◆第66話◆ 『宝石級美少女は見透かされる』
どれくらいの間、意識を失っていたのだろうか。気づいてみれば、太陽の位置が最後に見たときよりもだいぶ高くなっている。おそらく、もう午後が近いのだろう。
「......」
目が覚めてみれば、愛利はもうその場に居なかった。あまりの扱いの酷さに文句をつけたくなるが、そのような気力はどこにもない。まずは、傷の応急措置が必要だ。
「......痛っ」
全身にまんべんなく華麗な足蹴りを叩き込んできた愛利。その威力と手加減の無さは酷いもので、口内は切れて血まみれになり、全身はアザだらけになっている。着ていたパジャマも蹴られた跡がそのまま残ってズタボロの状態なので、これは洗濯必須だ。
「......はぁ......はぁ」
口内に広がる鉄の味が気持ち悪いのと、一歩歩くごとに全身に駆け巡る激痛。それらが家まで帰ろうとする庵を苦しめる。足を引きずりながら歩くと、周囲の異様な目で見る視線が突き刺さった。それじゃなくてもボロボロなので、周囲の視線を集めてしまうだろうが。
「......こんなんで、葬式、行けんのかよ」
今日の夜には青美の葬式を控えている。果たして、こんなボロボロの状態で葬式に参加しても大丈夫なのだろうか。
「うぁ......」
――それよりも、あとどれくらい庵の心は持つのだろうか。
それじゃなくても、庵の心には沢山の傷が刻みついている。もうズタズタのボロボロだ。きっと、あと少しでも刺激が加われば完全に壊れてしまうだろう。
もう、これ以上は耐えきれない。
***
同刻。コンビニにて。
「おしぼりと割りばしを付けてください。あとレジ袋も」
「はい。えっと......レジ袋はご利用になられますか?」
「......? そう言ったはずだけど?」
「えっ。ご、ごめんなさい。今準備します」
レジであたふたと接客する宝石級美少女――星宮琥珀。面接を経て、見事採用を果たした星宮は念願のコンビニバイトを行っていた。
コンビニ制服姿となった星宮の姿はまた一段と美しく、彼女が視界に入った者は思わず二度見してしまうほどの存在感を放っている。透き通るような美声も、様々な人間を惹き付ける理由の一つだ。
「ありがとうございました......」
ただ、今日の星宮は少し様子がおかしかった。どうおかしいか簡潔に表現するならば、今の星宮には覇気が無い。笑顔も少なく、纏う雰囲気はどこか重いのだ。
「――ちょっと星宮さん。こっち来てくれるかい」
「え?」
嗄れた声に名前を呼ばれ、星宮は後ろを振り向く。すると、関係者のみ入れる扉から手招きをする店長が見えた。星宮はあたふたと店長の元まで小走りで向かっていく。
「なんでしょうか?」
店長の元まで来て、おずおずと話しかける星宮。対する店長は難しそうな顔をしていて、腰に手を当てながら「うーん」と唸っている。もしかして何かやらかしてしまったのではと考えるが、それは当たらずとも遠からずだ。
「星宮さん。接客なんだけど、もうちょっと元気良くできないかい? さっきから君の接客を見させてもらってたけど、ちょっと暗くてね。あれじゃお客さんも心配しちゃうよ」
「っ。すみませんっ。次から気をつけます」
店長からの指導に頭を下げ、慌てた声で謝る。実は星宮も自分が全体的に暗くなっているという自覚はあったのだが、自覚があっても隠しきれなかったのだ。溢れる気持ちを抑え込もうとしても、直ぐに心からマイナスな感情が溢れてくる。それが、ここ最近ずっとだ。
ずっと暗い雰囲気を纏う星宮に対し、店長は不安そうに首を傾げる。シワだらけの手で自身の顎に手を当て、口を開いた。
「......何か、あったのかい?」
「え?」
店長の探るような言葉に、星宮が顔を上げる。
「見たことある表情だよ、それは。なんかあったんだろう」
「見たことある表情......?」
店長の言葉を反芻し、今度は星宮が首を傾げた。見たことある表情とはどういうことだろうか。
「うん。前、天馬くんが私に見せた表情にそっくりだ。彼も、今の君と同じような暗い顔してたよ。ちょうど二ヶ月前くらいだったかな?」
「天馬くん、ですか」
急に出てきた庵の名前に星宮はビクンと肩を揺らした。少しだけ心臓の鼓動が早まる。
「ああ。君はまだ会ったことがないかもしれないけど、彼もここでバイトしているよ」
「いえ、天馬くんのことはとてもよく知っています......二ヶ月前の事を覚えてるなんてすごいですね、店長さん」
「はっはっ。記憶力には自信があってねぇ......まだまだボケちゃいないみたいだ」
そして二ヶ月前に庵がここで暗い表情をしていたという情報。こんな細かい事まで覚えている店長の記憶力は尊敬に値するが、それよりも星宮は少し引っかかることがあった。
(二ヶ月前って、ちょうど天馬くんと付き合いだした頃だったような......)
庵と星宮の恋愛感情ゼロの交際関係が始まったのは、約二ヶ月前。だがその事と、庵の二ヶ月前の表情が関係してくるかなんて分かる筈もないし、考えすぎにも程がある。
頭を軽く振って余計な考えを捨て、星宮は前を向く。無理をしてでも明るい表情を作り上げた。
「......それでは仕事に戻ります。次からは、気をつけます」
明るい表情。愛想の良さ。それらを強く意識して、星宮は店長に背を向けた。レジに戻るのだ。
「ああ待ちなさい。今日はもう君はレジに立たなくていいよ」
「え?」
意気込んでレジに戻ろうとすれば、まさかの言葉。その急な言葉に星宮の体はぴくりと跳ねた。まさかクビになったのではという突拍子もない考えが生まれてくる。
だが勿論、星宮がクビになったわけではない。
「そんな様子じゃ、お客さんが困ってしまうからね。残りの時間は私が代わりにレジに立とう」
「......そ、そんなに私の表情酷いですか?」
「酷くはないよ。ただね、私が見てられないんだ」
店長は星宮を追い越し、先に店内に繋がる扉に手をかける。扉を潜りながら店長は星宮に振り返り、にこやかに微笑んだ。
「学生に悩みは付き物だ。私みたいなおいぼれでいいなら、小さなことだけでも相談に乗るよ」
一月中は無理かもしれないってのと、明日も更新します




