◆第71話◆ 『困惑と虚無と冷静と殺意』
「......何してんの、アンタ」
前島愛利の低い声が店内に響く。そんな愛利に登場に、星宮は息を飲み、店長は目を細めた。この突然の闖入者に、空気は分かりやすく一瞬にして凍りついたのである。
「前島さん......っ」
愛利の放つ不穏な雰囲気に、星宮は危険を察知する。庵と愛利が今、とても険悪な関係にあるという事を星宮はまだ知らない。だが本能的な何かが、今庵と愛利を対面させてはいけないと訴えていたのだ。
まさに一触即発の状況といったところだが、案の定というべきか、庵は愛利の逆鱗に触れていくことになる。
「いや、は?」
――庵は、愛利が目の前に居るのにも関わらず無視をし、店内から出ようとしたのだ。
その庵の行動に愛利は目を大きく見開き、数秒硬直する。しかしその硬直は数秒。直ぐに愛利は後ろを振り返り、一人カップ麺の山を手にして、何事もなかったかのように店内から出ていこうとする庵の肩を掴んだ。
「無視してんじゃねーよ庵先輩っ!!」
「っ」
愛利は荒い言葉をぶつけ、そのまま肩を引っ張って庵のバランスを崩す。バランスを崩された庵は後ろ側に転び、レジ袋に詰められていたカップ麺が全て床にぶちまけられた。
「きゃっ。大丈夫ですか天馬くん!」
大きな音を立て、盛大に転んだ庵。星宮はその身を心配して庵の元へ駆け寄ろうとするが、それよりも早く愛利が動く。
愛利は尻餅をつく庵の胸ぐらを掴み、強引に庵を立ち上がらせた。
「立ってよ庵先輩。どの面下げてここに来たのか、話聞かせてよ」
「――」
愛利の冷えきった言葉に、庵は虚ろな瞳をする。ボーッと愛利の瞳を見つめ返すが、直ぐに逸らした。
「ッ。だから無視してんじゃねーよ!!! アンタ昨日はぺちゃくちゃ喋ってたでしょ!!!」
痺れを切らした愛利は、庵の胸ぐらを乱暴に揺らす。そんな愛利の乱暴に、庵は抵抗の一つもせず、ただされるがまま愛利に身を委ねていた。その様子を例えるとするならば、腹を空かした獰猛な肉食獣を前にして、何の抵抗も無しに棒立ちをするかのような奇行だ。
だが何も喋ろうとせず、ぴくりとも生理的な反応を見せない庵に対し、さすがの愛利も違和感を感じだす。愛利の顔が、庵の顔に至近距離まで迫った。
「......なんで何も喋らないの!! 彼女に暴力振った男が、どの面下げて琥珀ちゃんに会いにきたのか聞かせなさいよ!!」
「......ぇよ」
「は? 何? もっとはっきり喋って」
ようやく、何かを口にした庵。しかし、もごもごとしていてうまくは聞き取れず、愛利は不機嫌そうに聞き返す。
そうして、再び庵の口が開く。
「――知らねぇよ」
今度ははっきりと、愛利の耳にも届いた。その短い言葉は愛利の思考を激しく揺さぶり、本当に庵の口から出てきたのかさえ疑ってしまう。何せ、庵から反抗的な言葉が出るとは思いもしなかったからだ。
昨日は、借りてきた猫のように弱っていた庵。なのに今、彼はまるで怖いものなしを謳うかのごとく、愛利に噛みついたのだ。
「......は? 今アンタ、アタシになんて言ったの?」
「知らねぇって言ったんだよ。お前らの事なんか、俺は興味ねょよ。何一人で勝手に盛り上がってんだ」
愛利の動きが止まる。星宮も、店長さえも息を飲んだ。これは愛利の逆鱗に触れるどころか、最早逆鱗を引き剥がしてしまったと表現した方がいいのかもしれない。
しかし庵の発言はこれで終わらない。愛利の思考が停止している中、追い討ちをかけるかのごとく、口を開く。
「俺はここにカップ麺を買いに来たんだ。別に星宮に会いにきたわけじゃねーんだよ。勝手な妄想すんな」
「――」
「というか部外者のお前が、勝手に俺たちの問題に首突っ込んでくんなよ。お前こそ何様だよ気持ち悪い。俺は疲れてんだから、もう話しかけてくんな」
「――」
「星宮のことなんかもう、どうでもいいんだよ」
堂々と庵は、今一番愛利の目の前で言ってはいけない禁句を抑揚の無い声で言い放った。対する愛利は理解不能といった様子で、ボーッと虚空を見つめる。
時間の流れが遅くなったかのような錯覚。壁に設置されているエアコンの音が、嫌に響く。一秒、一秒とゆっくりと時が流れて――、
「――ッ。死ねやぁぁぁあ!!!」
瞬間、暴言と共に放たれた愛利の足蹴りは、庵の腹部に直撃した。庵は声も出さずにその場にぶっ倒れ、軽く胃酸を溢した。
***
「――ッ。天馬くん!!!」
星宮の悲痛な声が響く。誰よりも早く倒れた庵に近づいた星宮は、直ぐさま安否を確認した。幸い、致命傷を喰らったというわけではないようで、意識は途切れておらず、呼吸が若干乱れているくらいの容態。それでも、愛利の強烈な一撃をモロに喰らった事実は変わらない。
