◆第58話◆ 『ふざけるなよ』
それから庵は、後から部屋に入ってきた警察官に声をかけられ、別室に移動させられた。狭く、薄暗い部屋で、中年の警察官と二人きりになる。
「お兄ちゃん。辛いと思うけど、今からワシの話が聞けるかいな?」
「――」
「ダメだったら、もう少し時間を空けてからでもええで。お兄ちゃんの親父さんにはもう同じ話はしたけど、どうする?」
同情するように話しかけてくる警察官は、庵を急かさない。沈黙が流れ、部屋の時計の針の音が妙に響く。庵の顔はうつむいたままなかなか上がらなかった。
「......ダメそうかいな?」
庵の顔を覗きこむように話しかける警察官。その言葉に、庵は少しだけ顔を上げる。感情の無い瞳のまま、口を開いた。
「教えて、ください。母さんに何があったんですか」
短く言葉を発する。その覚悟に頷いた警察官は、手元のファイルを開き、何かを確認し始めた。
そして、真実は語られる。
「――死因は交通事故による、脊髄圧迫骨折。簡単に言えば、首の骨の骨折や。ワシが現場を見た感じだと、道路が凍結しとってな。それが事故の原因になったかも分からん」
「交通事故......?」
警察官から聞かされた言葉を復唱する。庵は今の言葉に違和感を感じた。
「近くに他の自動車は無かったらしくて、接触事故の可能性は無いらしいわ。ガードレールが無かったのが悪かったんやと思う。それで――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
庵は警察官の口を止め、心臓の鼓動を抑えながら口を開く。できるだけ冷静を保ちながら言葉を発した。
「交通事故って......それは、昼に起きたんですか?」
「え? ああ、ちょっと待ってな。えーと......うん。せやな。13時23分に通報が入っているわ」
「......は?」
庵は目を丸くする。頭の中には『何故』という疑問しか浮かばない。
「その時間帯は母さん仕事場に居る筈です。昼食はいつも社員食堂で取っているって言ってて......だから、その時間帯に母さんが車を運転しているのはありえない。ありえないんです!」
「いや、そんなことを言われてもなあ。何か仕事の用事があったかも分からんし、断定することはできんよ」
「っ。でもっ。母さんの仕事で、車を使うようなことはなくて......!」
警察官に反論され、一気に自分が放った言葉に自信を失う。そもそも、死因は交通事故と決まっているのに、何故その根本的な部分を否定しようとしているのか。その答えは、自分の中で既に出ているのに。
「......ああっ。くそがあぁっ!!!」
警察官を気にせず、やるせない気持ちを拳に乗せて、手加減無しに机を叩いた。警察官は庵の暴挙に何も口を出さず、憐れむような視線を向ける。
「くそがぁっ!!! くそがああぁっ!!!」
もう、自分の中で答えは出ている。何でこんなにも警察官の言う言葉が信じられないのか。青美の死体も見せられて、死因も聞かされて、何故まだ反論しようとするのか。
――それは、ただ庵が現実逃避をしたいだけなのだ。
「お兄ちゃん、辛い気持ちはよう分かるけど、一回落ち着こうや。ごめんけど、まだワシの話は終わってないんや」
「ッ。はぁ......はぁ......っ」
「ゆっくり深呼吸して、肩の力を抜きな。無理な話かもしれんけど、冷静になるんやで」
警察官に言われた通り、呼吸が荒れたまま深呼吸をする。泣いたばかりなので、息を吐くと、鼻水も同時に出てきてしまう。それを乱暴に服の袖で拭い、再び庵は警察官と向き合った。
「よっしゃ。落ち着けたな、偉いぞ」
庵の様子に警察官は満足そうな表情を浮かべる。すると何かを思い出した様子を見せる警察官はその場から立ち上がった。
「そうだ。ちょっとそこで待っててな。お兄ちゃんに見せたい物があるんや」
「――」
そう言われ、庵は首肯する。そして警察官がこの場に戻ってくるまでの数秒、何も考えることなく顔をうつむかせ続けた。
「お待たせ。ちょっとお兄ちゃんにこれを見てほしくてな」
「......これは?」
戻ってきた警察官が庵の目の前に置いた物は、トレーの上に乗せられた、ビニールに包まれた布のようなもの。ピンク色をベースとした色に花模様が散りばめられている。
庵は見せられた物の正体が分からず、困惑する。その反応を見た警察官はゆっくりと腕を組み、説明を始めた。
「これはお兄ちゃんのお母さんの車にあった物でな。見た感じ、おそらく着物や。簪も一緒に入ってる」
「着物......?」
「せや。あと、サイズ的にも大人が着るものじゃなさそうでな。近々新年迎えるから、お母さんが初詣のために買ったんじゃないかなあ。お兄ちゃん、妹とか居るん?」
警察官が問いを投げかける。しかし、その言葉は庵の耳にはもう届いていなかった。目を見開き、体を震わせる。心臓の鼓動の音が、耳に聞こえるくらいの爆音に変わり、息も荒くなった。
「は、初詣って......あ、あの、このビニール袋開けていいですか?」
「えっ? ああ、おお。構わんよ」
許可を取り、震える手でビニール袋の中から着物を取り出す。警察官の言う通り、中には簪も入っていた。着物の知識が一つもない庵でも高そうだと思える触り心地の良い生地。まさしく買ったばかりの新品のものだ。
「これ......」
着物と簪を一度机に置き、ビニール袋の中をもう一度確認する。中には白い紙の用な物がまだ入っていた。取り出してみると、それがメッセージカードだと直ぐに分かる。
庵はゆっくりとそのメッセージカードのテープを剥がし、中を開けた。出てくるのは一枚の紙。その紙に、庵は目を通す。
『星宮琥珀ちゃんへ。これは私が買った着物です。余計なおせっかいかもしれないけど、絶対琥珀ちゃんなら似合うと思うから、初詣で着て来てくれるとおばさん嬉しいな。琥珀ちゃんの着物姿、楽しみにしているよ』
読み切った瞬間、涙が溢れた。もう泣ききって涙は枯れきったと思ったのに、まだ涙は大量に溢れでた。メッセージカードをその場に落っことし、慟哭する。
「ふざけんなっ。ふざけんなよおっ......!!!」
「お、お兄ちゃん。突然どうしたんや」
突然泣き叫びだした庵に、警察官が困惑した様子を見せる。だが、最早庵の視界に警察官は映らない。机を何度も叩き、叩き続けた。
「勝手に着物買ってんじゃねえよ!!! こんな高いもん星宮に渡したら、星宮困るに決まってんだろ!!! 渡すんなら、母さんが自分で渡せよ!!!」
胸が張り裂けそうな思いを言葉にしてぶちまけ、叫び散らかす。声は枯れ、がらがらのまま叫び散らかした。
「死んだら着物姿も何も見れるわけねぇだろ!!! バカじゃねえの!? 何死んでんだよ!!! 初詣どうすんだよ!!!」
返ってくる答えは何もない。叫んで、泣いて、疲れて。もう何もする気力が無くなってしまい、机に突っ伏したまま嗚咽を溢し続けた。
これ以上は会話は不可能と感じたのか、警察官はもう何も話しかけてこなかった。庵の隣に椅子を置き、何も言わずに毛深い手で背中を擦り続けていた。
「うああぁっ。くそ、があぁ」
手に力を込めすぎたせいか、爪が肉に食い込み、流血している。しかし、その痛みを遥かに超える痛みを今味わっている。気が狂いそうな中、庵はまた涙を溢し続けた。




