がおかしいって......っ。琥珀ちゃんは、そいつに殴られたんでしょ!? 歯も折られて、めちゃくちゃ辛い思いをしたんだよね? なのになんで、そいつとまだ関わろうとするの。そんなの、おかしいじゃん」
愛利は何も変なことは言っていない。正論中の正論を、口にしている。
「確かに天馬くんは私に酷いことしましたけど、昨日謝ってくれました。だから、もういいんです。私の中でその話はもう終わっています」
「いや意味分からんわ。謝って済む話じゃないでしょ。庵先輩は、顔を殴ったんだよ? 歯も折れたんでしょ? そんな簡単に許していいわけないじゃん」
「折れた歯は親知らずです。だから大丈夫です」
「どこも大丈夫じゃないでしょ......!」
正論は星宮の暴論に押されてしまい、愛利の持つ手札は消えていってしまう。そもそも、愛利は星宮のためを思ってこのような行動を取っているのだ。しかし、それを星宮に妨害されてしまえぱ本末転倒。庵を追いつめる理由が無くなってしまう。
だが、愛利もここまで庵を追いつめてしまった以上、引くに引けない。それに、愛利はまだ何も間違ったことは言っていないのだ。
「......琥珀ちゃん! 庵先輩とは、絶対別れるべきだよ」
「っ」
愛利の包み隠さないストレートな言葉に、星宮は表情を歪めた。その星宮の変化に、愛利は息を飲む。泣いていた。
「なんで前島さんはっ、そんなに天馬くんのことを否定するんですかっ」
力強い涙声が、愛利に放たれる。顔を赤くさせ、涙を溢す。お互いの正義がぶつかり合った。
「暴力を振ったくらい、私は全く気にしてません! 辛かったのは、私ではなく、天馬くんの方です。なんで天馬くんが私に暴力振ったか、前島さんは知っているんですか!? 知らないのなら、天馬くんだけが一方的に悪いって勝手に決めつけていたんですか!?」
「いや、知らないけど......でもどんな理由があっても、女の子に暴力振るとかありえない」
「前島さんの中ではありえなくても、私の中ではありえるんですっ。理不尽な暴力ならまだしも、ちゃんと理由があるんですよ? しかも天馬くんはその事について既に謝ってくれたんです。なら、もうそれでいいじゃないですかっ」
「でも、また庵先輩が暴力振るうかもしれないじゃん。一回やったんだから、二回目も全然ありえるよ。今は反省してるかもしれないけど、また時間が経てば同じようなことを――」
「仮定の話をしないでくださいっ。前島さんは、天馬くんの何を知って、そんな事を決めつけているんですかっ」
ここまで星宮に言われ、愛利は最早恐怖すら感じ出した。その恐怖心の中から思いついた言葉は『歪んだ恋』。それが一番、愛利の中でしっくりとする気がした。
「......なんでアタシが、悪者みたいになってんの」
愛利は星宮の放つ圧に負け、一歩ずつ後ずさる。その様子に、星宮は少しだけ目を細めた。別に星宮は、愛利を悪者扱いしたいわけではない。それに、どちらかといえば、正しいことを言っているのは愛利なのだから。
「前島さんは悪者じゃないですよ。勿論、天馬くんも。どうしても悪者が必要なら、私が悪者になります。悪者扱いには、慣れてますから」
「悪者扱いには慣れている』。その言葉にはどこか重みがあり、誰も言葉を返すことができなかった。
「――私は、恋愛とか何も分からない不器用な人間です。それでも、私は私なりに......人並みに恋愛をしてみたいんです。それができる唯一の異性が、天馬くんしか居ないんです」
「――」
「だからこれ以上、私の大切なモノを奪わないでください。もう、うんざりなんです」
愛利の顔が激しく歪む。さっきまでの威勢は消え去り、完全に星宮の言葉に翻弄されていた。最早、星宮に反論する気も起きないだろう。
