◆第84話◆ 『傷だらけの二人』
思い返せば、今日は庵にとっても星宮にとっても激動の一日だった。お互いの思いをぶつけ合い、激しく言い合い、どれだけ二人の感情が昂ったことか。そのときの二人に割り込む隙はどこにも無かっただろう。
そんな事がありつつも、最後は涙を流してお互いに落としどころを見つけることができた。丸く収まったといえば、そう言えるのだろうか。丸くは収まっていなかったとしても、この収め方が星宮にできる限界だった。
そうして、そんな激動の一日も終わりを迎えるが――、
「じゃあ、帰りは俺の父さんが車で送ってくれるから」
「わざわざありがとうございます」
庵が先に部屋から出ようとすると、星宮が「あっ」と溢して庵の袖を掴んだ。
「えっ、どうした」
「あの、急なんですけど、一つ天馬くんにお願いがあるんです」
「お願い?」
本当に急なので、庵は困惑した様子で首を傾げた。星宮はコクリと頷いてから、言いにくそうに口を開く。
「えっと、ですね......その、初詣......で」
「初詣?」
久しぶりに聞く初詣というワードに、庵はピクリと反応した。
天馬家+星宮で行く予定であった初詣。しかし青美の死という不幸が重なって、結局行かずに終わってしまった。いろいろとありすぎて忘れ去られていた初詣だが、今になって思い出す。
「行けなかった初詣に、行きたいです。――天馬くんのお父さんも一緒に」
上目遣いで、そう言われた。その宝石級の破壊力に、庵は呼吸を詰まらせる。今だって荒れていた精神状態なのに、ここまでドキドキしてしまうなんて。
ドキドキしつつも、頭は回す。明日は特に予定があるわけでもないし、庵は星宮との関係にこれ以上亀裂を生ませたくないと考える。星宮を喜ばせるためにも、ここは首を縦に振るのが正解か。
「......まあ、別にいいけど」
「本当ですかっ!?」
星宮がグッと距離を詰めてくる。良い香りがふわりとして、心臓がドキリとした。女子は何故良い香りがするのか。そんなな疑問はともかく、宝石級の表情が、庵の顔近くまできて――、
「じゃあ、明日行きましょう。朝イチですっ」
「は、はぁ?」
顔をひきつらせる庵。それもそのはず、単純にまさか明日行くとは思わなかったから。
「星宮、明日学校だろ。サボる気か?」
「はいっ。皆勤賞じゃなくなってしまいますけど、そうします」
「皆勤賞って......そんな自信満々にサボるって言われてもな」
「天馬くんは明日、学校行けるんですか?」
「まあサボるけど」
マリンブルー色の瞳をキラキラとさせる星宮。どうやら明日は学校を休む気満々の様子。そして今日まで学校皆勤賞という偉業をさりげなく成し遂げていたらしい。
庵ももうしばらくは登校する予定はないので、明日の朝イチでも都合は合う。恭次も仕事さえ終わらせれば、おそらくだが来れるだろう。
ただ、今の精神状態では庵はあまり気が乗らない。しかし星宮の前ではそんなこと口に出さない。もうこれ以上、星宮を傷つけたくないから。
「じゃあ、決まりですねっ」
「ちょい星宮近い」
「ああ、すみません。つい......」
喜んでいるところ悪いが、距離感は大切だ。実際、さっきまでの星宮の話は30%くらい頭からすっぽぬけていた。何度も繰り返すが、星宮は心臓に悪い。
「そういえば、俺の母さんが星宮に初詣用の着物買ってたしな」
「あっ」
ふと、庵はその事を思い出す。何か深い意味を込めて口にしたわけではない。しかしこの呟きを耳にした星宮は、表情をあからさまに曇らせて――、
「......すみません。ちょっと、デリカシーのない話をしてしまいましたね」
「はい? 何が」
「何がって......だって、天馬くんのお母さんは、着物を私のために買いに行って......それで」
「あ......」
星宮の表情が曇った理由に納得がつく。
青美の死は交通事故が原因。その交通事故は青美が星宮のために着物を買って帰ろうとしている最中に発生したものだ。
だからこそ星宮は、初詣の話題を振ったことを申し訳なく思ってしまったのだ。とはいっても、この事故に星宮が何か関与しているわけではない。だから、今の庵は別にそこまで気にしてはいないが。
「あ.....そういえば、そうだったな」
ふと思い出す。そもそも、星宮が何で青美の死の背景を知っているのか。それは、庵が星宮を傷つけた『あの日』に突きつけた言葉。
『誰のせいで、母さんが死んだと思ってんだよ。星宮。――お前のせいだよ』
