◆第55話◆ 『また来年』
「......地獄絵図かよ」
死んだ魚のような目で天井を見上げる。視線を下ろせば、ダイニングテーブルに再び座り直した青美と星宮が視界に映った。そして庵の隣にはがたいのいい男が座っている。
「質問なんだが、二人はお互いを何て呼びあっているんだ?」
真面目な顔つきで中学生のようなことを質問しだす庵の父――恭次。
「て、天馬くんって呼んでます。お互いに苗字呼びです」
「なるほど苗字呼びか......初々しいな」
無精髭を擦りながら、感嘆の吐息を漏らす恭次。対する星宮の方は、初対面である恭次との会話に落ち着けないらしく、どこかそわそわしている。
「普段、庵とデートとかはするのか?」
「えっと......週2でするって、決めてます」
「デートはどういう内容を?」
「ど、どういうって......勉強したり、カフェに行ったりでしょうか」
「なるほど。やはり初々しいな」
捲し立てるように次々に星宮へと質問を投げかける恭次。家族団欒の時でもあまり口を開かない恭次がここまで饒舌なのは珍しく、顔に出してないだけで今とても興奮しているのだろう。だが、これ以上星宮が恭次に質問責めを喰らうのは見ていられない。というか見ていてむず痒い。
「それなら、庵とは――」
「そろそろ黙ってくれ父さん。てかここから消えてくれ。星宮引いてるし、俺も引いてる」
イラついた様子を隠さずに言えば、恭次はしぶしぶといった様子で口を閉じる。とりあえず父を制御した庵は大きく椅子の背にもたれかかり溜め息をついた。
「あんまり俺と星宮の関係をからかうなよ......」
庵と星宮はお互い合意の元で付き合っている。だが、その始まりはお互いに恋愛感情の無いままにスタートした。今の庵は星宮に対して恋愛感情を抱いていることを自覚しているが、星宮の今に関しては庵は何も知らない。
最近は前と比べてかなり距離感が縮んだ気がするが、以前庵は星宮にきっぱりと「恋愛感情はありません」と断言された。だから庵は、今も星宮は自分に対して恋愛感情を抱いていないと信じている。
もしかしたら最近星宮は自分のことを好きになっているのでは、なんてことを考えたりする。でも、こんなダメ人間のお手本みたいな男を、星宮みたいな宝石級美少女が好きになってくれるはずがないと、もしもの考えは直ぐに否定してきた。いくら考えたところで、本人に聞いてみない限りは正解は分からないのだ。
(星宮、俺の親なんかに絡まれて迷惑だろうなぁ)
次は青美に話題を振られている星宮。パタパタと顔の前で手を振ったり、宝石級の微笑みを混ぜたり、いちいち仕草がかわいい。思わず庵も頬を緩めてしまう。
(好きだなぁ)
何の捻りもない真っ直ぐな恋愛感情。星宮琥珀という女子高生に惹かれ、付き合いたいと庵は思う。付き合いたい、と。付き合いたい――、
(......あ? いや、付き合ってんじゃん。もう付き合ってんのに、なのに何で付き合いたいなんか)
急によく分からない感情に襲われた。もう、庵は星宮と交際関係なのに、デートだって、手を繋いだりだってしているのに。
(俺、何考えてんだ。星宮とはもう付き合って......)