そんな弱りきった愛利にトドメを刺すかの如く、星宮が続けて口を開く。
「前島さんが私たちのためを思ってくれるのは嬉しいです。でも、これは天馬くんと私の問題なんですから、これ以上は関わらないでください」
「――」
「あと、今日はとっても楽しい日になる予定のはずなんです。だから前島さん、今日はもう帰ってください」
オブラートに包むことなく、ストレートに言葉をぶつける星宮。その理由は、せっかくの初詣を邪魔された苛立ちや、庵を傷つけられたことによる怒りといったところか。
こんな事を言われてしまえば、愛利にはどうしようもない。最後に、未だ地べたに座り込む庵を一瞥してから後ろを振り向いた。
「琥珀ちゃんが許しても、私は一生庵先輩を許すつもりはないから」
「......」
「......」
「あんたたち、ちょっとおかしいよ」
その言葉を最後に、愛利は神社から姿を消した。
そうして最後の壁はなんとか取り払われたが、釈然としない結末を迎えてしまった。これではまるで愛利が悪者のような扱いだが、そんなことは全くない。愛利は、ただ自分の正義を貫き通したかっただけなのだ。
***
時は午後を過ぎた。
「じゃあ、俺は仕事に戻ろうと思う。二人とも、気をつけて帰るんだよ」
騒動を終えたあと、ちょうど恭次がこの神社に到着し、そのまま初詣は続行となった。その間に特別なことは何もなかったが、強いといえば、恭次のおみぐじの結果が大吉だったことくらいだろうか。
「それじゃあ、私たちも帰りましょうか」
「そうだな」
長いようで短かった初詣は終わり、二人は並んで帰路を歩き出す。空はいつの間にか日の光を閉ざして、曇り空となっていた。
「今日は楽しかったですか? 天馬くん」
「あぁ、楽しかったよ」
「嘘ですね」
「はい?」
まさかの星宮の返しに庵は間抜けな声を漏らす。しかし星宮の表情は至って真面目。冗談を言っているような雰囲気は感じ取れなかった。
「今日の天馬くん、なんかずっと作り笑いを浮かべてる感じでしたよ。前島さんに会ってからは、更に酷かったです」
「......バレてたか」
「はい。それくらいお見通しなんですから」
確信がついてるかのような言い方。星宮の言う通り、庵は今日ずっと星宮を楽しませようと自分を偽り続けてきた。しかし、どうやら星宮にはお見通しだった様子。
「星宮には迷惑かけ通しだったし、今日は楽しんでもらいたかったんだよ。まぁ、バレてたんなら逆効果だったかもな」
「そんなことないですよ。その気持ちはとっても嬉しいです」
「......そっか」
ヤケクソ気味に、庵は自分を偽った理由を口にする。だが星宮は多くを口にすることはなく、少しだけ照れた様子で感謝を伝えていた。
そんな照れた様子の星宮だが、いつの間にかその表情は引き締まっている。
「――天馬くん」
「なんだ?」
「私は今日の初詣、とっても楽しかったです。本当に良い思い出になりました」
「......ならよかった」
庵は返す言葉を迷うが、結果無難な返事をする。
すると突然、星宮の歩みが止まった。その事に庵は遅れて気づき、困惑しながら後ろを振り向く。そして庵は息を飲んだ。
そこには、笑顔とも泣き顔とも形容し難い表情をする星宮が居た。
「本当に、楽しかったです。やっぱり天馬くんといると、落ち着きますね」
「......急に何言ってんだ」
繰り返し、今日の感想を伝える星宮。そして露骨すぎる庵へのアピール。庵は首を傾げるが、次の星宮の言葉によって更に頭を困惑させることなる。
「今から私、天馬くんの部屋に行きたいです」
「は?」
脈略の無さすぎる唐突なお願い。そして――、
「――天馬くんに、大切なお話があるんです」
風が吹けば散ってしまいそうな、儚い表情。マリンブルー色の瞳が庵だけを映していた。
次回、第二章最終話




