◇After Story第20話◇ 『約束』
――そこは、何もない真っ白な世界だった。
「ねぇホージョーくん。後悔してる?」
その場に足を組んでボーっと座っていたら、横から何者かが顔を覗き込んでくる。気だるげに顔を上げれば、後ろに手を組んだ制服姿の甘音アヤがそこにはいた。
「なんでお前がここにいんだよ」
「それは今は置いといてさ。ワタシの質問に答えてよ」
いじらしい笑みを浮かべる甘音に、北条は一つ溜め息をついた。一度甘音から視線を外し、遠い目で何もない地平線を眺めた。
答えは決まっている。
「あぁ、星宮を壊せなくて後悔してる。――これで満足か?」
ぶっきらぼうにそう答えたが、適当を言ったわけではない。北条は人生を賭けた復讐を成し遂げることができなかった。それも一番未練が残る形で、だ。これを後悔するな、という方が無理な話である。
「あははっ。やっぱりホージョーくんはホージョーくんだね」
「あ?」
そんな北条の回答を聞くと、甘音はお腹を抱えて悪びれもせず盛大に笑いだした。そんな彼女らしからぬ態度に、北条は若干の困惑を感じながら、低いうなり声を出す。少なくとも、今の話に笑えるポイントは一つもなかっただろう。それは、甘音もよく分かっているはずだ。
「アヤ、お前死んでまでして俺を冷やかしにきたのか?」
いくら大切な幼なじみと言えど、越えてはいけないラインというものがある。目尻に涙を浮かべるほど笑う甘音を強く睨み、その真意を伺った。
「違う違う、違うってば。だからそんな怖い顔で睨まないでよ」
「だったらなんで笑う。答えろ」
「それはホージョーくんがワタシの質問の意味を分かってなかったからだよ」
「......意味?」
北条は余計意味が分からず、また強く甘音を睨んだ。ただ、これくらいじゃ甘音はまったく怯まないことを北条は知っている。
涙を指先で拭った甘音が、常人であれば一秒も合わせられないだろう鋭い目つきに堂々と向き合った。
「ワタシが言いたかったのは、ワタシと幸せになるって未来を捨てたことを後悔してないの? ってこと」
「――」
甘音は指を立てて、ふふんと得意げに笑いながらそう言った。北条はそれを聞いて、さっきまで甘音に抱いていた感情がスッと消えていくのを感じる。
視線を外し、再び地平線を遠い目で眺め、今一度渡された問いについて考えてみた。
「......半々ってところだな」
「え?」
数秒経って絞り出た答え。それを聞いた甘音は、ここで初めて表情を崩した。
「なんでそんな驚いてんだよ」
「いやだってさ......絶対後悔してないって言うと思ったから。ほら、ホージョーくんって恋愛とか全然興味なかったし、星宮ちゃんを壊すことしか考えてなかったから......」
「――」
「ぶっちゃけ、ワタシのことはどうでもいいのかな、なんて思ってた」
不安げにぽつぽつと言葉を漏らす甘音を見て、北条は眉間にしわを寄せる。
確かに甘音と言う通り、生前の自分であれば必ず答えは変わっていたはずだ。なのに何故、今は甘音を想う気持ちが半分もあるのだろうか。
それは――、
「俺の心は過去、星宮に壊された。それが許せなかった。――でも、俺もアヤの心を壊してしまったよな」
「――」
「アヤに殺されてようやく分かったんだよ。俺も、おんなじことしてたんだって」
「――」
「死んでから気づいても遅いんだけどな、俺はもう少し、視野を広げるべきだった」
北条康弘は、生前琥珀にしたことについて何も後悔はない。むしろするべきことをした、何も間違っていないと思っている。誰に否定されようとこれだけは死んでもぶれなかった。
だが、甘音に対する後悔はある。死んでから見つかってしまった。
「......ほんと、遅いよ」
「だな。アヤにも沢山迷惑かけたし、申し訳ないと思う」
顔を俯かせ、表情を曇らせる甘音。何かを我慢しているのか、肩が震えていた。そんな彼女の姿を見て、北条は立ち上がり、その小さな頭を撫でてあげる。
「幸せにしてやれなくて、ごめんな」
大きな手に撫でられ、甘音は歯を食いしばりながら目尻を制服の袖で拭った。
「来世があるなら、俺はアヤを幸せにするよ」
「星宮ちゃんは、もういいの?」
「よくはない......いいわけがない。でも――」
拳を握りしめ、再び琥珀への憎悪を滾らせる北条。死んでもなお消えない怒りは、今だこの胸の中で燻ぶっている。
だけれど、そんな火種は、目の前の不安げな顔をしている幼なじみに蒸散させられて――、
「俺は誓ったからな。お前の苦しんでるところは、もう見たくない」
「――っ」
その言葉に、甘音は目を見開く。そしてこらえきれない程の大粒の涙がこぼれ、抑えきれない衝動から北条に抱きついた。
「――」
北条は甘音を優しく受け止め、溢れ出る思いから歯を食いしばる。
この結末は決してハッピーエンドとは言えない。どちらかと言えばバッドエンドだ。しかし、最後の最後にこの感情に向き合えたことを北条は嬉しく思いたい。
これで良かったとは口が裂けても言えないけれど、何もかもが悪いわけじゃなかった。
「俺に来世がなかったら、地獄行きだぞ」
「いい。それでも、ワタシはホージョーくんについてく。それで、絶対いつか、ホージョーくんと幸せになりたい」
「......そうか」
死後、二人に訪れる未来とは何なのか。そんなの、考えたくもないし、知りたくもないけれど、これだけはハッキリとしている。
――次は、絶対に約束を破らないと。
「アヤ。幸せになろう」