――付き合うってなんだろう。何をもって付き合うっていうんだろう。
(俺は星宮が、好きだ。もっと色々なこと星宮としたいし、一緒にいたい)
――星宮と話したい。触れあいたい。
――でも、それは『今のまま』じゃ絶対にできない気がした。
(......何考えてんだ、俺)
まだ、星宮とは本当の意味で付き合ってなんかいない。今まで星宮としてきたものは、とても恋人としては不確かなものだ。
「――それじゃ、今年は琥珀ちゃんと一緒に初詣に行きましょうか」
「......は?」
どうやら考え事をしている間に、他三人は庵を無視して勝手に話を進めていたらしい。
***
そして時は流れ、ようやく天馬家から解放された星宮は帰宅することとなった。庵は星宮を見送るために外に出る。
「今日は色々と迷惑かけてごめん。本当、迷惑だったよな」
「いえ、そんな。全然迷惑じゃなかったですし、楽しかったまでありますよ」
「......はは。そっか」
星宮の言葉に小さく笑う。そうして自然と会話は途切れたのだが、庵は気持ちを引き締めて喉元まで出かけていた言葉を口にする。
「――星宮」
手袋をはめている最中の星宮に声をかける。星宮は何も言わずにこちらを振り向いてくれた。
「......星宮は、俺に恋愛感情は無いよな」
「え?」
思いがけないことを聞かれた星宮は面食らう。庵の表情は真剣そのもの。その真剣な光を宿した瞳に見つめられ、星宮は硬直した。
「......」
しばらくの沈黙が流れる。星宮の表情はなんとも言えない複雑な表情をしていて――、
「天馬くんは、どうなんですか?」
「え、俺?」
「はい。天馬くんは私に恋愛感情あるんですか?」
「俺が先に質問したんだけどな......」
「天馬くんが答えてくれたら私も答えます」
質問を質問で返されて、庵は言葉を詰まらした。星宮のマリンブルー色の瞳から感情は読み取れない。お互いに真面目な顔つきで考え込んだ。
でも、庵はここで「恋愛感情あります」と答えるわけにはいかなかった。理由は簡単、そんなこと言えるはずがないから。もしそんなことを言って星宮との関係が崩れたら、という不安があるからだ。
「......無い」
「......」
短く、庵は嘘をついた。以前と同じ回答だ。その言葉は確かに星宮に届いたらしく、星宮は微かに息を飲んだ。でも、直ぐに星宮は表情を和らげる。
「私も、ですよ」
吹き荒れた冷風が痛かった。とてもチクチクした感覚で、痛かった。
「......まぁ、そりゃ当たり前だよな。もともとそういう話だったし。それに、俺みたいなバカでだらしない男、好きになれるわけないよな」
「天馬くんは、私からしたら全然良い人です。何回も言ってますけど、天馬くんはもうちょっと自分に自信を持ってください」
「そういやそうだったな。......ごめん」
「......謝らなくても大丈夫です」
お互いに声に明るさが無い。
そうして庵は星宮に背を向けた。お見送りといっても星宮の自宅まで付き添うわけではない。何も考えれず、ボーッとしたまま、一歩一歩と道を踏みしめて――、
「あっ、天馬くん!」
「え?」
名前を呼ばれ、後ろを振り返る。そこにはマリンブルー色の瞳を震わせる宝石級美少女の姿がある。
「......ええと、天馬くん」
「どうしたんだよ」
しばらくの沈黙が流れる。星宮は喉元まで出かかっていた言葉を飲み込み、頭をブンブンと振って薄く笑ってみせた。分かりやすく、作り笑いだった。
「初詣、楽しみですねっ。今年も例年通り、屋台とか出るらしいですよ。時間があったら一緒に回りましょう」
絶対に今星宮が話そうとしていたことではない。でも、それをいちいち言及するわけにもいかないので庵は薄く笑みを浮かべる。
「勿論。楽しみだな」
「はい」
初詣に星宮を誘ったのは青美らしいが、三人の会話をあまり聞いていなかったためどういう会話が庵の親と星宮の間にあったのかは分からない。ただ、驚くべきことに星宮は初詣に今まで一回も行ったことがないらしい。星宮曰く、親が忙しいからと言っていたが真偽は不明だ。
「それじゃ、また来年」
「あっ。本当ですね、良いお年を」
次、二人が会うときは来年。年を越して、庵の家族を含めて星宮と四人の初詣。色々と新年から波乱はありそうだが、それはそれでありかもなと庵は思う。
――ただ、四人で初詣に行くことは、この先絶対にありえないことだった。
さて、始まります