そして、まだ問題はこれからだ。今の一撃で愛利の気が収まると思うのなら、それは彼女を甘く見すぎである。
「殺してやるっ!!! このクソ男がっ!!! 殺してやるっ!!!」
目を爛々とさせ、暴走した愛利が、更なる追撃を仕掛けようと倒れている庵目掛けて迫ってくる。しかも、今庵の側には星宮も居るので、このままでは最悪星宮まで巻き添えを喰らう可能性があった。
「――やめてくださいっ! 前島さん!」
無視したのか、声が耳に届いていないのかは分からないが、愛利は星宮の言葉を黙殺。星宮は目を瞑り、巻き添えを喰らうことを一瞬覚悟する。
だが、来るべき衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。
「......え?」
星宮が目を開けば、そこには大きな背中が立っている。その頼りがいのある姿に星宮は言葉を失った。
庵と星宮を庇い、愛利の暴走を止めた人物。――店長は歯ぎしりしながら二人の壁となり、愛利の腕を掴んで彼女を制御していた。
「落ち着きなさい前島さん! 暴力はよくないだろう!」
「うっせぇ黙れ!!! 黙れ!!! 離せ!!!」
「とにかく落ち着きなさいっ。下手をしたら警察を呼ばないといけなくなる! 君はそれでもいいのかい!?」
店長の必死の訴えに対し、愛利は一切の聞く耳を持たない。『警察』というワードは、出すと誰もが怯んでしまうパワーワード。だがそんなワードでさえ、今の愛利の暴走の抑制には何も役立たなかった。
「黙れよ店長!!! こいつはっ、このクソ男は今ッ、琥珀ちゃんのことバカにしやがった!!! 殴って、歯を折って、めちゃくちゃ琥珀ちゃんを傷つけた分際で、琥珀ちゃんをバカにしてたんだよ!!!」
「――っ。分かったから落ち着きなさい!」
「絶対に殺してやる――ッ!!!」
「っ」
今は店長が壁となり守ってくれているが、店長はだいぶ高齢の人間だ。若き肉体を持つ元気いっぱいな愛利には、到底体力が劣る。つまり、いつ愛利の暴力が再び庵に降り注ぐかは時間の問題。さっきのような殺意のある一撃を何度も喰らえば、本当に命の危機だ。
そこで店長は後ろをチラリと振り向き、汗ばんだ顔で星宮に声をかけた。
「星宮さんっ。天馬くんの様子は大丈夫そうかい!?」
「えっと、多分大丈夫ですっ。目も開いてるし、呼吸もしてます!」
いつの間にか庵を膝枕していた星宮は、店長にそう状況を報告する。それを聞いた店長は目を細め、愛利の体を抑えながら、語気を荒くして星宮に指示を出した。
「――なら、天馬くんを連れて、今すぐここから出ていきなさい! 前島さんは、なんとか私がおとなしくさせるよ」
「て、店長さんは大丈夫なんですか!?」
「君たちは私の心配をしている暇ではないだろう!」
「っ。分かり、ました」
店長が下した判断に、星宮は辛そうに頷く。正直な話、星宮には店長が愛利を抑え続けられるビジョンが見えない。年老いた老人と、今を生きる若い女子高生では力の差は雲泥の差。二人が取っ組み合いをし続けて、どういう結末を迎えるかは火を見るより明らかだ。
だが、ここで星宮にできることは何もないだろう。せっかく店長が切り開いてくれた活路を、無下にするわけにはいかない。苦渋の判断ではあるが、星宮は店長の指示通り、動き出す。
「天馬くんっ。歩けますか? 今から走りますよっ!」
「――」
この状況でも相変わらず、庵は虚ろな瞳をしたまま無口。しかし今はそんなことに文句をつけている場合ではない。星宮は腕を引っ張って、強引に庵を立ち上がらせる。
「早く逃げなさい! 二人とも!」
店長の語気が荒い。だいぶ体力を消耗しているのか、かなり息切れをしている様子だった。星宮は一秒一秒を惜しみ、庵の肩を揺らす。
「天馬くんっ。走ってください天馬くん! 今は緊急事態なんですっ。ボーッとしてますけど意味分かりますか!? エマージェンシーなんですっ! 」
「......俺のカップ麺」
「そんなの後で回収すればいいじゃないですか!? 早くっ。今しか逃げれないんです!!!」
庵が言うことを聞かないので、星宮はしょうがなく庵の腕を引っ張り、強引に走らせる。
その慌ただしいやり取りを最後に、星宮と庵はコンビニから逃走した。夕焼けに照らされながら、二人は当てもなく遠くへと走っていく。複雑な思いを胸に抱きながら、星宮は無我夢中で庵の腕を引っ張り続けた。店長の無事を祈りながら。
「――絶対に許さないから!!! 本当にぶっ殺してやる!!! 庵先輩ッ!!!」
最後に、後ろの方からそんな声が聞こえた気がした。
次話を終えたら、ようやく物語に一区切りがつきそうです。
それと、未定ではありますがキャラの設定集を近いうちに出そうかなとも考えています。