ありえないくらいに理不尽で、暴論で、最低で。そんな最悪な言葉を、庵は星宮に突きつけていた。どうりで星宮が今気まずそうにしているわけだ。ここまで星宮に気を遣わせて、本当に申し訳なく思う。
「もう大丈夫だ星宮。あんまり気にすんな。母さんの事故は星宮何も悪くないだろ。だから、大丈夫」
「......天馬くん、優しすぎです。天馬くんはそうはいっても、私にもちゃんと責任はあるんですよ」
「星宮に責任は無いよ。大丈夫って言ってるだろ」
「でも......」
星宮はまだ何か言葉を続けようとする。だけど、続けさせたくはなかった。だからこそ言葉を被せる。
「着物姿楽しみにしてる」
「話し逸らさないでくださいっ」
青美の話はもうしたくなかったから話題を逸らす。思い出せば出すほど、胸が締め付けられてしまう。なので、星宮に虚勢を張ってるのがバレる前に、青美の話は切るべきだ。
そして話題を逸らすために庵が適当に放った一言だが、どうやらそれが思いの外クリティカルヒットしたらしく、しばらく星宮は無口になっていた。星宮はストレートな言葉に弱いらしい。
***
そうして、恭次に送ってもらった星宮は自宅のマンションに帰宅した。
暗い部屋に電気を付け、荷物を置き、上着を脱ぐ。身軽な服装へと変わり、そのままベッドへとダイブした。枕元のクマのぬいぐるみがぽすんと倒れる。
「ん~~~っ」
ありとあらゆる緊張から解放された星宮は、足をジタバタとさせながら、小さく声を上げた。そして近くの枕を引き寄せて、それに顔を埋めるようにして握りしめる。いつの間にか顔は真っ赤に染まっていた。
「......よく頑張りました、私」
今日くらいは自分を称賛してもいいだろう。庵を救える可能性は未知数ではあったが、それを星宮はやってのけた。庵が電車に轢かれかけるというハプニングは想定外だったが、結果、それが庵の考えをねじ曲げる決定打となったのだ。
この着地は、まさに理想的な素晴らしい結末といえるだろう。
「まぁ、まだ終わったわけじゃないですけど」
いくらか気持ちの昂りが落ち着いた星宮。ベッドから立ち上がり、帰る前に庵から受け取った『着物』を手にとってみる。ビニール袋に包まれたそれは、とても高そうだ。
「ピンクの花柄......可愛い」
優しく着物を握りしめて、星宮はゆっくりと目を細める。この着物は、青美が星宮のために買ってくれた『最後』の贈り物。どれだけの思いがこの着物に詰まっているのか、星宮はきっと理解しきることはできない。
でもきっと、この着物には温かな思いが沢山詰まっている。だからこそ、星宮はもう後ろめたさを感じるわけにはいかない。
「明日は、いっぱい思い出を作ります。初めての初詣なんですから......見守っててください、天馬くんのお母さん」
この着物を着て、可愛いを意識して、庵を驚かせて、精一杯初詣を楽しんで――、
「楽しみ、ですね......」
本当に心の底から楽しみに思う。庵とまた何でもない一日を楽しく過ごせることを、星宮はずっと待っていたのだから。
「......」
しかし、楽しみと独り言を溢すわりには、星宮の表情は優れていなかった。マリンブルー色の瞳が悲しそうに揺らぎ、下を向く。誰にも読み解くことはできないだろう、その複雑な表情の裏には、大きな懸念が隠されていて――、
「初詣が終わったら――」
話を戻すが、星宮は庵と何でもない日々をまた過ごすことを心から望んでいる。しかしそれは、庵が普段通りであることが必須条件だ。
今の庵の精神状況は相変わらず不安定。前を向き始めたとはいっても、まだ庵の心に大きな変化は何も起きていない。となると、普段通りの庵に戻るには時間を要するのだ。
このまま庵と星宮が交際関係を続けることも勿論可能だが、それはもしかするとお互いに望んでいないことかもしれない。
「......何弱気になってるんですか。一週間前から、覚悟してたことなんです。だから、友達も頑張って作ったのに」
庵だけが心がボロボロなわけじゃない。星宮だって、心はツギハギだらけのボロボロなのだ。お互い、そのボロボロを直そうと努力を始めている。
庵は、心に刻まれた沢山の傷を癒やそうと。
星宮は、過去のトラウマを克服し、再び人間関係を構築していこうと。
「明日もまた、大変な一日になりそうですね」
激動の一日は、あともう一日だけ続く。
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