◆第59話◆ 『少しずつ崩れゆく』
病院の外から出る。突き刺さるように吹き荒れる雪風。いつの間にか時は夜になっていたらしい。しかしそんな事を気にも留めず、庵はおぼつかない足取りで恭次の車の扉を開き、中に乗り込んだ。
「......」
父と子の間にまとわりつく地獄の空気。無論、会話は何も流れず、薄暗い車内の中に沈黙だけが流れた。
「......」
窓に頭をもたれかけ、感情を失った瞳でボーッと外を見た。そうすれば運悪く、母と父と子で手を繋ぎながら歩く家族の姿が視界に映る。だが、もう庵の心は傷心しきったのか何も感じることはなかった。
「俺は、まだやらないといけないことが沢山ある。家に着いたら直ぐ出るから、お前は冷蔵庫の中から好きに夜飯を食べて寝ておけ」
不意に恭次に声をかけられる。だが、何か言葉を返す気にはならなかった。
「......」
「返事くらいしろ」
少々苛立った恭次の言葉。しかし、庵は無視を貫いた。すると車内に大きな音が響き渡る。恭次の足蹴りだった。
「返事をしろと言っているだろ!!!」
らしくもなく、大声で怒鳴り付けてくる恭次。やはり恭次も庵と同様に精神が不安定なのか、冷静さを欠いているのだろう。
――そんな父に対し、庵は舌打ちをした。
「うるせぇよ」
「あぁ!? お前は一体誰に向かって口を聞いているんだ!?」
庵の言葉を皮切りに、恭次の堪忍袋の緒が切れる。再び、恭次の足蹴りが車内に響き渡った。
「辛いのはお前だけじゃないんだぞ!? 俺だって必死こいて涙堪えてお前の相手をしてやってんだ!!! なのにお前のその態度はなんだ!!! 俺を舐めてるのか!? 親に対してそれがお前の態度なのか!?」
「――」
「俺はお前を真っ当な人間に育てたつもりだ!!! なのにその舐め腐った態度はなんだ!? 反抗期とでも言う気か!? だとしても、時と場合というものがあるだろうがあぁ!!!」
「――」
捲し立てるように言葉を発する恭次に対し、庵は微動だにもせずに無反応。恭次の方も向かずに、虚ろな瞳で窓の奥を見続けている。父の言葉に何も感じていないのだ。しかし、恭次の放つ足蹴りが何度も車内を振動させており、その振動だけが、庵に不快感を感じさせた。
「クソがっ! 気が悪いっ。早く家に戻れ!!」
また恭次の罵声が耳に届く。だが、今はもう何も考えたくなかった。
***
家に到着して、庵は玄関の扉を開く。開ければ、部屋の電気が何も付いていないことに気が付いた。いつもの天馬家なら、この時間帯はまだ消灯の時間ではない。
「......そりゃ、母さん居ないもんな」
喪失感を感じながら、独り言をぽつりと呟き、自分でリビングの電気を付ける。そして自室のある二階の階段へと向かっていった。
「......」
自室に戻れば、いつも通りの光景が広がっている。昼飯の牛丼弁当のゴミ、脱ぎ散らかしたパジャマ、ベットに放り投げられたスマホ。庵は何も考えずに自分のスマホを掴んだ。
「......あ」
スマホを起動すると、通知が溜まっていることに気づく。確認してみれば星宮からのメッセージだった。画面を操作し、メッセージアプリを開く。
『既読無視しないでください』
涙を流す猫のようなスタンプと共に送られていた星宮からのメッセージ。庵はそれを見て目を細める。
「......そういえば、なんか送ってきてたな」
記憶を遡れば、星宮から初詣の服装について質問がきて、返信をしようとしたタイミングで恭次から電話がかかったのだ。それが最悪の始まりだった。
庵は星宮とのメッセージ画面をしばらく見つめる。どう返信をするか迷っているわけではない。
「......」
――庵はおもむろに星宮との通話ボタンを押した。
「......」
スマホを片手で持ち、星宮が応答するまでしばらく待つ。数秒経ったあと、星宮に通話が繋がった。
『あっ。天馬くんですか? 急に通話なんて、どうし......』
『――星宮』
星宮の声を遮り、庵は言葉を放つ。庵のあまりの重々しい声に、通話越しの星宮は少し困惑していた。
『えっと......天馬くん? どうかしたんですか?』
不安そうに問いかける星宮。だが、庵はその問いに答えない。ただ一言だけ星宮に言い放った。
『――しばらく俺に関わらないでくれ』
『えっ? ちょっと、天馬く』
星宮が何か言い切る前に、庵は星宮との通話を切った。たった数秒の通話時間だった。
第29話と第31話を大きく加筆修正しました




